大阪高等裁判所 昭和61年(ネ)2304号 判決 1987年4月10日
《目次》
当事者及び代理人
主文
事実
第一申立
第二主張
一訂正、削除、付加
二当審(差戻前)における主張
(控訴人国・大阪府)
A 本件水害の原因について
B 本件浸水と河川の管理責任について
C 共同不法行為責任について
D 損害について
E むすび
(控訴人大東市)
A 本件水路は国有財産であることについて
B 本件水路の管理の性質について
C 本件水害との関係について
(被控訴人ら)
A 控訴人国・府の「異常豪雨説」について
B 控訴人国・府の内水洪水説について
C 控訴人国・府の管理責任論について
D 控訴人国・府の共同不法行為論について
E 控訴人大東市の主張について
F 損害について
三当審(差戻後)における主張
(控訴人国・大阪府)
F 本件最高裁判決について
G ショートカット工事の影響について
H 河川管理における瑕疵の不存在について
I 仮執行の現状回復の申立について(控訴人大阪府)
(控訴人大東市)
D 甲路の土砂堆積と本件水害との因果関係について
E 甲路の機能及び構造と本件水害との因果関係について
F 仮執行の現状回復の申立について
(被控訴人ら)
G 本件最高裁判決について
H ショートカット工事の不合理性と「特段の事情」の存在について
I 控訴人国・大阪府の行つた水理解析に対する批判
J 仮執行の原状回復の申立について
第三証拠関係<省略>
理由
一本件水害の発生
二谷田川の管理者、費用負担者及び水路の管理者
三河川の特質
四谷田川流域の自然的、社会的状況
五降雨及び浸水の状況
六本件水害の発生原因
1 外水
2 内水
3 外水、内水の相互関係及び浸水に対する寄与度について
七本件における河川管理
1 工事実施基本計画について
2 本件河川管理の実状
(一) 寝屋川関係における改修
(二) 谷田川の改修
3 河川の未改修状況
4 谷田川流域の過去の水害
八控訴人国、同大阪府に対する請求について
1 行政計画の策定・実施と河川管理
2 本件河川管理の合理性、整合性と特段の事由
3 結び
九控訴人大東市に対する請求について
一〇仮執行の原状回復の申立について
一一結論
控訴人
国
右代表者法務大臣
遠藤要
右訴訟代理人弁護士
井上隆晴
右指定代理人
大田黒昔生
外一六名
控訴人
大阪府
右代表者知事
岸昌
右訴訟代理人弁護士
道工隆三
井上隆晴
柳谷晏秀
青本悦男
右指定代理人
島瀬善彦
外八名
控訴人
大東市
右代表者市長
西村昭
右訴訟代理人弁護士
俵正市
重宗次郎
苅野年彦
草野功一
坂口行洋
寺内則雄
右指定代理人
池西宏之
外八名
被控訴人
浅野友美
被控訴人
川野喜市
被控訴人
西脇増夫
被控訴人
尾崎行弘
被控訴人
伊藤隆
被控訴人
舟木政喜
被控訴人
嘉地龍行
被控訴人
生島薫
被控訴人
山本友士
被控訴人
中井巡
被控訴人
小辻容子
被控訴人
中村房吉
被控訴人
六山定安
被控訴人
横枕政人
被控訴人
松本茂
被控訴人
大塚衛
被控訴人
花房英
被控訴人
山脇堯
被控訴人
大橋吉男
被控訴人
斧林松
被控訴人
勝原松太郎
被控訴人
山本博
被控訴人
高橋安則
被控訴人
藤井イサエ
被控訴人
佐々木実
被控訴人
大藤鋹
被控訴人
仲井譲
被控訴人
澤入由次
被控訴人
足達宗一
被控訴人
今園忠次
被控訴人
村岡四郎
被控訴人
大原治
被控訴人
野口六治
被控訴人
福井マチ子
被控訴人
服部久作
被控訴人
武川三男
被控訴人
綾野三郎
被控訴人
中谷義男
被控訴人
足立次郎
被控訴人
奥田定雄
被控訴人
海原竹男
被控訴人
宮崎計久
被控訴人
宮城忠儀
被控訴人
宮澤住江
被控訴人
中村芳平
被控訴人
藤本博治
被控訴人
野村利之
被控訴人
卜部昭子
被控訴人
山崎泉
被控訴人
川畑末男
被控訴人
大山彦三郎
被控訴人
堀田ヲリエ
被控訴人
長田晴夫
被控訴人
甚野熊市
被控訴人
藤後茂助
被控訴人
小林勝太郎
被控訴人
中村真策
被控訴人
宮本均
被控訴人
後藤綾子
被控訴人
里曻
被控訴人
橋爪桃太郎
被控訴人
東田勇
被控訴人
安田義巳
被控訴人
溝口宏
被控訴人
山田修
被控訴人
坂元輝雄
被控訴人
益田楢寿
被控訴人
正岡善太郎
被控訴人
佐藤清高
被控訴人
宇野勝彦
被控訴人
児島慶一
右七一名訴訟代理人弁護士
鬼追明夫
児玉憲夫
細見茂
臼田和雄
浜田耕一
須田政勝
大川真郎
木村奉明
力野博之
山田庸男
戸谷茂樹
針谷紘一
外九〇名
主文
一 原判決中控訴人ら敗訴の部分を取消す。
二 被控訴人らの請求を棄却する。
三 控訴人大阪府に対し、
1 被控訴人宮城忠儀を除く被控訴人らは、各金四七万四、一七〇円及びこれに対する昭和五一年二月一九日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被控訴人宮城忠儀は、金三四五万四、五〇五円及び内金四七万四、一七〇円に対する昭和五一年二月一九日から、内金二九八万〇、三三五円に対する同年三月一日から、各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
四 控訴人大東市に対し、
1 被控訴人宮城忠儀を除く被控訴人らは、各金二三万七、〇八五円及びこれに対する昭和五一年二月一九日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被控訴人宮城忠儀は、金一七二万七、二五三円及び内金二三万七、〇八五円に対する昭和五一年二月一九日から、内金一四九万〇、一六八円に対する同年三月一日から、各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
五 訴訟の総費用は、これを一〇分し、その一を被控訴人宮城忠儀の、その九を同被控訴人を除く被控訴人らの各負担とする。
事実
第一申立
一控訴人ら
1 主文第一ないし第四項同旨
2 訴訟の総費用は被控訴人らの負担とする。
二被控訴人ら
1 本件各控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
第二主張
一次のように訂正、削除、付加するほか原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決二九枚目裏六行目の「九〇五万七、七五〇円」を「八五六万五七五〇円」に、一二行目の「九五万円」を「九〇万円」に各訂正する。
2 同三〇枚目表一〇、一一行目の「原告らのほとんど」を「被控訴人伊藤隆を除く被控訴人ら」に、一二行目の「右原告ら」を「被控訴人伊藤隆、同宇野勝彦を除く被控訴人ら」に、末行の「その被害の程度」を「その余」に各訂正する。
3 同三一枚目表一行目の「洪水位」を「高水位」に訂正する。
4 同四四枚目裏一行目の「原告ら」から四行目までを削除する。
5 同一〇一枚目表一四行目の「792,000円」を「300,000円」に、一五行目の「8,298,750(円)+792,000(円)−33,000(円)=9,057,750(円)」を「8,298,750(円)+300,000(円)−33,000(円)=8,565,750(円)」に各訂正する。
6 同一〇三枚目の別紙図面(二)を本判決添付図(二)のとおり訂正する。
二当審(差戻前)における主張
(控訴人国・大阪府)
A 本件水害の原因について
1 本件水害の主原因
本件水害は、七月豪雨とこれがもたらした寝屋川本川水位の異常な上昇との影響による内水洪水である。そのことは左記本件地域の特殊性、七月豪雨の異常性、寝屋川本川水位の上昇を本件地域の浸水経過に照合すれば明らかである。
(一) 本件地域の特殊性
谷田川は寝屋川水系の一支川であるから、両者は密接な関係を持ち、谷田川流域の水害についても、寝屋川流域全体の特性を抜きにしては論じ得ない。
(1) 寝屋川流域の概要
寝屋川流域は、大阪市の東方に隣接する東部大阪地域であり、北は淀川、南は大和川、東は生駒山系、西は上町台地に囲まれた東西約一四粁、南北約一九粁、面積約二七〇平方粁の地域であつて、その八六%が沖積平野であり、大阪湾満潮位以下の低湿地が流域の一〇%を占め、その支川の流域の七四%が自然に河川へ排水し得ない内水区域である。流域は往古生駒山系の麓まで海であつたところが淀川、大和川および生駒山地河川の流送土砂の堆積によつて造成されたもので、一七世紀頃まではそれら河川の氾濫もとであつて、中央部には大きな池が存在した。その後一八世紀当初の大和川の開削や、明治時代における淀川の新川開削により、外水洪水からは隔離されたが、これら河川による沖積作用を失う結果となり、低湿地のままとり残されることとなつた。
その後、池や低湿地を埋立て新田開発が行われたが、もともと湿田が多く、そこでの内水氾濫は浸水被害として問題視されることはなかつた。戦後の経済復興に伴う流域の急速な市街化とともに、沖積平野の宿命的な自然沈下に加え、都市用水不足による地下水の汲み上げの影響により、平野部全域にわたり地盤沈下が甚しく、大東市内では昭和三九年から四七年の間に一一七糎もの沈下が生じ(乙第一三号証)、従来浸水被害として意識されていなかつた内水氾濫が浸水被害として顕在化するに至つた。
(2) 寝屋川流域の過去の水害
寝屋川流域は右のように、過去には湿田の冠水に止り、浸水被害の認識はなかつたが、昭和二〇年代後半になると、湿地の干拓、湿田の排水改良、農地の宅地化に伴い、浸水被害が顕在化し始め、昭和二八年九月の台風一三号水害では浸水面積76.7平方粁、浸水戸数床上三、二〇〇、床下四八、五五三を数え、昭和四二年七月には浸水面積26.5平方粁、浸水戸数床上八九四戸、床下二二、七九六戸を数えている。
(3) 谷田川とその流域の概況
谷田川は法河川延長は約2.4粁、流域面積3.94粁の小河川であり、法河川区間を五〇〇米程流下すると河床勾配(改修前)が二七〇分の一ないし一一〇〇分の一という緩勾配で寝屋川に合流していたのであり、法河川区間の大半(丙路附近まで)が寝屋川本川水位の影響を受ける。
その流域は添付図(二)のとおりであるが、うちA4流域(甲、乙、丙水路流域)の面積は0.297平方粁である。(この点原審ではこれを0.317平方粁と主張したが、一部が南水路流域に含まれることが判明したので右のとおり訂正する。)
(4) 被控訴人ら居住地域の特性
被控訴人ら居住地域は前記谷田川のA4流域に含まれるが、その北と西は谷田川つつみに、東は生駒山系の傾斜地とその裾を南北に走る国道一七〇号線に、南は野崎駅の南寄りから東に向けて通ずる比較的地盤の高い道路に囲まれた袋状の窪地であり、平均地盤高はOP3.8(大阪湾基準水位、単位米)で、谷田川の久作橋附近堤防高OP4.2よりも低い。往時は池であつたのが江戸時代に干拓され、湿田と水路がかつての野崎駅前附近にひろがつていた。その水路は農業用水路であり、甲路は寝屋川本川から谷田川を経て取水していた基幹農業用水路であつたから、その勾配はほぼ水平であつて、寝屋川本川水位の高い時は自然排水は不可能であつた。
前記(1)にみられる市街化は、この地域でも昭和三六年から四六年にかけて著しく、田地割合はその間に四分の三から三分の一に減少した(乙第三号証および検乙第六ないし第八号証)。
(二) 七月豪雨の異常性
(1) 昭和四七年七月豪雨は全国的規模をもち、七月三日から六日にかけて九州、四国南部、七日から九日にかけて東北、北海道、九日から一三日にかけて九州、中国、近畿、中部、関東に災害をもたらした。本件水害をもたらした右第三の降雨は、北方からの寒気の南下と南海上からの湿潤な暖気の流入とにより梅雨前線の活動が活発となり、西日本に長期間停滞し、前線の振幅が小さかつたために降雨が続き大雨となつたものである。
(2) 大阪府下の降雨状況
七月九日午後から降り始め、比較的短時間の強雨が波状的に数回にわたつて降り、総雨量が多くなつた。その豪雨は時間雨量一〇粍程度の雨が断続的に長時間続いたことが特徴であり、降り始めから一四日午前九時までの総雨量は、府の北部から東部で二八〇ないし三三〇粍で、年平均量の二〇%にあたる雨がその四日間に降つたのであり、その間、一二日午前六時から一三日午前六時までの二四時間雨量は188.5粍と大阪管区気象台最近一五年間の最高、明治三三年から昭和五一年まで七七年間の第三位を示しているのである(乙第四八号証)。
(3) 寝屋川流域の降雨状況
大阪中心部に位置する寝屋川流域での降雨も、ほぼ同様であり、七月一〇日から一三日にかけての連続雨量は三〇〇粍前後に達し、時間雨量の分布も大阪中部においてと同様、第一の山は一〇日夜半から一一日午前中にかけて、第二の山は一二日早朝から午前中にかけて、第三の山はその午後から夜にかけて、そして第四の山はその夜半から一三日明け方にかけてであり、時間雨量の最大値は第一の山において枚方で二三粍、枚岡で二四粍、大阪管区気象台で22.5粍、氷野ポンプ場で二六粍が、二四時間雨量最大値は、第二、第三、第四の山でそれぞれ記録されている。
(4) 上記降雨パターンの異常性
被控訴人らは小河川の災害については短時間雨量のみを問題とすべき旨主張するが、本件水害は低地部の排水不良による浸水が主原因であるから、これを生じさせた降雨を論ずる場合は、二四時間雨量または総雨量を問題としなければならない。そのことは次のことからも明白である。
イ 本件災害時の降雨は一〇日の降り始めから一二日正午までに総雨量一三〇粍程度、時間最大雨量二〇粍前後であり、その後午後三時頃から一三日にかけて一七〇粍程度の降雨があり、総雨量三〇〇粍、二四時間最大で一八八粍にも達したのであるが、後記被控訴人ら居住地域の浸水状況からみると、一二日正午頃にはその浸水位はOP3.7前後で一部に床下浸水を生じた程度と推測され(後記水理解析・模型実験、被控訴人らの供述)、結局午後三時以後累加的に降り続いたことにより大きなものとなつた総雨量、二四時間雨量が重大な影響を及ぼしたとみられること。
ロ 大阪管区気象台が昭和四九年に編集した「防災気象ノート」(乙第五一号証)に登載の大阪府下の一時間最大雨量および精算雨量(総雨量)と災害との関係(七頁)からみても、総雨量三〇〇粍で時間雨量22.5粍というのは異常な型(時間雨量は少いが、総雨量が大きいため、大雨・洪水警報基準を大きく越えて枠外にはみ出す)であることが分る。
ハ 谷田川を含む寝屋川水系の過去の災害記録は末尾添付表1のとおりであり、これをプロットしたものが同図1であるが、これによつても分るように、寝屋川水系の災害が、短時間雨量よりも長時間雨量の大きな降雨によつて生じていることが分る。
ニ 一時間二〇粍前後の雨は前年の九月にも、同年の六月にも、また一一日にも降つている。平均して年に一回は降つているが災害は起つていないのであり、この一日とか、一ケ月とかの間に、本流域あるいは河道の状況が大きく変動し、今まで災害を生じていない継続時間の短い夕立程度の雨で溢水して災害が発生するようになるなど、とうてい考えられない。
(三) 寝屋川本川水位の影響
(1) 寝屋川本川水位の関連性
本件水害時寝屋川本川水位は長時間に亘り異常な高水位が継続したが、これが内水の排水を困難にし、谷田川の水位を高めてc点附近の溢水を誘発し、更に同水位は谷田川堤防高を越えるに至つた。
イ 内水排水への影響
寝屋川本川水位の上昇は甲路の疎通能力を低下させ内水滞水をうながす。末尾添付図2はそれがOP3.6を越えると被控訴人ら居住地域(甲路沿い)の内水が自然には排水されないことを示している。なお、甲路最下流端にはポンプが設置されているが、その排水能力は本件異常豪雨に対応できず、且つその附近の谷田川の堤防高は低いため、谷田川に排出しても再び内水域に戻ることとなり、排水機能を果し得ていなかつた。このことは一二日午後二時から三時にかけて片町線西側の住宅も浸水したことでも裏付けられる。
ロ c点溢水への影響
後記模型実験の結果によると、寝屋川本川水位がOP3.6に達したときから始まり、OP4.0になると非常に大きくなつて、c点での流水疎通能力を著しく制限することが証明される。しかして、下流水位の影響による溢水は、下流水位と堤防高との関係によるものであつて、川幅の広狭はさほど関係がないから、c点が狭窄部であることは、溢水に関し多少の時間的ずれを生じさせるとしても、溢水量にはほとんど関係がない。現に、谷田川の野崎中川との合流点から下流の狭窄部でもない未改修部右岸(その堤防高は低い所でOP3.7ぐらいで、若干の土俵が積まれていた)においても、同様の溢水を生じている。
ハ 谷田川堤防高との関係
谷田川合流点(鍋田川合流点と考えてもよい)の寝屋川本川水位が谷田川の堤防高を越えたところでは、そこから必然的に溢水が生ずるから、谷田川堤防高OP4.41以下のところでは、すべて溢水が起つており、右(ロ)のとおり、野崎中川合流点下流部においても溢水している(検乙第一二号証)。
ニ 久作橋附近堤防高以上の湛水
末尾添付の図2は久作橋附近谷田川堤防天端のOP4.2を越える湛水は、専ら寝屋川本川水位の上昇が原因となつたことを端的に示すものである。
(2) 寝屋川本川水位と被控訴人ら居住地域の浸水位との対比
このように、本件溢水に寝屋川本川水位の上昇が密接な影響を持つことは、被控訴人ら居住地域の浸水位の上昇と、寝屋川本川水位の上昇との時間的変化が、末尾添付図3に示されるように一二日午後五時頃以降はほとんど対応していることによつても明らかであり、これと、後記(五)の寝屋川水系の災害発生状況とを対比してみれば、本件水害が被控訴人ら居住地域に限られた局所的災害でないことは明らかである。
(3) 七月豪雨における寝屋川本川水位の異常性
ところで、末尾添付表2に示すように本件水害時の寝屋川本川水位OP3.36(谷田川合流点附近でOP4.41)ならびにそのOP3.0(谷田川合流点附近でおおむねOP4.0)以上の高水位継続時間一五時間というのは、いずれも昭和三一年以降本件水害時までの最高記録であり、また寝屋川本川水位の上昇には、時間雨量よりも二四時間雨量あるいは総雨量が大きな影響を及ぼし、高水位はほとんど総雨量一〇〇粍以上の場合に発生しているのである。
また、本件水害時の寝屋川本川の出水状況(谷田川合流点附近での流量)を、昭和四八年一〇月に実施した流量観測により作成した水位流量曲線を基に、後記乙第四七号証七三頁に示すこの地点の水位から計算すると、(1)そのピーク流量は毎秒一〇一立方米であり(これは、乙第一七号証一三九頁の京大防災研の解析流量ピーク毎秒一〇四立方米とよく一致する)、それは昭和二八年に昭和四五年の流域状況を想定し、当時の既往最大降雨である明治二九年の雨を用いて作成された寝屋川の改修計画におけるこの地点での計画対象流出量(なおそれは現在の住道から上流の改修実施計画の対象流量でもある)毎秒九六立方米を上廻り、(2)一二日正午から一三日正午までの二四時間流出量は約六四三万立方米に達し、計画対象洪水である明治二九年洪水(昭和四五年の流域状況を想定したもの)の二四時間流出量約三八八万立方米の1.7倍に達するのである。このように本件水害時の寝屋川本川出水状況は最高水位や高水位継続時間においても過去最大のものであり、流出流量においても計画流量を上廻る異常水位であつたことが分る。
(四) 被控訴人ら居住地域の浸水経過
(1) 本件浸水被害の生じた一二日の前日までに、既に一〇〇粍近い降雨があり、山地部では山腹部分の水の浸透能力がなくなり、平地部でも降雨の一時的な貯留の役割を果していた窪地や田畑が満水状態となつていた。このため、一二日午前六時過頃から再び降り出した強い雨は、途中で浸透滞水することなく、一番低地である被控訴人ら居住地域に集中したものとみられ、同地域は、午前一〇時過頃から徐徐に湛水して行き、午前一一時頃に既に一部家屋の床下浸水がみられた。
(2) その後、午後に入つて雨は小康状態になつていたが、午後三時頃から再び強くなり、これとともに前記寝屋川本川水位の上昇の影響も出はじめたことから、湛水位はますます上昇し、午後四時頃には一部で床上浸水がみられ、夕刻以降には久作橋附近堤防高OP4.2に達して、内外水は同一平面となつた。
(3) この強い雨は更に一三日未明まで継続し、寝屋川本川水位は谷田川合流点附近で一二日午後九時頃にはOP4.2、一三日午前一時頃にはOP4.41となつて、谷田川自体を水没させ、その結果被控訴人ら居住地域の湛水位は一三日午前三時には最高のOP4.47に達した。
(五) 寝屋川流域の被害状況
因みに寝屋川流域の被害は左のとおりであり、本件水害が他の地域における浸水と関連のない被控訴人ら居住地域だけの局所的現象でないことは明らかである。
2 内水滞水原因の具体的指摘
右1の(一)ないし(四)を総合すれば、前記のように袋状の窪地の谷田川A4流域の中にあつて、その中でも最も低い被控訴人ら居住地域において、七月一二日早朝からの豪雨による内水洪水の発生は容易に推測し得るところであるが、本件においてはさらに左の具体的な内水滞水原因が指摘できる。
(一) A4流域の降雨のみによる湛水
後記3(6)イのとおり単にA4流域に降つた雨のみでも、床上浸水現象を発生せしめるに充分なのである。
(二) 他流域からA4流域への流入
(1) e点分流
e点には農業用水を引水するための取水口(直径三〇糎のヒューム管)があり、本件水害時は灌漑期中で、取水口は開かれていたから、ここで分流しA4流域に流入した。
(2) a点溢流
地域/区分
府下全域
寝屋川流域
大東市
谷田川流域
原告居住地域
浸水面積(ha)
不明
1,783
310
71.3
7.5
床上浸水(戸)
6,156
5,923
2,200
698
235
床下浸水(戸)
40,346
30,423
3,071
743
不明
計 (戸)
46,502
36,345
5,271
1,441
a点で国道一七〇号線が暗渠化され、断面狭小となつているので、ここから、国道上に溢水し、その水は全部南側へ流れてA4流域に入つた。
(3) 国道一七〇号線からの越流
国道東側部分から流下して来た雨水にA1A2A3流域から流入して来た多量の雨水が加わつて、国道の横断水路では受けきれず、国道を越えて被控訴人ら居住地域に流入していつた。
(三) 内水域からの流出はない
A4流域からは、甲路と丙路によつて外域に排水されることになつているが、いずれも本件水害当時疎通していない。
(1) 甲路
甲路のサイフォンは設置後十数年を経て通水能力が悪いところ、寝屋川本川水位の上昇ならびに片町線西側の滞水につれて、ますます悪くなり、ある時期から全く排水能力を失つた。このことは、この地域の滞水をポンプにより谷田川に排水しなければ減水しなかつたことからも知れる。
(2) 丙路
谷田川への流入個所に土砂の堆積があり、谷田川の水位が上昇すると、丙路沿いの地盤が低いために水面の高低差がなくなり、ほとんど流出し得なかつた。
3 差戻前控訴審における水理解析および実験結果の援用
このように本件水害はいわゆる内水洪水であり、控訴人らは原審においてもこれを水理計算により論証したのであるが、その後新たに訴外株式会社新日本技術コンサルタントに依頼して、原審における水理計算とは異つた観点から、新たな水理解析および実験により、本件水害原因の再検討を行つた結果、左のとおりそのことが一層明白となつた。控訴人らが本件を控訴提起に踏み切り、そのように水害原因の究明に努めようとするのは、本件訴訟のもつ社会的重要性を思い、これを今後の治水行政の貴重な資料とするとともに、この種水害に対する行政の法的責任の範囲・限界を明らかにしなければならないと考えたからであり、この様な行政に課せられた水害現象の解明の責務を果さんがために他ならないのである。
今回の再検討は、雨量・水位についての新しい観測結果とできる限りの客観的資料を基礎として、新たな水理解析と模型実験とによるものであるが、原審水理計算と異なる主な点は次のとおりである。
(1) 降雨状況の把握
原審では枚方土木事務所における降雨資料を谷田川流域の降雨状況として解析したが、今回は近傍諸観測所の資料を総合的に検討し、その妥当性を確認した。
(2) 降雨流出状況の把握
原審では全国的に活用されている研究資料によつたが、今回は谷田川流域およびこれと酷似の近傍河川流域での実験資料を基礎にした。
(3) 河床変動状況の解明
原審ではc点附近の河床変動状況の解明は行つていないが、今回はc点附近上下流の河道の模型を作成し、当時の寝屋川本川水位の変動を関連させ、洪水時の河床変動状況を解明した。
(4) 河道水位の把握
原審では、右(3)の結果を考慮しないでc点附近の流下量・水位を算出したが、今回は右河道模型(河床は、移動床を設定)に当時の寝屋川本川水位の変動を関連させ、流下量・水位を把握した。
(5) 溢水量の把握
原審では水理計算によつて算出したが、今回は右河道模型により当時の寝屋川本川水位の変動を関連させ、実験で測定した。
(6) 湛水状況の解明
原審では水理計算により内、外水量を求めて湛水量を算出したが、今回は模型実験により測定した溢水量と、新たに水理解析により求めた内水量とを用いて、湛水状況を把握し、これに対する外水の影響を検討した。
これにより、前記1に述べた浸水過程において、c点附近から幾分かの溢水が存したとしても、その溢水量は、本件浸水現象全体からみれば、とり立てて論ずる程のものではないことが明らかとなつたのである。
イ 内水域(A4)の降雨湛水量
前記のように、本件地域は袋状の窪地であるところ、当時の甲路および甲路のサイフォンの状況、甲路下流部片町線西側の湛水状況、丙路の土砂堆積状況、谷田川の水位上昇と前日迄の降雨による流域地盤の水の飽和状況等からみて、一二日の降雨はほとんど損失なく、最も低い被控訴人居住地域に湛水したとみられる。従つて、当流域に本件水害時の降雨量(枚方のそれを用いる)を与え、「特性曲線法」による流出計算を行い、一二日の降雨が内水域に全部湛水する場合を解析して湛水量を求めると、次のとおりであり、午後九時以後には、久作橋附近の堤防高以上にも達する結果となる。しかもこの水域には家屋などが密集しており、その影響も考慮し、また一一日の降雨による窪地等の湛水も考えれば、湛水位はもつと上昇することが推定される。
時刻
午前一〇時
正午
午後五時
午後九時
湛水量
8,000立方米
13,000立方米
22,000立方米
31,500立方米
湛水位(OP)
3.55
3.75
3.95
4.10
ロ c点附近からの溢水量
これについては、河床模型を用いた実験により、水理解析による谷田川のab点間の流下量と南津の辺水路からの流水量によるc点到達流量と、寝屋川本川水位の変動とをできる限り再現し、当時の河川の流下状況、水位、河床変動を解明した。(なおその際、初期河床における土砂堆積高は、被控訴人ら主張のそれにおいて実験をした。)その結果、溢水は一二日午前八時頃に始まるが、その量はごく僅かで、午前中は最大でも毎秒0.1立方米ほどで、その総量は約三〇〇立方米である。正午頃には一旦止まつて、午後三時半頃から再び溢水し始め、その量は時間とともに変動するが、最大値で毎秒0.4立方米ほどであり、午後九時四〇分までの総溢水量は約三、六〇〇立方米である。
ハ 被控訴人ら居住地域の湛水量・湛水位
本件地域の湛水量を、右イの降雨湛水量とロの溢水量とを加えて時間的変化を求めてみると、一二日午前中の約三〇〇立方米の溢水量が加わり、正午までの湛水量は約一二、三〇〇立方米(湛水位OP約3.75)となるが、うち溢水量の占める割合は約2.4%であり、午後三時半以降、溢水量はいくらか増加するものの、湛水量が久作橋附近堤防高OP4.20に達する夕刻以降での総湛水量三七、五〇〇立方米に対し、総溢水量は約三、六〇〇立方米で、たかだか9.6%に過ぎない。
そして、右解析および実験は、A4流域の内水量に、c点附近の溢水量のみを加えて湛水量としたが、この他にa点での溢水、a点上流水路での溢水およびe点での分流の内水化を考慮すれば総湛水量の中で外水量の占める割合は更に小さくなるし、内外水位の一致時刻も一層早くなる。なおa点、a点上流および南津の辺水路での溢水がなく、全流出量がc点に到達するものと想定した実験においても、午後九時頃までの総溢水量は五、〇〇〇立方米程度で、せいぜい一四%に過ぎない。
ニ c点附近の土砂堆積の影響について
c点附近の堆積土砂については、c点家屋の床下では河床まで九〇糎あり、それに二〇糎の梁が突出しているところでも、その開口高は七〇糎あると主張しているが、右実験結果は、初期河床を被控訴人ら主張の河床高に設定したにも拘らず、通水初期の段階において控訴人主張のそれに近づいており、控訴人らの主張が真実に近いものであつたことを裏付けるとともに、c点未改修部分のような断面縮小部では、高流量時には特に流速が増し、河床に堆積している土砂を洗掘するため、一定時間経過すると河床が低下し、疎通能力を増加させることもはつきりさせた。してみれば本件においてc点における洪水初期の土砂堆積量を仮りに被控訴人ら主張のとおりとしても、一定時間経過後には、控訴人ら主張(乙第一号証)の家屋下開口部高になつていたと考えられ、c点附近の土砂堆積は、結果的には、疎通能力に影響を及ぼしてはいないのである。
ホ このように、本件浸水において、c点附近からの溢水は、それがあつたとしても、浸水現象全体からみれば、これをとり立てて論ずるほどのものではなく、右溢水が全くなくとも、当時の寝屋川本川水位の状況からみても、同程度の浸水があつたことは明らかである。だとすれば、本件浸水はc点附近狭窄部の存在が原因では全くあり得ず、またc点附近狭窄部の土砂堆積も浸水原因ではなかつたのであるから、c点附近の未改修と本件浸水との関連性は全くないというべきである。なお、後述するようにc点上流の片町線関連の一部改修もc点部分には何らの影響を与えるものではなく、この部分改修が本件浸水と何らの関連のないことはいうまでもない。
B 本件浸水と河川の管理責任について
1 河川の管理責任(一般論)
(一) 公物管理における河川の特殊性
河川は本来地形に応じ、自然に発生した水流であり、いわば生き物にして、しかも降水量に限界がない以上、本来的に洪水氾濫の危険性を内在している。従つて、河川はその安全性を相対的に高めることはできても、絶対的安全性を求めることは不可能で、たとえ改修等の人工が加えられても、予測不可能な事態の発生は避け難いのである。ために、莫大な費用と年月を費しつつ水害の克服に努力していても、なおその危険回避には著しい困難性が伴うのであり、それは、通常安全確保がなされた後に供用が開始され、危険回避には一時閉鎖、通行禁止などの簡易な方法により安全確保の措置を採り得る道路等人工公物と、その管理責任を同列に論じ得ない所以なのである。
(二) 治水の努力と治水事業の困難性
治水事業は古来から社会政策の根幹として認識されており、何時の世でも為政者はその努力を傾けており(信玄堤、大和川付替工事など)、明治以降の国および大阪府の治水事業も左のとおりであるが、それでも、又毎年どこかに水害が発生し、いまだ満足すべき状態ではない。これは、科学が自然を完全には征服し得ないとともに、治水は水系を一貫とした総合的事業であるため膨大な費用と年月を要し、しかも一旦できた施設が流域土地の利用状況の変化等により既往の機能では対応し得なくなり、さらに施設の構築を必要とするという治水事業の避けられない宿命によるものなのである。
(1) 国の治水事業
我国の近代的治水事業は、明治七年内務省の手により、オランダの河川工学を採り入れて始められ、当初は緩流部における低水工事が主眼であつたが、洪水被害の頻発から、高水工事に対する要望が強まり、明治二九年河川法が制定されて、大河川の直轄高水工事が逐次進捗していたが、第二次大戦前後の長い空白と、戦中の水源山林の乱伐による大水害が頻発したため、昭和二八年に治水治山基本対策要綱が作成されて昭和三五年から五一年の間に、四次の五ケ年計画を策定実施して来り、昭和五二年度から第五次のそれに入つている。明治以降の累積投資額は一一兆五千億円に達しているが、それでも、その整備率は、昭和五〇年度末において、流域面積二〇〇平方粁以上の大河川で、戦後三〇年間に発生した洪水に耐え得るのは延長五〇%強、中小河川では、時間雨量四〇粍程度に対し洪水の虞れのないものが同じく一三%程度であるに過ぎない。
(2) 大阪府の治水事業
大阪の近代的治水事業は明治一八年の淀川大洪水を機に、淀川の治水対策に始まり、同二九年新淀川の開削(同四三年まで)、同三八年一津屋樋門、同四〇年毛馬閘門、同四三年毛馬洗堰の各竣工をみ、戦後は中小河川の災害が頻発したため、その復旧と改修を併せ行う方式で、現在の想定被害による改修計画へと進んでいるが、後述するとおり、その中でも、寝屋川水系の治水事業に最も力がそそがれて来た。
(三) 河川管理の限界
河川管理上、本件において問題となるのは、河川が本来有する流水の流下機能についての管理であつて、それは流水をより安全に流下させることを目的として、当該河川に相応して施設を設け、あるいは改修をすることであるが、そこには、左の如き一般的な限界が存する。
(1) 自然現象による限界
河川の流水は降雨などの天然現象によつて生ずるものであるから、不確定要素が多く、異常な集中豪雨や異常な長雨による氾濫や、土石流の発生による河道の閉塞や河川施設の損壊であつたりするが、この様な通常予測し得ない事態については、河川管理の力は及ばない。
(2) 財政上の限界
河川管理は大掛りな工事を伴い莫大な資金を必要とする。従つて数多い河川全部を同時に整備することは不可能である。現在の国の目標は、流域二〇〇平方粁以上の大河川について、戦後三〇年間に発生した規模の洪水に対応し得る安全度にし、他の中小河川については、時間雨量五〇粍の降雨による災害を防止し得る施設を整備することであるが、それでも今後三〇兆円の投資を必要とし、昭和五一年の治水事業費の五〇年分に相当する。また、大阪府の目標も、時間雨量五〇粍に対する溢水、破堤を防止する対策を講ずることであるが、約二五〇〇億円を要する。
しかし、他に多くの行政需要の存する以上、治水事業に投じ得る予算には、自ら制約があり(行政投資の配分は政策の問題であつて、その社会的ニーズの選択を、投資額の比較によつて論難することは、政策論としてはいざ知らず、法律論としては当を得たものではない)、原判決援用の「財政的理由によつて、その責任を免れることはできない」との道路に関する最高裁判決は、道路の設置安全などと異なつた特殊性を有する河川管理については直ちに適用できない。
(3) 技術上の限界
次にも述べるように、河川改修には長年月を要し、その間は、その河川について流水を安全に流下させる機能を十分に保たせ得ない。また、治水手段は画一的に決められず、各河川の特性にあつた手段を見出すには、長い経験を要し、しかも最新の科学技術でも将来の自然現象の予測は十分にはなし得ないし、一方流域の土地利用状況の変化に伴う流出機構の変化を予測することも、ある限度以上は十分になし得ない。しかも、その特殊性から、試運転の如く安全性を確かめた上で供用するのが不可能で、洪水現象によつて初めてテストされるという宿命をもつている。ために、当時十分と考えてなされた治水工事が、やがて情勢の変化に対応し得なくなり、万全のものでなくなることも、河川管理の技術上の限界として避け難いのである。
(4) 河川改修の具体的手法―時間的制約―
河川改修計画は、地形図、踏査等により河道の概況を把握し流域(河川が受け持つ排水範囲)、計画降雨(既往最大降雨、確率雨量等)、流出係数等から計算公式により計画流量を決定し、次にこれを安全に処理するため、遊水池やダムによつて流量を減ずる方法を検討し、その結果から河道の受け持つべき流量(計画高水量)が決定される。これに基づき、地形、土地利用の状況、用地取得の大小等を勘案しながら河道の平面位置や断面形や河床勾配が決定されるが、その検討過程の中で、事業費を算出して経済性の問題、施工上の問題等も加味して最終決定とする。
そうしてできた計画を、年々の財政力に見合つた工事量を改修の急がれる個所から、段階的に施行するのであるが、その際河川改修は下流から上流へ行うのが原則ではあつても、改修によるプラス要因とマイナス要因とを十分検討したうえ、必要な場合には、下流に影響の少い方法で上流部の改修を先に行うことが許されない訳ではなく、また多少能力的には目標を割つても、改修延長を延ばしてまず第一段階での安全度(例えば時間雨量三〇粍に対処できる)を早く確保し、更に第二段階(例えば同五〇粍)へ進むことも要求される。
かくて河川改修工事は、それに着手したとしても、一定区間が完全に改修されてはじめてその効果が出るものであり、長年月を要し、その間はその河川について、流水を安全にすべてを流下させる機能を必ずしも十分に保たせることができないという時間的制約も河川管理上の避け難い限界である。
(5) 用地取得の困難性
河川改修における用地はその必要とする範囲が線的且つ長大となるのが特徴である(用地取得が困難だからといつて、道路の様に部分的に迂回あるいは地下、高架方式などで、これを避けることはできない)。そのため、関係地主が多く、しかも開発の利益が必ずしも顕著でないことなどから、その合意を得がたく、用地取得に多大の日時を要する。そして、河川改修では、こま切れに工事を進めることは困難であり、一定区間の全用地の取得を迫られるため、更に時間を要するところ、環境問題、事業の波及効果、現況河川が沿岸住民にとつて強いかかわりあいを持つ場合など、右用地取得の困難さは益益増大し、事業の長期化の原因となる。
(四) 河川管理責任の考え方
(1) 総論
前記のとおり、河川の管理責任を論じるに当つては、前記公物管理における河川の特殊性、治水事業の困難性、河川管理の限界が十分に認識考慮されなければならない。してみると、「元来河川はその流域における雨水等を集めてこれを安全に下流へ流下させる機能を備えるべきものであり、これを管理する者は、右の機能に欠けることのないよう安全な構造を備え、かつ常にその機能を果せるように管理すべき責務を有する」として、河川の管理責任につき道路と同じような絶対に近い安全確保義務を要求する原判決の立場は、右河川の特殊性、管理の限界を無視し、河川管理者に不能を強いるものといわなくてはならない。(このような判断は、本件浸水という局所的現象にのみ目を奪われ、それ以外の水害の状況、さらに一般的水害現象、その背景たる自然的、社会的環境、多様化する社会需要の中での治水事業の努力等広いひろがりの中において本件をみる視点を全く欠いたものであつて、このような無限定な責任が河川管理者に要求されるとすれば、治水事業に要する資金の大きさよりして、他の社会需要を停止してこれに専念せねばならなくなり、極論すれば、治水施設は完備しても、それにより守らねばならない財産はなくなつていたという事態にもなりかねないのである。)
(2) 国家賠償法二条一項の「瑕疵」の意義
この点については、従来客観説が支配的であつたが、近時義務違反説が主張されてきている。この説によれば、右「瑕疵」とは「営造物の設置管理者が負うべき安全確保、事故防止措置義務の懈怠、放置に基づく損害回避義務の違反」をいうのであり、その存否の基準として、事故の予見可能性と事故回避の可能性の有無が問われるとし、また、右の回避義務は営造物の危険性の程度と被害利益の重大さの程度との相関較量のもとで、客観的に設定されねばならないとされ、事故回避可能性の判断基準もそこに求められることになる。最高裁昭和四五年八月二〇日判決・民集二四巻九号一二六八頁の判示する「通常有すべき安全性」とは営造物管理者が「営造物の性状により予想される通常の危険に対し、当該営造物の具体的状況よりして、社会通念上相当と認められる危険防止措置をとること」を意味すると解さるべきであり、義務違反説のいう安全確保義務の内容もこれと同旨である。してみれば、国賠法二条の「瑕疵」の認定は個別具体的になされなければならず、営造物の安全性の欠如が即この「瑕疵」となるものではないし、かかる観点からすれば国賠法二条の「瑕疵」において、財政的理由による免責を一切認めていないと論ずることの誤りも明らかである。そして、前述した河川の特殊性に鑑みれば、その安全確保義務の内容は充分制限的に解されなくてはならず、次のとおりに考えるべきである。
イ 河川における「通常の危険」とは、通常の大雨による破堤、通常の大雨による施設の欠陥によつて生じかつそれが相当の被害に結びつく溢水などをいい、これを超える雨は、異常な豪雨として、予見可能性がないか、あるいはその被害に回避可能性のないものとみるべきである。
ロ 河川における「社会通念上相当と認められる危険防止措置」とは、前記(三)に述べた各種の制約を考慮して相当と認められる程度の措置をいい、従つて、右制約事由から危険防止措置が未だとられていないことがやむを得ないと認められる場合、あるいは改修事業に時間を要し、その途上であることがやむを得ないと認められる場合、また、河川の管理が流域の急激な変化に対応し得ないことがやむを得ないと認められる場合には、管理責任は問い得ないと解すべきである。
(五) 本件における河川管理責任の見方
(1) 一般的見地
要するに河川の管理とは、河川の安全性を高からしめることであるが、それは原則として政治的責務であり、健全な社会通念に照らして河川の安全確保のための作為に当然にでるべき特段の事情が存するときは、例外的にその不作為は違法性をもつに至り、その特段の事情とは、財政上、技術上の制約を十分に考慮し、作為にでなかつたすべての事情(管理者・受益者双方の事情)を斟酌して、なお作為に出ることが当然と考えられる場合をいうのである。河川管理責任を論ずる学説の大部分も右河川の特殊性を前提として、何らかの形で河川管理責任を限定している。結局、水害について河川管理の瑕疵(国賠法二条)を問われるのは、管理者が結果回避義務に違反したとき、即ち水害被害の防止または軽減措置ないし河川の安全確保措置を懈怠、放置したときであるが、これは河川の特殊性・河川管理の限界よりして制限的に解さるべく、その法的義務は個別具体的事情のもとにおいて、健全な社会通念に照らして判断さるべきである。これを本件についてみれば、
① 大阪府の河川改修状況および寝屋川水系全体の改修計画の実施状況の中にあつて、本件未改修部分が未改修であつたことが財政上、技術上、止むを得なかつたかどうか、
② 本件未改修部分に本来の改修順位を繰り上げる程の緊急の危険性があつたかどうか、
③ 改修作業に着手され、その途上にあつた場合それを阻害する事由(制約事由)があつたかどうか、それを除去する努力がなされていたか、また除去のための止むを得ない期間であつたかどうか、
④ 被害者側に被害を避ける方策があつたかどうか、その努力がなされていたかどうか
がその考慮さるべき事情となるのであるが、この点は、更に後記2に詳述する。
(2) 都市水害の特殊性
加うるに本件水害は都市水害である。都市水害とは、人口の都市集中により河川の都市周辺低地部が宅地開発され、従前遊水池としての役割を果していた田畑、原野が消失したこと、それに上流流域の開発や地盤沈下も加わつて、異常豪雨の際に、中小河川や農業用排水路や下水路で氾濫や内水滞水が起つて住宅密集地に浸水被害をもたらす現象をいうが、そこには、前記河川の管理責任に加え、左の特殊性が考慮されなければならない。
イ 都市水害は、近時の急激な人口偏在化現象がもたらした最近の現象であるから、これに対応する河川の整備はいまだその途上の段階にあり、ここ十数年のすさまじい宅地開発に対応する河川の整備は到底これに追いつけない。
ロ 従来であれば家を建てるにあたつては水や風や土砂崩れ等の自然現象に注意を払い、それらからの被害を避ける努力が自らなされたが、近時の住宅はそのような配慮に欠け、低地で明らかに水がつきそうなところでもわずかな土盛で住宅を建て、地価が安いこともあつて、そのような住宅非適地が先に宅地化する。かかる事態は従前の河川改修計画策定上の予想外のことである。
ハ 都市水害が発生する都市化地域の地価の高騰は著るしく、しかもともすれば権利関係が複雑化していたり、住民の生活権問題がからみあつたりして、河川改修に必要な用地取得に普通以上の困難性が伴う。
なお、被控訴人らは都市水害の発生原因が無秩序な都市開発等の都市政策の欠如に起因するとし、あたかもこれについての責任をも問うかの如き主張をするが、本件は谷田川の管理瑕疵が問われている事件であり、都市政策等についての主張は河川管理者の管理限度を越えた政策論議である。
2 c点附近狭窄部未改修と管理瑕疵の不存在
本件浸水がc点附近からの溢水によるものではないことは既にAで詳述したところであるが、仮にc点附近からの溢水があり、これも本件浸水の原因をなし、右溢水がc点附近狭窄部の未改修により生じたものとしても、次の諸事情よりして、右未改修のままであつたことは止むを得なかつたのであり、前記河川の管理責任のあり方と都市水害の特殊性に照らし、その不作為につき法的責任を負わねばならぬ違法性はなく、河川管理瑕疵はないというべきである。
(一) 寝屋川水系河川の改修状況
谷田川は寝屋川の支川であるから、その改修は寝屋川本川の改修等、寝屋川水系全体の改修状況の中で判断されるべきところ、その整備改修状況は次のとおりである。寝屋川流域は、往古は海であつたところが淀川、大和川および生駒山地河川の流送土砂の堆積によつて造成されたものであつたため、低湿地やたまり池が多く、戦前は住宅不適地として宅地化がそれ程進んでいなかつたが、戦後は急速に市街化が進行し、昭和三〇年から昭和四五年にかけて人口は2.5倍に急増し、農地は三分の一に激減した。かかる都市化とともに、それまで被害として認識されなかつた内水氾濫が浸水被害として顕在化し、これに対応する治水対策が始まつたわけである。その始めの第一期改修工事は、昭和二五・六年頃から計画検討に入り、閑静な田園都市としての開発を想定し、計画高水流量を毎秒五三六立方米として昭和二八年から着手し、①鴻池水門の改築(昭28〜30)、②平野川分水路の開削(28〜38)、③最下流部浚渫(29〜38)、④第二寝屋川開削(30〜43)、⑤寝屋川水門ポンプ場完成(40)をみたが流域の予想外の急激な都市化により、昭和四三年に基本高水流量を約三倍の約一六五〇立方米に変更して、本川から支川へと順次改修を進めており、谷田川合流点附近の改修は昭和四五年に完成したので、昭和四六年以降から支川の改修に着手した。その間の投資額は左のとおりであつて、大阪府全体事業費(昭和二八〜五〇年度)の昭和五〇年度換算二、四七二億円の五〇%にも達する。
昭和二八〜四三年度 177.5億円
(昭和五〇年換算 450.6億円)
昭和四四年〜四六年度 133.5億円
(同 248.6億円)
昭和四七〜五〇年度 405.9億円
(同 481.5億円)
計 716.9億円
(同 1180.7億円)
このほか、内水対策たる流域下水道事業が昭和四〇年に相当の投資額で行われ、同程度の規模の水系に対する投資額は全国一であるにも拘らず、その全域の改修はいまだ完成せず、毎秒一、六五〇立方米計画を完成させるには、昭和五一年度以降約二、三〇〇億円の事業費が必要とされているのである。
(二) 谷田川の改修状況
谷田川の改修計画は、昭和四一年に一級河川指定区間の改修規模および断面についての一応の技術基準が定まつた。その実施経過は次のとおりである。
昭和四一年度 国鉄片町線複線化に伴う関連部分工事
昭和四二年度 右残工事
野崎駅前下流防災工事(板柵工)
昭和四三年度 大阪外環状線道路の新設に伴う交差部分工事
昭和四四年度 下流部用地買収着手
片町線交差部下流の羽口工(注)
昭和四五年度 野崎中川下流端取付工事
片町線交差部下流羽口工
野崎駅前左岸羽口工
昭和四六年度 下流端左岸の改修
下流端右岸の羽口工
野崎駅前用地取得事務の大東市委託(後記)
昭和四七年度 (水割前)下流部用地取得完了
野崎駅前附近の用地取得促進
(注) 羽口工とは土俵積によるかさあげ防災工事をいう。
以下のとおりであるが、右昭和四一年度の国鉄片町線複線化工事に伴う関連部分工事は、当時の谷田川が国道一七〇号線より西へ1.5米ほどの川幅で流下し、片町線をくぐり、集落の中を南下して南津の辺水路を合わせ、片町線を再度くぐつてc点上流に至つていたのであるが、その状態のまま片町線の鉄橋を新設すれば、後日の河川改修のとき、鉄道の下で河川を拡げるという大工事が二個所で必要となり、大きな手戻りとなること、集落の中での河川拡幅は非常に困難であること、当時の河川の位置では計画流量の流水を流下させるのに非常に線型が悪いこと、から現状のとおりに片町線に沿つてその東側を直ちに南下させて、c点上流に直線で継いだ工事(いわゆるショートカット)であるが、これについては、その区間が極く短かく、しかもその上流(a・b点間)が従前のままであるため上流の流下能力以上の流量はこの部分に流達し得ず、むしろ河道の拡幅による遊水効果によつてc点狭窄部の負担も軽減されることから、ab間とc点附近の断面検討もなしたうえ、下流に対する影響は全くないとの判断の下に、昭和四二年にかけて、先行投資事業として行われたのである。
また昭和四三年度大阪外環状線道路の新設に伴う交差部分改修工事は万博関連工事として行つたものであるが、これも前同様二重投資を避けるため先行投資としてなされたもので、勿論下流への悪影響がないことを確認の上行われた。そして谷田川の下流からの改修は、前記のとおり寝屋川の谷田川合流点附近の改修が昭和四五年に完了したので、昭和四六年より五一年を目標に行い、四六年度には下流端より約三の一の用地取得を完了し、一部下流端左岸の改修に着手したのであるが、右本川の改修をまつて着手されたことは相当であり、大阪府下の他の河川の改修状況(乙第三一号証参照)ないし前記寝屋川水系の改修状況よりして、この種の河川としては早い方であり、改修時期について批難されるところはない。(なおこの谷田川改修は昭和五一年に完成したのであり、延長2.4粁に過ぎない小河川でも六年の年月と約二六億円の費用を要しているのである。)
(三) 野崎駅前部分の改修経過
谷田川の野崎駅前部分の改修には、九戸の店舗を含む二九戸の立退と用地取得を行わねばならず、その対象者の生活上の問題から短日時の解決は困難であると判断し、控訴人府は昭和四三年一一月に地元に工事説明を行なつたのを皮切りに、左の如き経過を経て、昭和四六年六月五日大東市に対し用地取得等についての委託契約を締結するに至つた。
昭43.11 地元工事説明
44.10〜11 計画予定区域内物件調査
44.12 土木部河川課・枚方土木事務所協議(買収・補償、改修方法等について)
45.1〜2 所有者との交渉および物件調査
45.5 大東市との協議(改修促進について)
45.6 土木部河川課、用地対策室、枚方土木事務所と協議(所有者との交渉について)
〃 大東市、枚方土木事務所協議(東側住宅の買収、調査等について)
45.6〜7 所有者との交渉(代替用地問題等)
45.7 物件等調査委託(業者委託)
45.9 枚方土木事務所、大東市協議(経過説明)
〃 委託調査による物件確認
〃 用地対策室、河川課、枚方土木事務所と協議(占有者の取扱等について)
45.10 枚方土木事務所長、大東市長協議(協力依頼)
〃 枚方土木事務所、大東市協議(用地補償、工事、買収の進め方等について)
45.11 枚方土木事務所、大東市協議(関係課長協議)
〃 枚方土木事務所事務処理検討
46.1〜2 委託契約について河川課、枚方土木事務所と協議
46.3〜5 委託契約について大東市と協議
46.5 大東市委託契約了承
46.6 枚方土木事務所、大東市と協議(工事施工法)
〃 大東市谷田川工事説明(地元関係者)
〃 委託契約締結
かくて大東市は用地取得の交渉に入り、昭和四六年末には一五の物件補償と約六〇〇平方米の用地取得を終え、その余の用地取得について鋭意交渉中、本件水害の発生をみたのである。河川上の家屋所有者は、戦後間もなくから住み、長年にわたり地域社会とも強く連帯し、生活基盤が形成されていたので、この様な長年の事実状態より、一級河川指定後も占用許可を与えてきたのであるが、前記用地買収交渉が軌道に乗つた昭和四六年四月以降は占用許可の継続をしていない。(被控訴人らは、立退の促進をしないことを行政の怠慢と主張し、本件水害後の促進を指摘するが、それは本件水害が地元の認識を強めて、その協力が得られたためであつて、用地買収の現実を知らない者の謂である。)
(四) c点の危険性について
原判決は「河川の改修は下流から逐次上流へ及ぼすのが通常の方法であるのに、昭和四一年の国鉄片町線複線化工事に伴ない、急拠c点附近から上流部分だけを先に拡幅整備したため、その下流部分にあたるc点に極端な狭窄部分が生じて、結果的にはこれが放置された状態になつたのであるから、河川管理者としては、住宅密集地域にかかる特異な危険個所が残存する以上、緊急に改修する必要が極めて高かつたものであり、他に優先しても早急にこれを除去整備すべき責務があつた」と判示するが、c点上流の改修はわずかの区間のショートカットと拡幅であり、その上流はa点およびab間は従前のままで、流れ込む水の量は変らず、a、bまたはab間流下能力の方がc点流下能力より小さい(乙第二九号証、検証写真参照)し、南津の辺水路もその上流は全く溝に等しく(乙第三〇号証)、また数個所は暗渠状になつていて、その流量は自ら制限を受けc点に与える影響は全くなかつたのである。また、この狭窄部分は、上流の改修によつてはじめて狭窄となつたのではない。付替工事はb点からc点上流約五〇米の地点までであり、その直下流は一級河川指定以前からc点よりも川幅が広く、護岸も設置されていたのである。しかして、その改修を放置していたものでないことは、前記のとおりであつて、その解決に多少の日時を要することは止むを得ず、決して非難されることではない。
かえつて、右付替工事の後も、c点狭窄部分において水害と結びつく危険な状態に至つたことはこれまでになく、前述の水理解析・実験で解明し得た如く、寝屋川本川水位の異常な上昇の影響がない限り、多量に溢水し危険な状態をひき起こすことはなく、そこを局所的にみれば、急に河幅が狭くなつていかにも危険であるかの如くみえるが、そこには何ら特異な危険性はなかつたものである。
(五) 本件浸水地域の危険度
本件浸水地域は、以前は湿田であつて、浸水があつても被害としては現われなかつたところであり、被控訴人らが居住するようになつてからも、まだ年数が浅く特段の問題はなかつたのである。寝屋川水系中でも生駒山系に源を発する河川は十数河川あるが、その中で特に谷田川が危険度が高いわけではない。前記原判決が、狭窄部分について特異な危険個所であり、緊急に改修する必要が高かつたというのは、c点附近の局所のみに目を奪われた判断であり、谷田川はa点からの全体を見た場合もともと川巾の狭い川であつたのであり、その一部において河道が大きくなつているに過ぎず、特異な個所では全くなかつたのである。被控訴人らの改修の陳情も未改修部分を特異な危険個所であると認識してなしたものではなく、甲路の改修を問題とし、その改修が谷田川の改修にかかつていると考えてなしたものであり(甲第二二、二三号証)、谷田川に他の河川より優先的に改修しなければならない程の危険性があつたとは考えられない。
(六) 住民の責務
本件被害地域の大半は古くから湿田として利用され、出水時には貯水機能を果たしてきたところである。こういう所に住宅を建てるに当つては、相当の土盛りをするなどの自然条件に応じた方策が講じられて然るべきである。その程度の結果回避の方策をとることは住民の責務であり、もし被控訴人らにおいてかかる方策を講じていれば、本件水害被害も避けられたとも考えられ、かかる事情は、河川管理者の不作為の違法性を判断するについても斟酌さるべき大きな要素とみるべきである。
3 浚渫について
谷田川の浚渫は昭和四二年一一月から昭和四三年二月にかけてc点附近を含む久作橋上流三〇米の地点から寝屋川合流点までの区間を行つたほか、昭和四四年六月に国道一七〇号線下流附近で三〇米の、昭和四五年七月から一〇月にかけて
表1
寝屋川水系の過去の災害記録
発生年月日
総雨量
(mm)
24時間雨量
(mm/24hr)
1時間雨量
(mm/hr)
災害
昭和
27.6.23~24
117.5
116.9
11.8
浸水面積A=30km2(床下浸水3,551戸)
27.7.2~3
149.0
119.9
20.2
A=35km2
27.7.10~12
179.0
168.9
31.4
A=74km2
床上浸水2,636戸 床下浸水16,850戸
28.7.19
100.3
100.3
30.0
A=28km2
28.9.25
176.1
154.4
32.1
A=76.7km2
床上浸水3,200戸 床下浸水48,553戸
32.6.26~28
292.2
283.8
60.0
被害大(記録なし)
(床上・床下121,819戸)
42.7.8~9
123.0
65.3
26.2
A=26.5km2
床上浸水894戸 床下浸水22,796戸
43.7.2
105.0
105.0
10.5
床下浸水1,220戸 ( ) 床下浸水24,083戸
44.6.22~25
122.0
117.5
25.0
床上浸水1,008戸 ( ) 床下浸水28,239戸
47.7.11~13
300.0
188.5
22.5
A=17.8km2
床上浸水5,923戸 床下浸水30,422戸
降雨:大阪管区気象台
災害発生年月日:「東大阪地域防災総合対策のための計画調査報告書」
都市科学研究所
( )内災害戸数は大阪府下全般
同所で一六三米の、昭和四六年五月から六月にかけて野崎橋下流附近で二〇米の各区間を行つており、その都度全体の必要個所をチェックした上でなされたと考えられるから、その時点ではc点附近の浚渫の必要はないと判断されたものと推定できる。しかして、左のとおり谷田川の浚渫は他の同種河川と比較してみても決して少くない。
昭42〜47 一粁当り浚渫回数 同浚渫土量
恩智川 1.0回/km 八八三m3/km
長門川 2.8 一六九一
たち川 0.7 一五五〇
岡部川 0.9 一七三六
谷田川 1.7 一六七五
C 共同不法行為責任について
1 民法七一九条の共同不法行為が成立するためには、各人の行為がそれぞれ独立して不法行為の要件を充すものでなければならない(最高裁昭和四三年四月二三日判決・民集二二巻四号九六四頁)から各人の行為と結果発生との間にも、それぞれ因果関係が存在していなければならないとともに、各人の行為の間に、いわゆる客観的関連共同性が存する場合でなければならない。右各人の行為と結果発生との個別的因果関係を要求することが、同条により共同不法行為者間に連帯責任を負担させる重要な機能を果すものであるとともに、他方客観的関連共同性の存在は、これにより全員に連帯責任を負担させようとするものであるから、厳格に解されねばならず、これを無制限に拡大する虞れのある要素をもつて認定するときは、共同不法行為成立の限界はなきに等しいものとなろう。
2 しからば、原判決の「各人の行為と結果発生との間の個別的因果関係の存在を必要とするときは、その立証がなされた場合は各人は当然に民法七〇九条による責任を負うこととなり、行為の関連共同性という要件を附加するところの共同不法行為の規定は無用のものとなるから」各人の行為と結果発生との間の因果関係は「共同行為と結果発生との間の因果関係の存在をもつて足りる」との立論は誤りであるし、また原判決が客観的関連共同性について、(一)谷田川と本件水路は地形的、機能的関連を有し、(二)谷田川と本件水路の管理との間には行政的関連性を有し、(三)溢水が時間的、場所的に接着しているから密接な行為の客観的関連共同性があり、谷田川と本件水路の瑕疵の一方にかかわりなく他の瑕疵のみによつて生じたものと認むべき証拠もない本件においては、控訴人らの瑕疵が並存することによつて、共同不法行為が成立するとしているのも、事実認定および解釈に重大な誤りがあるというべきである。
何となれば、右原判決が関連共同性ありとして掲げる(一)については、谷田川も本件水路も以前より自然的にそこに存し、流水流下という同じ機能を果しているに過ぎないのであり、かかるものをもつて行為の関連共同性があるとはいえず、(二)については、行政的関連性なる概念自体不明確にして、両管理主体は異なるから、行政的にも関連性をもつことはなく(計画の整合性や用地取得の委託はその認定要素たるべきものではない)、(三)については、単にそれだけで関連共同性を認めるのは不当である。そして原判決は、本件水害は谷田川の管理の瑕疵と本件水路の管理の瑕疵とが相まつて生じたというのであるが、瑕疵の並存は直ちに共同行為とはいえない。仮りに谷田川の溢水が認められてもごくわずかであつて、本件水害に影響するところがほとんどなかつたのであり、かかる場合管理の瑕疵の並存をもつて共同行為により結果が発生したとは到底いい得ず、谷田川の管理の瑕疵と本件被害とは因果関係がないものといえる。
D 損害について
1 被控訴人らの包括一律請求は理由がない。これが排斥されたのは当然であるが、更に具体的な個別的事情を検討することなく、損害を一律に認定するのは、実質上包括一律請求を認めることとなつて相当でない。
2 被控訴人らは本件浸水地域が低湿地帯であり、容易に水につかり易いところであることがわかるのに、それに対応する土盛り等の防止措置をとらず家を建てている事情は、損害額の算定にあたつて充分に斟酌されるべきである。
3 被控訴人宮城忠儀の営業損害につき、冷蔵庫内に入つていた肉類の腐敗は、自ら冷蔵庫の電気を切つたのに、中の肉類の腐敗を防ぐ手段を講ぜず漫然腐敗するにまかせたためであるから、その損害は、本件水害と因果関係はない。
E むすび
人間と自然の係わりあいの歴史は、いかにして自然の猛威による災害を克服するかの努力の歴史でもあつた。それは、人間の叡知をもつてしても、いまなお終章をみることのできない苦闘の歴史である。
本件水害訴訟は、河川の管理責任を「法的」に問われているものであるが、自然の中にある河川の特性及び河川管理の限界制約を認識するならばその判断は、おのずと明らかになるといえるのである。裁判所には、これまで控訴人が詳論してきた本件事案における事実認定のあり方、それを科学的に裏づける水理解析・模型実験の結果、河川管理責任のあるべき姿などを十分斟酌して、微視的な議論に惑わされることなく、広い視野に立つて実情にあつた適正妥当な判断が望まれるのである。
(控訴人大東市)
A 本件水路は国有財産であることについて
1 本件水路は、国有財産法第三条第二項第二号の「公共用財産」であつて、同第二条中の「法令の規定」により国有となつたものである。右「法令」とは、明治六年三月の太政官布告第一一四号「地所名称区別」および明治七年一一月七日太政官布告第一二〇号「地所名称区別改定」等の地租改正関係諸法令である。
2 法定外公共物は、現行法制上国有財産として取扱われている。
(一) 法定外公共物は、新国有財産法(昭和二三年法律第七三号)の制定、施行により、国有財産でなくなつたものではない。旧国有財産法(大正一〇年法律第四三号)は国有財産を公共用財産、公用財産、営林財産、雑種財産の四種に分ち、道路、河川、水路等の公共用物は公共用財産に属するものとしていた。新国有財産法は、国有財産を行政財産と普通財産とに大別し、行政財産を公用財産、公共福祉用財産、皇室用財産、企業用財産の四種とし、「公共福祉用財産」の範囲は「国において直接公共の用に供し、若しくは供するものと決定した公園若しくは広場又は公共のために保存する記念物若しくは国宝」に限定され、従来公共用財産とされていた「国において直接道路、河川、水路、港湾その他公共の用に供する財産であつて公共福祉用財産以外のもの」は「公共物」と称され、異なる会計間の所管換や台帳、報告書および計算書の点で、若干別異に扱われていた(旧法第一五条、第三八条)。
(二) 右新法が旧法上の公共用財産の概念を廃したのは、当時、公共性の顕著な公共物については、国は単に一般公衆の使用に供するよう提供しておけば足り、国の所有権を特に意識する必要がなく、それが民主的であるとの考えに基づくものであつた。しかし、それでは、かえつて公共物に対する管理が全うできないことから、昭和二八年法律第一九四号により新法を一部改正して、旧法同様「国において直接公共の用に供し、又は供するものと決定したもの」という「公共用財産」の概念を復活させ、改正前の公共福祉用財産と公共物とを統合、整理して、旧法と同様の公共用財産の観念を認めたのであるから、右改正の一経過をとらえて、法定外公共物に対する国の所有権が否定されたと解することはできない。
3 法定外公共物は、行政実務上、旧来から一貫して国有財産として取扱われ、管理されている。
(一) 行政実務上、前記明治七年太政官布告第一二〇号が国有財産法第二条第一項中の「法令の規定」に当ることを前提に、法定外公共物は、建設省所管の国有財産とし、その管理権は国の機関としての都道府県知事に委任されるとの立場にたつている。被控訴人らは、国有財産法第九条三項、同施行令第六条第二項に基づく昭和二四年二月一九日の建設大臣から大蔵大臣あて協議文書および同年三月一六日の大蔵大臣から建設大臣あての回答文書によつて成立した協議を無効とし、その根拠として、公共物が国有財産法上の財産でないこと、協議の対象が「公共物たる普通財産」となつていることを挙げている。しかし、新国有財産法は、公共用財産の範囲から除外はしたものの、「公共物」として取扱いを規制し、行政実務上は、一種の普通財産と解され、取扱われていたのであり、右公共物についてその十分な管理がなされなければならないことは、むしろ同法の趣旨であつた。そこで、公共性の強い公共物を、国の私物たる一般の普通財産同様に大蔵省の所管にすることは管理の適正を期するゆえんではないと考え、旧内務省の所管であつた河川・道路行政を承継している建設省の所管であることを前提に、その管理事務を「従来通り」都道府県知事に取扱わせることになつたのである。そしてその後、前記のとおり公共物が行政財産となつたのであつて、右協議は現行法上も適法、妥当である。
(二) 前記(一)の建前は、行政管理庁もこれを承認し、その前提で立論を展開しており(丙第一四号証一四頁)、都道府県知事は、里道、水路などの法定外公共物について民有地との境界を確定明示し、またはその占用を許可するなど管理を行い、一般私人も地籍図等に青や赤で表示された水路、里道は国有地であると意識して、府県の土木事務所に境界明示や占用許可申請を行つている。
本件水路についても、大阪府知事は公有土地水面使用規則(丙第一号証)を制定し、境界明示や占用許可を与えて使用料を徴収し(丙第三、第一九号証)ており、原審では相被告国、大阪府もその国有であることを認めていたのである。(これを国有でないとする原判決は従来の行政実務、取引常識を根底から覆えし、行政運営に与える混乱と影響は図り知れない。)
(三) 原判決は「本件水路については、当該水路及び地域住民と最も密接な関係にある普通地方公共団体である」控訴人市がその管理権を有するとしているが、地方自治法第二条第三項第二号にいう「管理」の範囲・概念はきわめてあいまいで、道路法や河川法等のように明文の規定がなく、しかもその所有権を有しない場合には、使用関係を規制したり、水路敷地を侵害する行為を排除し得ず、管理責任を果すことは不可能である(奈良県ため池保全条例に関する最高裁昭和三八年六月二六日大法廷判決・刑集一七巻五号五二一頁参照)。また農地転用、宅地造成、建築許可などに関して許可の権限のない市町村が、「当該水路及び地域住民と密接な関係にある」ことのみを理由に、都市排水路の法的管理責任を負担しなければならないのも不合理であり、地方自治法にいう用排水路の「管理」とは、「設置」や「使用する権利を規制」することと並置されていることからも窺えるとおり、当該用排水路の所有権を有し、または所有者や管理権者から管理権を委任された場合、若しくは条例を制定して管理意思を明確にした場合をいうのであつて、この規定自体が地方公共団体の管理権を創設し根拠づけるものではない。
因みに、昭和四七年法律第四七号による河川法第一〇〇条の一部改正で、一級河川および二級河川以外の河川で市町村長が指定したものについて、原則として、二級河川に関する規定を準用することとし、普通河川を準用河川に指定する途を開いたが、このことは、本件水路のような法定外公共物たる普通河川については、市町村長の指定または条例、規則が制定されない限り、当然に市町村長の法的管理責任のないことが法律の前提となつていることを示すものである。
B 本件水路の管理の性質について
1 原判決が、本件水路の管理事務は、住民の権利義務に制限や影響を及ぼすことはほとんどないとして、これを「行政事務」に該当しないと判断したのは、水路の管理責任を全うするうえでの権力的規制の必要性を看過したものである。原判決は「本件水路の排水機能を維持・管理するという通常の管理行為」といい、土砂等の浚渫工事程度のことを念頭に置いているようであるが、これは水路管理における権力的行為を除外するための不当な立論である。
2 都市排水路にあつては、排水機能を維持することが水路管理行為のすべてであるが、それには、単に土砂等の浚渫をするだけでは不十分であり、(1) 水路管理上支障を及ぼすおそれのある行為を制限、禁止し、または許可を受けさせること、(2) 水路敷を使用、占用するについて許可を受けさせること、(3) 同じく工作物を設置し、または除却する場合に許可を受けさせること、(4) これらの違反に対し原状回復を命じ、または違反工作物を除却すること、(5) 必要な場合はこれらの違反に罰則を科すること等の包括的規制が要求される。これらが権力的規制行為であり、条例の制定を要する行政事務たることは明らかである(丙第一一号証参照)。
本件水路に関してかかる権力的規制は所有者である国の機関委任をうけた大阪府知事が行つている(丙第一号証)。また行政管理庁も地方公共団体においては、条例を制定しないかぎり、普通河川に対する管理権はなく、行政上の管理をする必要がある場合には条例を制定してこれに基づき管理を行うべきこととしている(丙第一一号証)。
C 本件水害との関係について
1 本件水路の管理に瑕疵はない。
(一) 地方公共団体は、水害の発生を防止するため万全の措置を講じ、もつて、住民の生命、身体、財産を保護すべき行政的責務を負つてはいるが、そのことは、河川や水路等の自然公物につき、法律上、絶対的安全確保義務を負つているものではない。
河川や水路は、もともと危険を内在しているが故に、その管理責任者は、これに改良工事を施してその安全性を高めていくべき行政的責務を負つているが、治水施設を設けず自然のまま放置しておいただけでは、管理責任を問われない。その行政責任と法的責任とを峻別して、瑕疵の内容を認定すべきであり、ことに水路についての瑕疵の有無については、旧来の水利慣行等当該水路の機能およびその置かれている地形的状況などの関係で判断されなければならない。
(二) 本件被害地域は、旧大東市大字深野新田の東端に位し、甲水路は、その西側先端部が谷田川の下流部と合流し、農耕用灌漑期には、右合流点より取水し、甲水路を通じて深野新田全域に灌漑していたのである。また甲水路は、もともと谷田川の下を、同一断面の連続する水管で連絡、通水していたが、明治二八年鉄道の敷設により現在の国鉄片町線下の部分が暗渠となつたが、もとより、その管樋等は控訴人が設置したものではない。このような甲水路の本来的機能および埋設管布設の経過に鑑みれば、甲水路の水を甲水路上部の谷田川に排水することが控訴人の法律的義務であるとはいえない。控訴人が、ポンプを設置したのは、行政責務を果す見地からの事務管理行為であつて、これを怠つたことが甲水路の管理瑕疵に当るものではない。
乙路は谷田川からの水をかんがい用に取り入れていたのであつて、谷田川への排水を目的とした構造ではないうえ、乙路と谷田川との合流部分を閉塞したのは控訴人ではない。
2 本件水害の原因は本件水路の管理瑕疵によるものではない。
本件水路(甲路)は、通常の降雨量や内水であれば、これを排し得ていたものであり、本件水害は、七月豪雨の異常な降雨量と、谷田川からの溢水との水量自体が、甲路の受水可能限度を越えたものであつて、本件水路の管理の瑕疵とは無関係である。
(一) 本件水害の直接の原因は、谷田川からの溢水が甲路および本件被災地域に流れ込み、甲路自体および附近一帯が冠水したことによるものである。(甲路が満水状態になつたのは、七月一二日午後以降のことであり、同日午前一一時過頃は、甲路は満水状態になく、乙路、甲路間の田畑に滞水した水が甲路へ溢れ出るという状況でもなかつた。)また甲路末端の谷田川下流の取水口附近も溢水し、甲路自体東から西への通水が妨げられていて、東から西への甲路本来の疎通能力を問題とする余地なく、一方谷田川の流れ込んでいる寝屋川の水位も高く、久作橋より下流の谷田川も満水となつていた。かかる状況下で、甲路から、甲路より高い位置にある谷田川にポンプ排水することは無意味である。
(二) これらの点につき、寝屋川本川水位上昇の影響については、控訴人国・大阪府のAの1(三)(1)イロの主張を援用する。
(三) 被控訴人らはメイストーム時のポンプ排水によつて甲路からの溢水がなかつたことをもつて、本件水害時の管理瑕疵を論証しようとし、原判決もこれを採用しているが、左のとおり、メイストーム時と本件水害時とは比較にならない。
(1) 七月豪雨時の一時間最大雨量は一九粍であり、メイストーム時のそれは一六粍であつて、時間雨量も異るが、河川、水路に影響を及ぼすべき雨量を問題とする場合、時間雨量を比較すること自体不当であるうえ、日雨量、連続雨量のいずれをみても、七月豪雨の方がメイストーム時よりはるかに多く、七月豪雨時の雨量は過去の統計上も上位にランクされており、異常であつたことは明らかである。
(2) 両者の浸水状況を比較すると左のとおり比べものにならないほどメイストーム時の方が軽い。
(七月豪雨時)(メイストーム時)
床上浸水地域数 四二 三
同 世帯数 二、二八七 九
床下浸水地域数 七二 一六
同 世帯数 三、〇三七 二九二
(3) 被控訴人ら自身メイストーム時の雨についての実感は薄く、さらにメイストーム時には谷田川からの溢水もなく、また甲路流末にも溢水がなく、東から西へ正常に通水していた。
(被控訴人ら)
A 控訴人国・府の「異常豪雨」説について
1 短時間雨量の重要性
(一) 控訴人らは、大阪府下全域での過去の災害と、その際の一時間最大雨量および積算雨量との関係を示した一般的データを疫学的に用いて、本件水害の原因を積算雨量の異常性にあるとする。しかし、かようなデータはあくまで一般的なものにすぎず、本件の具体的浸水原因を明らかにする資料にはなり得ない。なぜなら、各地域の水害原因は、一般的に雨量との相関によるほか、各地域の特異性を考慮に入れた「必須要因」を探り出さなければ意味がないからである。
(二) 本件におけるこの「必須要因」はc点の未改修ということである。そして、c点からの溢水という事実に最も影響を与えるものは、c点の疎通能力と対比した同点への雨量の到達流量であり、それは、谷田川のような小河川では、流域からの到達時間が非常に短かいので(概ね一五分から二五分)、短時間雨量が決定的な影響をもち、従つて、一時間雨量、いやむしろ一〇分間雨量を基準とすべきことが要請されてくるのである。
(三) 七月豪雨における短時間雨量は、最大時間雨量においても22.5粍であり、平均時間雨量はわずか七ないし八粍程度で、それも断続的に降つていたのであつて、決して異常な降雨ではない。因みにc点からの溢水が七月一二日午前九時前から始まつていたことは、c点がごく普通の降雨でも溢水することを示しているのである。
2 総雨量の主張について
(一) 控訴人ら援用の「寝屋川水系の過去の災害記録」(表1・図1)によつても、寝屋川の計画高水流量の基礎となつた昭和三二年六月二六日ないし二八日の降雨は、本件七月豪雨よりはるかに大きい。八尾における右両方の降雨を比較してみる(甲第二六号証から引用)と、本件七月豪雨は、昭和三二年六月降雨に比し、一、二、三時間雨量のいずれにおいても三分の一以下、六時間雨量に至つては四分の一であり、一二時間および二四時間雨量でほぼ二分の一となつている。本件七月豪雨は右昭和三二年六月降雨に比し、いささかも異常ではない。ただ単位時間を無視した総雨量で比較すると辛うじてほぼ等しくなり、そこで控訴人らは総雨量しか持ち出せなくなつてきたのである。
(二) しかし、その総雨量なるものを吟味、検討してみるに、
(1) まず第一に、控訴人らは「長時間降雨」「二四時間雨量」「総雨量」という概念を統一した基準によつて用いておらない。すなわち、控訴人らのいう「総雨量」というのは気象統計的には、単に累積雨量をいうに過ぎず、気象台が観測記録している「日雨量」とは基準が異つている。
(2) そのように控訴人らのいう総雨量は、七月一〇日二二時から一三日の二四時までの七四時間の積算雨量をいうものと解されるが、そのように単位時間を無視して他との大小を比較することには特段の合理性はなく、何ら異常性の論拠とはなし得ない。例えば、時間雨量四粍で三日間降り続いて総雨量二八八粍となれば、その降り方も総雨量も「異常」とされるかも知れないが、それでc点溢水は起らないであろう。本件水害との関係では短時間雨量の方がはるかに重要な意味をもつのである。しかも、一一日一二時から一二日六時までは全く雨が降らず、その降雨は一八時間もの間隔のある二つのブロックに分かれているのであるのに、控訴人らはこれを一つのブロックとみなして総雨量とするため、次のような自己矛盾に陥つている。すなわち、控訴人ら援用の水理計算の中で、損失雨量曲線の作成に用いる流出量計算に当つて、その前期雨量は降雨開始前の一二時間の降雨を考慮に入れれば足りるとして、結局前期雨量の影響がまつたくないものとして一二日早朝からの降雨による流出解析をなしたのであるが、かように流出解析に当つては、できるだけ流出量を少なくするという配慮から、一二時間無降期間があれば、それ以前の降雨はこれを無視しながら、他方降雨の異常性の印象づけのためには、一八時間の無降雨期間を無視して、その前後の二つの降雨ブロックの雨量の単純累加量の援用をあえてしているのである。
(3) 右(1)、(2)を前提にして考えると、七月一二日六時から八時頃は、寝屋川合流点水位はOP約2.4で(乙四七号証七三頁)、全く平常水位に戻つていたと思われるから(すなわち、前記一八時間の無降雨期間で、別別の雨としてとらえ得る状態となつていたのであるから)、七月一二日六時以降の総雨量は一六八粍とするのが合理的である。
B 控訴人国・府の内水洪水説について
1 c点溢水について
七月一二日午前九時過、野崎駅前附近住民から大東市に水害の危険発生の連絡があり、大東市では直ちに職員を現場に派遣するなどの対応を示していた。だとすれば、大東市はその頃c点附近の状況を確認していたことになり、控訴人らの主張に沿う目撃者が若しあれば探し出すことは容易だつたであろうに、それをし得なかつたことは、そのような目撃者はなく、かえつて大東市関係者もc点溢水事実を知つていたことを如実に物語つている。だからこそ控訴人市も当審においてその主張を変更し、検丙一、二号証を援用してc点溢水の事実を主張するに至つた。
2 内水洪水説の誤りについて
後述するとおり控訴人ら援用の水理解析・実験は事実とまつたくかけ離れたものであり、その溢水量の湛水量中に占める割合の主張も、著しく過少である。内水洪水なら、何故に大東市が久作橋附近参道に土のうを積み、谷田川から溢れた水を防ぐ必要があろうか。検丙一、二号証によると、野崎参道上の久作橋より見て手前附近に相当の水流があるのに、そこより低地の東側はまつたく冠水していないのは、明白に内水洪水を否定するものである。控訴人らの内水洪水説は全く事実を誤つたものである。
なお、被控訴人らは谷田川の野崎駅前未改修区間からの溢水を問題としているのであつて、c点一点に局限しているわけではない。
3 水理解析・実験の批判
控訴人らはその原審水理計算が破綻したため、差戻前控訴審で更めて解析・実験を提出したが、それにも基本的な欠陥が存する。
水理模型実験は、自然界の多様な現象を決してそのままは再現することができない模型を通じて推定しようとするものであるから、データの信頼性とその用い方は十分適切でなければならない。とくに過去の溢水状況を再現しようとする場合には、一見些細に見える一条件の逸失が実際とは全く違つた結果をもたらす。しかるに本実験は、谷田川の実際と全く違つた形のまま、その与えた流量も恣意的なものにし、そのほか数々の重要な条件を無視、変更し、相違する材料を使用するなど、模型実験の限界を越えた無理な実験であり、その結果と実際との差異は、単なる誤差でなく、質的な相違というべきである。
C 控訴人国・府の管理責任論について
1 一般的河川管理責任論について
(一) 水害天災論の不当性
控訴人らは基本的視点において水害天災論に立ち、河川管理責任を原則として政治的責務であると主張するが、このような考え方は、社会現象としての個個の水害の発生機構についての自然科学的・社会科学的認識を放棄し、且つ自らの河川管理責任を法的追及の枠外に置こうとするものである。過去人類が経過した水害の中には、不可抗力によるものがあつたことは否定できないけれども、近時、とくに昭和三〇年代以降の都市水害の発生原因は、決して異常豪雨などの気象条件にのみあるのではなく、無秩序な都市開発、工業用地下水の汲上げによる地盤沈下、森林の乱伐、農地の潰滅、遊水池の埋立て、灌漑用水路の機能転化と未整備、下水道の不備、等等、いずれも国又は地方自治体の政策ないしその施策に関連するものばかりである。ここに水害天災論の登場する余地はない。
(二) 河川管理の特殊性論―とくに道路との対比―について
控訴人らは、河川は自然公物であり、道路は人工公物であるから、両者の管理責任を同一には論じ得ないという。しかし、国賠法二条は、河川も道路も管理の故に責任を認めるのであり、危険性の発生縁由により区別しない(憲法一七条を淵源とする同法条の立法趣旨、被害者の損害賠償請求を認容することで、その後の行政に大きな転換を迫るその役割からしても、両者の管理責任を区別する必要性は全くない)。元来、自然公物と人工公物の区別は、公物性取得の関係において、公物の実体としての成立過程の差異に着目した概念に過ぎず、道路でも数百年前から交通の用に供されていて人為性の稀薄なものもあり、河川でも古来より瀬替、分水、分離、分流など人為の所産によるものは多く、厳密には平地部では自然としての河川は皆無に等しいのであつて、両者を「人為の所産」であるかどうかで対比判断することはできない。よつて、これを二者択一的に両者の異質性を強調し、被害者救済の視点からすれば一定の到達点に達した道路管理の裁判例とまつたく異る尺度で、河川の管理責任の範囲を限定することは許されない。
控訴人らは、河川と道路の異質性を結果回避手段の有無に求め、道路は廃止、一時閉鎖などによつて事故を皆無にすることが可能であるが、河川においては、水害を皆無にするためには、長大な堤防を構築する等の治水工事を行う外になく、これには膨大な費用と時間を要するという。しかし、廃止や一時閉鎖は危険防止策であるが、堤防の構築は、本来の施設対策でもあり、危険回避手段としての同一次元で比較しうるかは疑問である。道路の廃止や一時閉鎖もその実施は極めて困難で唯一の危険回避手段ではなく、一方河川についても、上流域での山系の保護、遊水池の設置、ダム設備、堤防近辺の緩衝地帯としての緑地の設置など多様な危険回避手段は存したのである。しかるに近時の急速かつ無秩序な都市化はこれらの危険回避機能を破壊したことは先に述べたとおりであり、いわば行政が自らその破壊に手を貸して来たのである。(なお堤防構築による高水工法万能の思想は今日既に見直されつつある。)
従つて、道路と河川とでは危険回避手段の多様性において国賠法二条の適用の可否を論ずる際の本質的差異はない。
(三) 国賠法二条の解釈・適用について
国賠法二条一項でいう「瑕疵」とは「通常有すべき安全性の欠如」と解すべきであつて、そこには、河川に限り限定的に解釈すべきなにものも無く、現に伊勢湾台風堤防決潰事件の名古屋地裁昭和三七年一〇月一二日判決・下民集一三巻一〇号二〇五九頁、矢多田護岸決潰事件の広島地裁昭和四八年二月一二日判決・判例時報七一〇号八八頁においても、右営造物管理責任を河川の特殊性から限定的に解釈しようとする態度はみられない。しかるに控訴人らのように、水害天災論に立つて「健全な社会通念に照らして河川の安全確保のための作為に当然出るべき特段の事情が存するときにその作為にでることが法律上の義務となりそれの不作為は違法性を持つに至り、河川管理瑕疵となる」と解するとすれば、それは、河川法の諸規定を無視し、国賠法二条一項の適用を構成要件的に否定する結論となつてあらわれるのである。
すなわち、河川法一条、二条、三条、一六条、同法施行令一〇条に照らせば、河川管理者は洪水等の災害を未然に防止するために河川工学等関係諸科学の最高水準をもつて、災害発生の危険を回避すべき措置を常時講じなければならないことは明白であり、控訴人ら主張のように、河川の安全確保の措置に出ることが例外的かつ特段の事情の存するときに限定されるという法的根拠は全くない。また、国賠法二条との関連でいえば、同条にいう「設置又は管理の瑕疵」の存否を問う場合、河川の構造的瑕疵からこれを推定するによるか、または端的に設置又は管理の瑕疵を問題にするにせよ、いずれもその前提として、河川における災害防止をはかるための法律上の安全確保義務が措定されているのであつて、そのうえで同条の擬律に関し具体的な設置又は管理についての違法事実の有無を問うこととなるのである。右安全確保義務を例外的かつ特段の事情ある場合に限定する控訴人らの立論は、同法条の適用を拒否するのと同然である。
(四) 後背地の開発と河川管理責任
控訴人らは「河川の管理責任論で、法的責任と政治的責任を区別する際の特段の事情を認定する場合においては、当該河川または当該区間のみをもつて論ずべきものではなく、ひいては府・国全体からこれを論ずべきもの」というが、被控訴人らは本訴において、c点附近未改修部分の放置を公の営造物の瑕疵であると主張しているのであつて、谷田川全体や、まして国、府の治水行政そのものを瑕疵として追及しているのではないのだから、どうして水系全体、ひいて国、府全体からこれを論ずべきなのか理解し難い。控訴人らの主張は、河川の設置、管理の瑕疵は管理者たる国、地方公共団体の立場でのみ論ずべく、国民あるいは地域住民の立場からは論ずべきでないというのであろうか。
控訴人らはまた、都市水害の発生は河川管理者の責任限度を越えた都市政策の問題であるともいうが、河川の後背地の変化が、河道に流れ込む流水量や到達時間に顕著な変化を与えることは否定し得ないところであり、河川管理者としては、周辺地域の開発等による河川施設の陳腐化(換言すれば瑕疵である)にも万全の配慮をし、そのため堤防の補強、河床の掘削、浚渫等の管理が必要であるというのであつて、都市政策そのものの法的責任を追求しているのではない。
(五) まとめ
最後に控訴人らの河川責任論は過去における河川管理行政の怠慢、懈怠を法的に正当化することとなつて、ますます河川管理の放任行政を助長する機能を果すことになるのを憂慮せざるを得ない。本件水害の如き都市水害の発生機序は、当該河川とその流域にわたる総合的な行政施策の欠如に起因するところが大であり、行政主体による人災的側面を著しく増大させている傾向がある。この意味において、現在国民は総合的な河川管理対策の必要性を痛感するとともに、国民の生命、財産の安全確保を預託した国、公共団体に対し、その責任の自覚と従来の行政の姿勢のあり方に対し、深い反省を求めているのであり、控訴人らの立論は、かかる国民の時代的要求に逆行する理論であり、到底承服しがたいのである。
2 c点附近未改修個所の放置について
(一) c点の危険性について
(1) 控訴人らは、これを大阪府全体や寝屋川水系全体の治水状況の中における谷田川全体の改修状況やその時期の位置づけという観点からとらえつつ、谷田川全体としてみた場合、右未改修部分は特異な危険個所でもなく、緊急に改修の必要はなかつたと主張するが、これは、控訴人らの誤つた河川管理論に基づくからそうなるのであつて、国賠法二条の瑕疵は「通常備えるべき性質または設備の欠如が客観的に存在していること」なのであるから、問題なのは、危険個所全体としてみようが、部分的にみようが、危険なところは危険であつて、全体としての河川ということは無意味である。
c点狭窄部の疎通能力は計画高水流量のおよそ二〇分の一であり、それを越えるわずかの流量さえも、ここから溢水したのであつて、ab間は流量が制限されているとしても、c点疎通能力を越えており、これに南津の辺水路からの流入があるから、c点は谷田川中もつとも溢水の危険の大きい個所であつて、特異な危険個所ではなかつたなどとは、とうてい言い得るものではない。
(2) 控訴人らはまたc点上流部の改修は下流への悪影響がなかつたと主張する。しかし、ab間が一見狭く制限されている様でも、実際にはc点の疎通能力を越える流量が流れたのであり、ショートカットにより遊水機能を喪失させ、河道が大きくなつたことにより、かえつてc点の負担を増したし、従来c点の危険が現実化しなかつたことから、危険でないなどといえないことは勿論である。
(二) 財政制約論について
財政的制約は不可抗力事由に該らず、何ら免責事由とはなりえないことは判例の一貫した立場である。行政主体は、公の営造物を独占的に支配・管理しており、私人の容喙を許さないのであるから、損害が生じた場合にも、その支配・管理の反面として当然にその責任を負うのが筋である。実質的に考えても、財政投資がされ、改修され瑕疵のなくなつた河川の地域の住民に比べて、財政投資がなされずに放置されたため損害を被つた住民は、財政投資の利益を享受していないのであるから、せめてその損害を賠償するのが公平というものであろう。しかも、財政的理由による免責を認めれば、遂には国家予算そのものの適否の検討に立入らざるを得なくなつて、不可能である。
(三) 改修途上論について
そもそも未改修という概念自体が場合を限度する論理的枠組としては不完全なものであるが、未改修だから免責されるということも学説としても過去のものである。あくまで、当該個所がその時点で通常有すべき安全性を備えていたかどうかを検討すべきであり、それで十分である。突発的事故による損傷を突貫工事で改修していた際の事故の如きは、不可抗力として免責もされようが、本件はそうでなく、社会的、財政的制約(というより怠慢)によつて未改修であつたのであるから免責されないこと明白である。
(四) 用地取得の困難性について
控訴人らは用地取得の遅れを主張するが、問題は、河川上の家屋の除去(立退)であつて、用地取得一般ではない。c点狭窄部の改修に必要な限度で考えるべきである。
控訴人らは、河川上の家屋の占用許可は長年にわたり行われていたというが、右水面占用は河川法第二三条、第二四条からみて法の予想しない変則的使用関係であり、河川敷地の占用は、河川管理上の支障とならず、且つ必要止むを得ないと認められる場合に限り許可すべきものである(河川法一条、昭和四〇年一二月二三日建設事務次官通達・建設省河発第一九九号)から、控訴人らは、谷田川を一級河川に指定した時点で、これを違法なものとして占用許可を与えるべきではなかつたのであり、遅くとも昭和四一年に改修計画を策定した時点で立退きを求めて、その改修に着手すべきであつたのに、昭和四七年三月まで、これに占用許可を与え続け、用地買収が軌道に乗つて始めてこれを取消し、同年四月以降やつと不法占有状態となつた後も、本件水害後まで、まつたく適切な措置をとらなかつたのである。もし、控訴人らが早期に右占用許可を取消し、河川上の家屋を除去していたならば、用地買収の完了前でも、応急的に未改修部分に仮堤防等の安全装置を設置することも可能であり、これによつて本件溢水を免れたか少くとも被害を最少限に軽減し得たことは明らかである。
のみならず、その用地買収においても、控訴人らの交渉経過がその主張どおりとしても、昭和四三年一一月から同四六年六月までの二二回の折衝のうち、対外折衝は三回にすぎず、他はいずれも行政内部での連絡、協議、調査であり、その交渉に長期間を要したというのではない。そして実際に交渉に入れば、僅か半年で約半数の交渉が成立し、一年余で全部完了しているのであつて(万博関連工事の迅速さや本訴提起後の迅速さに比べ、やるかやらないかは、行政の姿勢の問題というべきであろう。)、とうてい不可抗力的な遅延ではないのである。
(五) 住民の責務論について
ここ十数年来、わが国における大都市への人口集積度は空前の激しさを加え、地価が暴騰し、国・自治体の住宅政策の貧困さが加わつて、一般市民が良好な住宅ないし住宅用地を求めることが至難の業であることは公知の事実である。誰も好き好んで低地の土盛りの少ない住宅を購入するわけではない。本来なら、どの住宅にも安心して住めるように行政が指導すべきものであり、無秩序な開発を許して都市水害の原因を作つたと同じく、その原因は行政にある。因みに被控訴人ら居住地域に隣接する市営住宅も「相当の土盛り」はなく、被害を受けている。市営住宅でさえしていないことを、一般住民に要求するのは無理な注文であり、不可能である。
3 浚渫の懈怠とc点の危険性
控訴人ら主張の昭和四四、四五、四六年の浚渫はc点とは関係がない。
しかも河川の浚渫は、その疎通能力を一定水準に保持すべく行うものであるから、各河川の特性に応じたものでなければならず、単純に単位粁当りの回数や土量で論じてみても無意味である。c点附近は昭和四二、三年に一度浚渫されたきりであることは、控訴人らの自認するところであり、上流地域の開発による河道の堆積の進行を考えれば、この地点の浚渫の必要性は極めて大きかつたのである。
4 仮りに控訴人らの責任論に従い、瑕疵の存在につき、安全確保義務および結果回避義務違反が要件となるとしても、それを「健全な社会通念」で判断すれば、本件ではまさに、それらが肯定されるというべきである。なぜならc点は未改修と浚渫がされていなかつたために、毎秒0.92立方米の疎通能力しかなく、少し強い雨が降れば溢水の危険が明白であり、かつ住民はずつと以前から改修の陳情をしていて、控訴人府も昭和四四年度の工事予定と明言していたこと、一旦溢水すれば地形上本件如き被害の予想されること、改修区間は僅かで莫大な費用を要しないこと、改修作業を阻害する反対運動はなかつたこと、改修計画樹立の時に占用許可を打切つていれば、少くとも河川敷内での未改修部分の拡幅や嵩上げは可能であつたことなどの事情が存するからである。
D 控訴人国・府の共同不法行為論について
1 因果関係論について
控訴人らは、共同不法行為の要件につき「各人の行為と結果発生との間の因果関係については、共同行為と結果発生との間の因果関係の存在をもつて足りる」とした原判決を、各人の行為がそれぞれ独立して不法行為の要件を充すものでなければならないとの従来のドグマに捉われた立場で論難する。
しかし、従来の通説判例の①共同不法行為の要件として各自の行為と損害との間の因果関係の存在の必要性、②共同不法行為の効果として各自は、その共同行為全体と相当因果関係にある全損害について責任を負うという、一見疑問なきまでに当然視されて来た前提理論は、これを具体的ケースについてあてはめると、①については従来いわれている意味での因果関係がない場合にも因果関係があると判断したり(大審院昭和一〇年一二月二〇日判決・民集一四巻・二〇六四頁)、②については、これと異る効果しか認められないもの(最高裁昭和四三年四月二三日判決・民集二二巻九六四頁)が現われたりするのである。これは従来の通説判例が、前記ドグマにとらわれ、共同不法行為の特殊性を理論的に考究せず、因果関係についても、「各人の行為と損害の間に必要である」とし、それでは、「行為の関連共同性」という要件の附加が無意味になるとの批判には「その共同性のゆえにその共同不法行為全体と相当因果関係にある全損害について各人の連帯責任を認める制度」であると応えていたのであるが、その効果において、額面どおりの適用がないとなると、その根本的な再考が迫られるのである。
そもそも、共同不法行為における因果関係を考える場合、個個の共同行為者の因果関係は、その他の共同行為者の行為と関係づけられ、あるいはそれを媒介として判断せざるを得ないという特殊性があり、この点に着目し、近時、各人の行為と直接の加害行為との間に因果関係があり、そこに共同性が認められれば、共同の行為という中間項を通すことによつて損害との間に因果関係を認めてよいとする有力説が現われ(加藤一郎「不法行為」二〇七頁)、さらに、そこから、従来のドグマであつた「各人の行為と損害の発生との間の因果関係」および「行為の関連共同性」という二つの要件を「共同行為者各人の行為の関連共同性」という要件と「共同行為と損害発生との間の因果関係」という要件に置きかえる学説が次次に登場している。
いわゆる四日市公害事件判決は、この点について「七一九条一項前段の共同不法行為の場合には、各人の行為と結果発生との間に因果関係のあることが必要である」として従来のドグマを踏襲しつつも、「加害者間に関連共同性のあることおよび共同行為によつて結果が発生したことを立証すれば、加害者各人の行為と結果発生との間の因果関係が法律上推定され、加害者において各人の行為と結果発生との間に因果関係が存在しないことを立証しない限り責を免れないと解する」と判示して、大きな転進を示したが、前記原判決の立場は、これをさらに一歩進めて明快な判断を示したもので、この方向こそ、正しく共同不法行為の因果関係を把握した、近時の学説・判例の流れの当然の帰結である。
2 瑕疵の共同と設置・管理行為の共同並びに関連共同性
(一) 控訴人らは、瑕疵の並存が直ちに共同行為といえるものではないと主張する。たしかに、民法七一九条では、行為そのものの共同が問題となろうが、本件では、国賠法二条の局面における共同不法行為の共同行為とは何かが論点なのである。国賠法二条の直接の問題として前面に登場して来るのは、行政主体の設置・管理行為によつて惹起された営造物の瑕疵そのものであるから、そこでは第一次的には、瑕疵ある設置・管理行為の共同ではなく、営造物の瑕疵そのものの共同を問題とすべきである。然らば本件においては、谷田川の瑕疵と本件水路の瑕疵とが並存していることはまさに国賠法二条における共同行為となるし、行為の共同という立場をとつても、右瑕疵の背後にそれぞれの管理の瑕疵が並存していることが、同じく共同行為ということとなり、いずれにしても、共同行為の成立そのものについては、疑いがない。
問題として残るのは、右共同行為の関連性のみである。
(二) さて、右客観的関連共同性を、右共同行為の成立に従い瑕疵の関連共同性と把握しようと、設置・管理行為の共同性と把握しようとも、本件においては次のとおり関連共同性が存する。
イ 河川および排水路等の排水機構は、各系列ごとに排除すべき水の発生点(源流)から終末点(海)まで切れ目のない連続一体のものとして存在し、その最大の使命は各地域の雨水を終末まで安全に流下せしめることにある。谷田川と本件水路との関係も、相合して本件被害地域に降つた雨水を安全に流下せしめるにあり、両者の関係は、単なる関連性を越え、一体性をも有している。
このような機能的・地形的に関連性・一体性の顕著な両機構にともに明白な瑕疵が存在していたのであるから、瑕疵の共同という立場からの関連共同性は十分であり、管理行為の瑕疵の関連共同性も十分に認定できる。
ロ 加えて本件においては、谷田川の溢水と水路の溢水とが時間的・場所的に接着して生じ、それが一体となつて本件被害をもたらしたものであり、これは、いずれの立場においても関連共同性認定の重要な要素というべきである。
ハ 最後に行政的関連性であるが、控訴人らおよび大東市の治水政策は、相互に有機的に結びついており、その政策実施も事務委託等を通じて相互に関連結合しているのであるから、谷田川および本件水路の管理行為という局面において、管理主体間に行政的関連性がある。このことは、前記共同行為を行為の共同と構成する場合の一要素であるが、管理行為の行政的関連性は、その背後に、前記谷田川と本件水路の機能的関連性が存するからこそ生ずるのであつて、前記共同行為を瑕疵の共同と構成する場合でも、重要な要素となる。
本件において、この行政的関連性があることは、イロと相まつて、いわゆる「強い関連共同性」を認定する重大な要素を構成している。
以上、三つの要素から、本件において関連共同性を認めた原判決は極めて当然であつて、何ら疑問の余地はない。
E 控訴人大東市の主張について
1 機関委任事務説の不当性
(一) 控訴人は本件水路が太政官布告第一二〇号を主とする地租改正諸法令の規定により国有となつたと主張するが、同布告は、地所に関する所有権の得喪変更を定めたものではない。
すなわち、同布告一二〇号は、明治六年太政官布告第一一四号「地所名称区別」を改正したものであり、一一四号の制定目的は各種の土地につき地券発行の有無、地租区入費賦課の有無を規定することにあり、官有地第一種から第四種までおよび民有地第一種から第三種までは、いずれも地券発行ならびに地租区入費賦課の有無を基準として土地種別が定められていることから考えると、同布告は明らかに、地券発行の基準を定めたものであり、これにより所有権の得喪変更を定めようとしたものではない(大審院大正元年一二月一九日判決・民録一八輯八四八頁)。そして、同布告の官有地第三種に関する規定は、そこに掲げられているものが当然第三種に属するというのではなく「民有地ニアラサルモノ」のみが官有地に該当するとされ、何ら官有についての創設的効果を見出せない。控訴人主張の如く、明治初期の地租改正によつて我国の近代的土地所有権制度が確立されたにせよ、沿革的には、すべての土地がまず国有とされ、そのうちから漸次土地私有権が発展して来たものであり、私有の対象となつたことが積極的に立証されない限り、それが国家に属するものであることは、古来そうなのであつて、太政官布告一二〇号によりはじめてそうなつたものとはいえない。したがつて、同布告は官有地については確認的効果を有するにすぎない。
(二) 法定外公共物の取扱いについて。
控訴人は、旧国有財産法における「公共用財産」の概念が新法で一旦廃止されたが、改正により再び復活した点から、法定外公共物は現行法上国有財産として取扱われていると主張する。しかし、新法が公共物を行政財産から除外したのは、公共物がそこに掲げられた行政財産よりも一層公共的性質が濃厚で、これを国有の財産とみることそのことさえ妥当でないという見地に立つたものと解すべきであるからである。いいかえれば、いわゆる公共物については、これを国有の財産として規定する従来の考え方を排し、専ら公共のための財産としてその管理の面だけをとりあげていこうとするのがその趣旨なのである。そして、昭和二八年の改正―公共用財産の概念の復活―によつても、その法的取扱が明確にされ、疑義が解消したのは、国において直接公共の用に供し又は供するものと決定した財産の所有権が国に帰属することと、これらが国の行政財産として各省各庁の長の管理に属することとなつたことにすぎない。前記のように公共的性質が濃厚であるため所有権の対象たる財産とみることさえ妥当でない本件水路その他の法定外公共物の法的取扱いについては、依然として問題は残され、これらに対する国の所有権は何ら明確にされてはいないのである。
(三) 建設・大蔵両大臣間の協議の効力について
建設省設置法三条八号にいう「水流および水面」とは、同条本文の規定に照らし、河川法四条一項のそれを意味し、本件水路のような普通河川の管理についてはなんら触れていない。そして同協議の成立当時における国有財産法は公共物を行政財産の範疇から外していたこと、協議書にも「公共物たる普通財産」と記載されていることなどから、その効力を有しないことは原審で主張したとおりである。
(四) そもそも、国有財産法は、公共物を構成する物に対し、国の私法上の所有権を認める場合の公共物の財産面の規定たる意義を有するに止まり、公共物が公共の用に供されている限りその活動が停止されるべきものである。そして、公共物にとつてなによりも重要なことは、公共物をその本来の目的に従つて、公共の用に供するために管理作用を行うことにあり、それが公共物管理権の本質であり、所有権の存在、帰属とは関係がない。本件で問題なのは、国賠法二条一項の責任主体として、本件水路について、このような管理作用を行う義務を有するのは誰かということであり、国有財産法を根拠に本件水路の管理権を論ずる控訴人の思考方法は、所有権と公共物管理権とを混同した不当な立論というべきである。
2 行政事務説の不当性
(一) 本件水路は、灌漑用水路としての用途が廃止された後は、専ら、他に下水施設を有しない周辺住民の日常の家庭汚水や雨水の排水の用に供される排水路として機能し、その設置目的は、汚水、雨水の排水処理によつて住民の保健衛生の向上と浸水被害の防止に寄与せんがためである(因みに控訴人自ら甲路をその東南にある市営住宅の排水施設として使用している)。この意味において本件水路は、市の生活関連の公共施設というべく、下水道法上の都市下水路と実体を一にする。
(二) ところで、公共物の管理行為は、もつぱら公共物本来の目的を達成させるために管理する点に特色があるとされているところ、右本件水路の排水機能を保全するための管理行為は、行政主体が、積極的に、常時良好な排水状態を保つよう維持、修繕し、その構造を改良、変更し、その効用・機能の増大に努めることにあり、単に消極的に住民の権利を制限し自由を規制することによつて、その本来の目的を到底達成できるものではない。原判決のいう「通常の」管理行為とは、かかる積極的管理行為を念頭に置いて述べているのであつて、法令の解釈、適用に誤りはない。
(三) このように、本件水路の管理行為は控訴人市の固有事務である。もちろん、その場合ある程度の規制行為が伴うことは否定できないが、固有事務にも付随的に権力の行使を伴う事務が含まれ、権力的規制を伴う事務は、すべて行政事務であるということにはならない。控訴人主張の権力的規制事務も、かかる付随的規制にすぎず、その必要あることが、これを固有事務とみる妨げとなるものではない。そして、その規制についても、原状回復命令、工作物除去命令など住民の権利義務に相当の影響を持つものは、必要的条例事項ではあろうが、使用制限、特別使用許可などは条例がなくとも、通常の管理行為の一環として認められるべきである。
3 事務管理論について
(一) 控訴人は本件水路を事実上管理していることを自認しながら、それは事務管理にすぎないから、国賠法二条一項の責任主体ではないというが、同法条の「管理者」に事実上の管理者が含まれることは学説判例上異論がない。
(二) 右「事実上の管理者」は、国賠法二条の適用上法定の管理者が不明確である場合に賠償責任者を確定するために論じられる概念であり、具体的には営造物を事実上管理し、その瑕疵を修補しえて損害の発生を妨止しうる立場にある者を指す。かかる立場にあれば、法令に管理義務が明定されていなくとも、第三者に対する関係では、そのことから直ちに国賠法二条の責任主体として確定されるのである。
従つて、仮に本件水路の管理事務が控訴人の固有事務でないとしても、控訴人は事実上の管理者としての賠償責任を免れない。
4 本件水路の管理瑕疵について
(一) 控訴人は「甲路の本来的機能は灌漑用水路であり、谷田川および現在の国鉄線下の暗渠部分の管路も控訴人が埋設したものでないから、これに控訴人の管理責任は及ばない」と主張するが、甲路が農業用水路として機能していたのは昭和三二年頃までのことで、その後は、附近の宅地化に伴い事実上家庭汚水や雨水の排水路としての機能のみを有し、専ら附近住民の保健衛生の向上と浸水被害の防止に寄与する公共の施設になつていたのであり、われわれは、右本件水害時点における甲路の状態に基づき、その管理義務の具体的内容を問題としているのであつて、暗渠工事をいずれが担当したかなどは問題ではない。このことは、乙路に関する控訴人の主張についても同様であり、これを閉塞したのが誰かは問題でないのである。
(二) 控訴人は、本件水路の管理如何と本件水害とは因果関係がないと主張して、(イ)乙丙路の溢水が甲路および本件被害地域に流入した事実はなく、(ロ)甲路の疎通能力やポンプ排水は、谷田川自体久作橋から下流が満水であつたから問題となる余地がなく、(ハ)メイストーム時は甲路流末に溢水がなかつたから比較にならないという。
しかし、右(イ)はその事実が存し、(ロ)は甲路の疎通能力の欠如が、甲路からの溢水を早期かつ大量ならしめたのであり、ポンプ設置があれば、本件水害のような被害程度にならなかつたことは明らかであり、(ハ)の点は、その時は甲路にポンプが設置されていたのであるから、それこそ前提を異にしている。
しかも、われわれは、控訴人市の水路の管理の方法についてのみ瑕疵ありと主張するのではなく、原判決指摘のとおり、本件各水路について、低湿住宅密集地域における都市下水路として、通常備えるべき安全性を欠き(構造上の欠陥)、かつ土砂、塵埃の堆積を放置したこと(浚渫不実施など)を理由に控訴人の責任を問うているものである。
(三) 本件水路の瑕疵と本件水害との因果関係は明白である。七月豪雨の降雨量が予測不能の異常豪雨でないことは、前記Aに詳細主張のとおりである。メイストーム時においても、浚渫がなく、土のうが積まれていなければ、c点から溢水する状態にあり、従つて、久作橋より下流は七月豪雨時とほぼ同等の水量にあつたところ、ポンプ排水のため免れたのであり、本件水害時もポンプ設置があれば、浸水被害はなく、あつたとしても軽微に止まつていたことは明らかである。
さらにポンプ設置があれば、本件水害時のような水位で長時間、広範囲にわたり、浸水被害が継続しなかつたことも明らかである。この点でも、本件各水路の瑕疵が本件水害発生に競合していることは明白であり、控訴人の責任は免れ得ない。
F 損害について
控訴人らは、被控訴人らが一方で包括一律請求をしながら、他方で、宮城忠儀の営業上の損害を請求するのは矛盾であると主張するが、被控訴人らの包括一律請求は、被控訴人らの家庭生活を営む利益(生活権)を侵害されたことに基づくもので、その評価が平等であるという意味であつて、営業上の損害とは全く別個の問題である。
三当審(差戻後)における主張
(控訴人国・大阪府)
F 本件最高裁判決について
1 行政はオールマイティではない。即ち、第一に行政の施策は予算によつて制約されるのである。勿論各省庁は毎年それぞれの所轄事項につき、少しでも多くの予算を獲得すべく折衝を行うが、限られた財源の中にあつて議会において国民生活上の諸要求との調整を図りつつ、その配分が決定されるのである。そして行政はその予算の枠内でしか施策を遂行できないのである。第二に行政施策はその実施において種々の障害を伴い、それの除去調整のなかで行われるものなのである。即ち、社会にはいろんな利害が存在し、それらがいろいろに錯綜しており、一つの行政施策を行うにしても、これの推進を求める人、これに反対する人がいて、しかもそこに個人的利害もあれば、地域の利害、国の利害、イデオロギーの利害等がからみ合つているのであるが、これらの利害を全くかえりみず、強権的に効率のみを求めて行政施策を行うことは許されていないのである。水害或いは干ばつになれば、治水利水のダムを何故早く作らないかと叱責され、ダムを作ろうとすれば何故自然破壊をするのかと非難されるような中にあつて、バランスを求め、それぞれの利害の調整をはかりつつ行われるのが現実の行政なのである。このように行政はオールマイティではなく、行政施策の遂行にあたつては常に種々の制約が存するのであり、その施策の規模が大きければ大きい程その制約も大きく複雑なことはいうまでもないところである。そしてこの諸々の制約のなかで、多様の行政施策のうち、どれを、どのように、どの程度行うかは、政治的判断ないしは高度の行政上の裁量に属することである。
2 行政施策の一つである治水事業についてもこの理は当てはまるのであり、限られた財源のなかで治水事業にどれだけ予算を配分するか、配分された予算をもとに治水事業のどれを、どのように、どの程度行うかについては政治的判断ないしは高度の行政上の裁量に委ねられているとみるべきであつて、最高裁の判決が河川管理の諸制約として位置づけて河川管理責任を論じたのは、司法消極主義でも行政追認でもないのである。
これを具体的にみれば、水害日本と称せられるわが国においては、気候上、地形上の宿命により毎年台風や豪雨に見舞われ、どこかで水害被害を蒙ることは避けられない状況であり、近時の水害被害をみても、昭和五七年の長崎水害、昭和五八年の山陰(島根)水害がまだ記憶に新しいところである。また、これを統計によつてみれば、昭和五六年は、水害区域面積が二五万九二九〇ヘクタール、被害家屋が全壊流失五七三棟、半壊・床上浸水四万四四五八棟、床下浸水一六万一八八八棟、水害被害額が一般資産等で三一二〇億三八〇〇万円であり、昭和五七年は、水害区域面積が一三万七一三三ヘクタール、被害家屋が全壊流失一四四六棟、半壊・床上浸水八万八八〇四棟、床下浸水二八万二四八八棟、水害被害額が一般資産等で五四二四億二七〇〇万円となつているのである(建設省河川局「昭和五七年水害統計」(昭和五九年三月発行)による)。
このような毎年の水害被害の発生のなかにあつて、治水対策は決してなおざりにされている訳ではなく、これまで六次にわたる五箇年計画を策定して治水事業を積極的に推進してきており、現在進行中の第六次治水事業五箇年計画は、昭和五七年度を初年度とし、総投資規模を一一兆二〇〇〇億円、治水事業費を八兆二五〇〇億円として閣議決定がなされ、この計画のもとに昭和五七年度の治水事業費として一兆二七九三億円、昭和五八年度は一兆二七七一億円が費され、昭和五九年度には、事業費一兆二六四二億円が計上されているのである。しかし、何分にもわが国の整備すべき河川延長は、大河川で一万二七〇〇粁、都市河川を含めた中小河川で七万三五〇〇粁に及ぶため、大河川については一〇〇年ないし二〇〇年に一度の洪水、中小河川についてはこれに準ずる洪水に耐えられる程度に整備するには約一七〇兆円が必要と見込まれているのである。このため、当面の目標として大河川については戦後最大洪水、中小河川については時間五〇粍相当の降雨による洪水に対応できるよう整備を進めているのであるが、その整備率は、昭和五七年度末において大河川で五九%、中小河川で一九%に過ぎない状況である。しかも今後、この整備目標を達成するためにも、なお約五〇兆円を要するのである。かかる現状において、治水事業をいかに進めるかについては、政治的判断ないし高度の行政上の判断に委ねざるを得ないのである。
被控訴人らは、本件最高裁判決があつて昭和五九年度の河川改修予算のみが大幅にダウンを示したというが、財政再建のおりから昭和五九年度の治水関係予算(国費)の前年度対比伸び率はマイナス0.9%であり、道路整備関係のマイナス1.1%、建設省関係予算総額のマイナス2.0%と比べても治水関係だけが大巾にダウンしたものではないのである(「昭和五九年版建設白書」資一頁)・しかも、最高裁判決が言渡された昭和五九年一月二六日の前日にはすでに昭和五九年度予算政府案は決定していた段階であつて、被控訴人らは何を根拠にかかる主張をされているのであろうか。
3 被控訴人らは、公平の見地から被害者救済をなすべきであり、これが国賠法二条の精神であるとするが、被害者救済はできるだけはからねばならないとしても、被害者救済の名のもとにすべてが従わねばならないものではなく、国賠法二条に基づく賠償責任も河川管理の瑕疵の有無により判断さるべきであつて、被害者救済の視点からのみ解釈さるべきものではない。
昭和五九年一月一日現在、係属中の水害訴訟は二五の水害について四一件であり、そこで求められている賠償額は約一〇五億円である(松山雅昭「河川管理責任についての一考察(上)」、自治研究、第六〇巻第五号参照)。しかもこれら訴訟により賠償を求めているのは水害被害者のごく一部であつて、もし河川管理の瑕疵の有無の判断をなおざりにし、単に被害者救済の観点からのみ水害被害者すべての賠償に応じなければならないとなれば国家財政の破綻をきたし、治水事業どころではなくなるのである。(ちなみに、前記水害統計によれば、昭和二一年から昭和五七年までの水害被害総額二五兆六八八四億円(昭和五五年度価格換算)と治水投資額二五兆六八七三円(前同)とはほぼ同額となつている。)
4 水害現象は、豪雨・洪水の結果発生するものであつて、豪雨・洪水とは別に水害現象のみがあるわけでなく両者を峻別せよという被控訴人らの主張の論拠には自然現象を科学の力で容易に征服できるなどという、それこそ非科学的な認識があるのではないかと思われる。
被控訴人らは、河川管理権限の中央集権化を強調し、私人の河川改修が許されないというが、これは「河川管理者以外の者は、……あらかじめ、……河川管理者の承認を受けて、河川工事又は河川の維持を行なうことができる。」とする河川法二〇条の規定を忘れた主張であり、この規定による河川改修がなされた例は少なくないのである。しかも、そもそも河川の管理に管理者を定め、管理権限を委ねることは、道路管理者の場合と同様、責任主体を明確にするため当然になさるべきことであつて、これをもつて中央集権化などと評しうることではなく、そのことによつて管理責任に消長をきたすものでもない。
さらに、被控訴人らは、治水事業には社会的制約が伴うとした最高裁判決を非難し、これら社会的制約とされる事実がすべて行政の責任によつて作出されたかのごとく主張する。しかし、これに対しては、人々が生活の向上を望み、経済の拡大発展を求める限り社会経済はたえず変化していくのであつて、これを止めうるものではなく、しかも自由主義経済のもとにおいては、この生成発展する社会経済活動に対する行政のかかわりは主としてそこに生ずる利害の調整であつて、そこには一定の制約が存することを指摘するだけで、あらゆる事象を国の責任、行政の責任とするかのごとき短絡的、独善的な被控訴人らの主張に対する反論として十分であろう。
5 被控訴人らは、河川管理と道路管理とに差異が存するとする最高裁の考え方に対し、多くの河川は河川改修等により人工化していること、危険性の内包といつても人工的に作出した結果であることをあげて、両者に差異を認めるべきでないことを強調している。しかし、河川の管理は、自然現象たる降雨により生ずる流水、したがつて時に異常な洪水が生じる可能性のある流水を相手とするものであるところに道路の管理と基本的に異なるところがあり、最高裁判決もそのことを前提として差異を述べているのであつて、被控訴人らが批判の根拠とするところは当てはまらないのである。
なお、簡易、臨機的な危険回避の手段に関し、被控訴人らは堤防強化や治水緑地、遊水池、治水ダムの設置をいうが、それらをすることがまさしく莫大な費用と長年月を要する治水事業なのであり、それらが簡易、臨機的にできるならばかかる議論は必要ないのである。
6 被控訴人らは、河川管理の瑕疵の判断基準たる河川改修計画の合理性につき、行政庁に主張、立証の責任があると解すべきであると主張する。しかし、そもそも国家賠償請求の請求原因事実の一である瑕疵の存在についての主張、立証責任は原告にあり、本件のごとき場合だけこれを別異に考えなければならない理由はないし、最高裁判決が「計画が……格別不合理なものと認められないときは……河川管理に瑕疵があるとすることはできない」と判示しているその文言からしても、明らかに「格別不合理なもの」の存在の主張、立証責任を原告に課する趣旨であることが知れるのである。
なお、これに関し、最高裁判決が「特に不合理なものがあるとは認められないとされる余地が十分に存する」と判示していることにつき、被控訴人らは「誠にもつてまわつた表現」というが、「格別不合理なもの」の存在を管理瑕疵の要件とみる立場からすれば右のごとき表現になるのは至極当然のことなのである。
控訴人国及び同大阪府が、昭和六〇年四月一〇日付け準備書面(第二回)において、寝屋川水系の治水対策について「全国的にみても、同規模の中小河川で、これほどの改修費を投じた例はないほど積極的に取り組んできた」と主張したのは、差戻前控訴審同控訴人ら最終準備書面に記載しているとおり、昭和四五年度から昭和五〇年度までの間の河川費の比較、決算総額に占める河川費の割合の比較、河川費に占める単独事業費の割合の比較、河川延長一粁当たりの投資額(いわゆる投資密度)の比較からみて大阪府が治水事業を最も推進してきていること、及び寝屋川水系河川の治水事業費は昭和二八年度から昭和五〇年度までの間で大阪府全体の河川事業費の五〇%近くを占めていることなどを根拠にして述べているのであり、このように、寝屋川水系河川が全国的にみて同種・同規模の河川の管理の一般水準を上回つていることは、河川行政上の知見から十分知られていることなのである。
なお、河川管理瑕疵責任を問う場合に、当該河川の河川管理の一般水準についての主張、立証責任は、基本的には、河川管理の瑕疵を主張する側にあると解すべきである。
7 民家の河川占用について
一級河川において、本件と類似の水面上を全面占用するような家屋の存在は、大阪府下においては勿論、全国的に見ても恐らく稀な事態であろう。
しかしながら、これまで再三にわたり明らかにしてきたように、野崎駅前のこれらの家屋は、昭和四〇年及び昭和四一年の谷田川の一級河川指定後、河川管理者の管理の不十分さのために建てられたものではなく、指定のはるか以前である終戦間もなくに建てられ、以後長年月が経過してきたものなのである。また、これらの家屋は、住居としてのみならず店舗として生活の本拠となつていた事情に鑑みるとき、安易に行政代執行のごとき強行手段はとりえないのであるから、指定後、改修着手の目途が立つまで、取り敢えず占用許可を与え、後日必要な時期に立退等を求めることとしたのは、むしろ実態に即した妥当な措置である。
被控訴人らは、これら家屋の居住者の生活問題等を何ら顧慮することなく、谷田川の改修計画を策定した昭和四一年時点で占用許可を打切るべきであつたと非難するのであるが、その必要性はどこにも見受けられないのである。すなわち、この改修計画は、谷田川の本格的な改修に先立ち、国鉄片町線複線化工事等に関連した先行投資事業を実施するため、将来の改修を見通しながら策定されたものであり、また、そのショートカット工事区間にはこれらの家屋の所在する本件未改修部分を対象区間に含める必要もなかつたのである。
さらに、その後のこれら家屋の立退や用地取得等の経過からも明らかなように、占用許可がその後本件未改修部分の改修促進を阻害し、改修時期の遅滞を招いたという事実は見当らず、逆に、谷田川の本格的な改修に際して、必要な時期に円満な解決がみられているのである。
8 現況疎通能力と計画高水流量の乖離について
被控訴人らは、単にc点のみの現況疎通能力を谷田川の計画高水流量と比較し、その乖離を「極端かつ特異」と解して、暗に、c点の危険性と本件未改修部分の早期改修の必要性を主張するのであるが、これも全く当をえないものである。
なぜなら、河川改修計画の策定にあたつて、計画高水流量は、既に差戻前控訴審の第一回準備書面(一二〜一三頁)等で明らかにしているように、将来予想される流域の土地利用形態等の変化や下水道等ポンプによる雨水排水計画も勘案しながら、計画降雨、流域面積、流出係数等種々の要因を総合的に判断して決定されるものである。したがつて、それは将来を見越した流量なのであつて、現にそれだけの流水が直ちにくることを意味するものではない。それ故、河川のある一定の箇所における水害発生の危険性は、当該箇所の現況疎通能力と計画高水流量との比較によつて速断されるものではなく、当該箇所の現況疎通能力と当該箇所へ現実に到達する最大流量とを比較して判断すべきものなのである。
かかる観点から谷田川を見るならば、c点への到達流量はa〜b点間の流下量と南津之辺水路からの流入量を合わせたものに過ぎず、過去にc点からの溢水による水害が皆無であつたことからも窺えるように、c点の危険性及び本件未改修部分の早期改修の必要性が存せず、それを放置したと非難される余地のないことは、これまで十分に明らかにしてきたところである。
なお、前述のとおり、計画高水流量と現況疎通能力とを比較して直ちに水害発生の危険性を論ずることはできないのであるから、これについての他の河川の例を明らかにする必要は存しない。
9 改修計画と改修期間について
寝屋川水系の治水対策については、同規模の中小河川のうちでは、一般水準をはるかに越えており、投下した改修事業費も他を相当に上廻つていること、またその整備率も極めて高いことは、これまで具体的な数字で明らかにしてきたところである(乙第二七号証、乙第三一号証、乙第三九号証、差戻前控訴審最終準備書面一一二、一一三頁、上告理由書四二頁。)。
被控訴人らは、かかる背景を何ら斟酌することなく、谷田川の改修状況について、先行投資事業の実施のために改修計画が策定された昭和四一年から起算して本格改修時期及び改修完了時期までに費やされた期間の長短をいう。しかしながら、昭和四一年に改修計画を策定したのは国鉄片町線複線化工事に伴う先行工事の必要のためであり、その後右工事や外環状線道路新設工事に伴う先行工事を始め応急対策工事等を実施してきたのである。そのかたわら、寝屋川本川の改修進捗状況を勘案しながら、本格改修に備えて、あらかじめ地元に工事説明を行うとともに、物件調査や所有者等との交渉を鋭意行い、昭和四五年の寝屋川本川の谷田川合流部付近の工事が完了するのをまつて昭和四六年より谷田川の本格改修に入り、昭和五一年にその概成をみたのである。その経過からすれば、そこにことさらの遅滞も放置もないのであり、寝屋川水系の同種同規模の河川と比較して、何ら遜色がなくむしろ早い方であることは、これまでにも繰り返し明らかにしてきたところである。
10 大阪地方計画と谷田川の改修計画について
昭和四二年に大阪府の総合計画として策定された大阪地方計画には、寝屋川水系二〇河川の事業計画が掲げられ、その計画期間として昭和三九年から昭和四六年までとされているが(乙第二四号証一六六頁)、これは計画高水流量を毎秒五三六立方米とする寝屋川改修計画(旧計画)に立脚するものである。ところがすでに度々述べてきたとおり、この旧計画は、流域の急激な都市化の進展に対処するため、昭和四三年に基本高水流量を約三倍にあたる毎秒一六五〇立方米とする寝屋川改修計画(新計画)に改訂され、その結果、大阪地方計画に掲げている寝屋川水系二〇河川の事業計画の大幅な見直しが必要となり、いきおい改修時期も大幅に変らざるをえなくなつたのである。それがため、大阪地方計画では昭和四二年以降の事業費を一一九億六〇〇〇万円とされているのに対し、昭和四二年から昭和四六年までに実際に投入された寝屋川水系の改修事業費は一九八億一六〇〇万円にも及んでいるのである(乙第二七号証。なお、昭和四二年の一一九億六〇〇〇万円は昭和四六年価格に換算しても一五二億九三〇〇万円である。)。
このように行政計画において、財政的な制約はもとより、その後の諸般の事情の変化に伴い、結果的に行政目標の達成が予定年次より遅れることは少なくないのである。
被控訴人らは、この「大阪地方計画での改修計画」と「昭和四六年から昭和五一年を河川改修目標になしたという計画」の関係や後者の策定時期等について明らかにするように求めるが、谷田川の改修計画は、将来の改修を見通して既に昭和四一年に策定済みであつて、そこに「改修の実施時期、完成予定時期等」がふれられていないとしても、河川改修計画とはそもそもそのようなものなのである。また、昭和四六年に昭和五一年完成を目標として谷田川の本格改修に着手したのであるが、そこで改修実施計画と称すべき新たな格別の計画を策定したことはなく、既に策定した改修計画を寝屋川本川の改修計画(新計画)との整合性等に留意しながら、実施に移したのに過ぎないのである。
河川の改修は、最高裁判決も認めるように、「道路その他の営造物の管理とは異なる特質及びそれに基づく諸制約」の下に遂行されるのであつて、一般的には、年々の財政力に見合つた工事量を、改修が急がれる箇所から段階的に施行して行くのである。しかも、道路等の場合と異なり河川の場合は、水系全体の治水レベルを本川支川バランス、上下流バランス等を勘案して段階的に向上させなければならないのであつて、短区間の応急的な工事は別として、完成予定年次をあらかじめ固定することはまずできないことなのである。したがつて、昭和四六年において谷田川の改修目標を昭和五一年としたのも、一応の努力目標であつて、改修の規模や年々の財政力から議会等の承認を得て配分される治水対策事業費等を勘案してかかげた目標に過ぎないのである。
さらに、被控訴人らは、本件未改修部分の改修を寝屋川本川の谷田川との合流点付近の工事と並行して実施すべきであつたと主張するのであるが、c点に格別の危険性が存しない以上、本件未改修部分だけの早期改修の必要性が無いことは、これまで再三にわたり明らかにしたところである。
G ショートカット工事の影響について
1 はじめに
ショートカット工事の影響については、これまでも「ショートカット工事はごく短い区間の工事であり、その上流が従前のままであるため……上流の流下能力以上の流量は……流達せず、従つてc点未改修部分に何ら影響を与えるものではなく、むしろ河道の拡巾による遊水効果によつて負担の軽減になる」(差戻前控訴審控訴人国・府の最終準備書面一二四頁)と述べてきたところである。
すなわち、谷田川の上流域で降つた雨は、いくつもの谷筋や渓流を経て、a点付近に流下していたが、a点上流の水路は、溝といわれる程度のもので、豪雨時には上流域の雨水の相当の部分は上流水路で溢水や分流して内水化し、a点への到達量はおのずと制限されたものとなつていた。その結果、断面的には幅員1.5米程度しかないa―b点間で溢水することなく流下し得た。
b点から国鉄片町線をくぐつていたショートカット工事前の河道も航空写真(検乙第一三号証)に見られるとおり、a―b点間と同程度の河道であり、それが再度国鉄片町線をくぐつてc点に到達していた。
昭和四一年、四二年度に施行されたショートカット工事は、国鉄片町線の複線化工事に関連してb点からc点上流部約七〇米地点で、国鉄片町線に沿つていわゆる旧川部を付け替えたものであり、a点上流及びa―b点間の河道は未改修のまま存置されていた。
したがつて、これらを一体的に改修しその流下断面を拡大しない限り、c点への到達流量の増大はあり得ないし、また、河道の中間部に部分的に広幅員の河道を設けたことについても、その下流への流量の増大をもたらさないことは、各所に設置されている砂溜工・遊水池の例からも明らかである。
本件ショートカット工事の影響の確認については、差戻前控訴審において松村治証人が、既に「一〇年ほど前の話でございますから、その当時は断面で比較検討して」おり、「細かくは、そういう流量ですから、勾配とか粗度係数とか、そういうものは、関係あるわけでございますが、通常やつておりますのは断面の大きさを較べれば大体そういう判断はできます」と証言している。
また、同証人は、ショートカット工事の影響に関しても「粗度係数は変るかもわかりませんが、径深は逆に小さくなり」「ショートカットによつて延長は短くなりますけれども、川幅が広がつてゆつたり流れるということで、流速は遅く、従つて到達時間は変らない」のでほとんど影響はないと判断した旨証言している。
2 水理解析による検討
(一) 水理解析の目的と手法
最高裁判決が、ショートカット工事のc点急縮部への影響について更に審理を尽くすことを判示したので、控訴人国・府は、上流ショートカット工事によるc点急縮部への影響の有無及びその程度については詳細な検討を行うため、差戻控訴審においてもこの点について水理解析を行つた。
一般に、「洪水流のピーク流量は河道を流下するにつれて低減する」と言われている。このため、河道をショートカットすると流下経路が短縮されることとなり、マイナス面の影響としてこの低減効果が減少し、下流のピーク流量が高まる可能性があり、また、下流地点への洪水の到達時間が相対的に早まる可能性も考えられる。
しかしながら、他方、ショートカット工事により広幅員の河道が設けられた場合には、プラス面の影響としていわゆる遊水効果により、この低減効果が逆に増大して下流のピーク流量が以前より小さくなる可能性もあり、また、水深が小さくなつて流速が遅くなり、下流地点への洪水の到達時間がかえつて遅くなる可能性も考えられる。
今回の水理解析は、河道の流路長と河道の断面形状の変化が洪水の流れにどのような影響を与えるのか、その影響を量的に捉えることによつて、ショートカット工事の下流への影響の有無及びその程度を見ようとするものである。
今回の水理解析の業務は、前回と同様、国際的にも有名なコンサルタントであり、特に水に関する事項ではわが国一、二の業績をあげている(株)新日本技術コンサルタントに委託して実施したもので、その結果は、「谷田川水理解析報告書」(乙第六一号証、以下「本報告書」という。)及び「谷田川水理解析追加検討報告書」(乙第七〇号証、以下「追加報告書」という。)に示すとおりである。
また、右水理解析は、この分野の権威者である京都大学防災研究所の高橋保教授の指導を受けて行われたものである。
本件水理解析にあたつては、まずその前提条件として、ショートカット工事前の河道(以下「旧河道」という)とショートカット工事後の昭和四七年七月水害当時の河道(以下「当時河道」という)を再現する必要があるため、新たに可能な限りの資料収集を行い、それぞれb点からc点までを検討区間として河道条件の設定を行つた。
これに基づき、本件水害当時の降雨パターンによるハイドログラフを用いて、それぞれの河道におけるb点付近での洪水流量等の時間的変化が下流のc点付近にどのように伝わるかを水理学的な手法で解析した。
なお、計算時間帯は、寝屋川本川水位が高くc点付近で溢水現象が生じたとされている七月一二日一五時から二〇時までの時間帯とした。
また、水理解析の手法については、実際の洪水時の流れに見られるように、水位や流速が時間的にも場所的にも変動する水理現象を扱う必要があるため、土木学会編昭和四六年改訂版水理公式集(乙第七八号証)に示されている不定流の一般的な基礎式を使い、右基礎式を解く手法としては、数値計算法を用いた。右数値計算法は、最近の電子計算機の発達とあいまつて数多くの研究の積み重ねがあり、現在では高い精度で水理現象を再現する種々の手法が確立されている。ここでは、これらの手法の中で、高く評価されている特性曲線法(右水理公式集一九二頁)を用いて数値シュミレーションを行つた。
(二) 河道の状況
水理解析を行う前提として、まず旧河道と当時河道について、それぞれ河道の断面形状及び河床勾配を与える必要がある。
当時河道については、既に谷田川横断面図(乙第四九号証)、谷田川浚渫工事平面図・横断面図(乙第六八号証の一ないし五)及び南津之辺水路縦断図(乙第四七号証四七頁)があるのに対して、旧河道については、谷田川上流部(a―b点間)の断面図(乙第二五号証)が一部参考になるにしても、その状況を的確に示した資料は見当たらなかつた。
そこで、種々調査した結果、谷田川平面図(乙第六二号証)、官民境界査定図(乙第六三号証)、谷田川旧川部縦断図(乙第六四号証)及び航空写真(検乙第一三号証)等が得られたので、これらを参考として旧河道の状況を再現した。
(1) 当時河道
当時河道は、b点の直下流で南流し、国鉄片町線と平行にc点に至つており、その流路延長は約四八〇米であつた。
このうち、ショートカット工事区間は約四二〇米で、その断面は上幅7.99ないし8.44米、底幅六米、高さ3.32ないし4.07米であつた。
また、c点直上流約六〇米の区間は、旧河道と共通で、「谷田川平面図」(乙第六二号証)から明らかなように上幅約五米程度の改修済み河道であつた。
本件水害当時の河道は、土砂の堆積によつて河床高が高くなつていたので、基準面高が表示されている昭和四八年作成の「谷田川横断面図」(乙第四九号証)に基づいて断面決定を行い、横断面図の存在しない地点については、上下流から直線補間して設定したが、土砂堆積面の河床高については、昭和四七年作成の「谷田川浚渫工事平面図・横断面図」(乙第六八号証の一ないし五)における堤防高から土砂堆積面までの距離(水深)を読み取り、両図面の測点対応に留意して設定した。
また、土砂堆積の少ない場合については、「谷田川横断面図」(乙第四九号証)の河床高をそのまま用いた。
この結果、土砂堆積のある場合の当時河道の縦断図は、本報告書一一頁に、土砂堆積の少ない場合の当時河道の縦断図は追加報告書一一頁にそれぞれ示すとおりである。
(2) 旧河道
旧河道は、b点の西側約六〇米地点で国鉄片町線をくぐり、更に西へ約一六〇米流下した後南へ流れを変え、約二〇〇米下流で東へ屈曲し、南津之辺水路と平行に約七〇米流下した地点で合流し、再び国鉄片町線下をくぐつて約一六〇米流下してc点に至つており、その流路延長は約六九〇米であつた。
旧河道のうち、旧川部については、昭和四一年作成の「谷田川平面図」(乙第六二号証)から上幅及び底幅を読み取り、深さは昭和四三年作成の「官民境界査定図」(乙第六三号証)における三箇所の横断図に基づき九〇糎と設定した。
また、旧河道の旧川部から下流区間については、右「谷田川平面図」から明らかなように、c点直上流の約六〇米区間が昭和三九年ころ、大東市によつて上幅約五米程度の改修済み河道とされており、その上流約一〇〇米区間は、ショートカット工事後の河川幅とほぼ同規模の上幅七ないし八米程度の河道であつた。
b点ボックスの河床高については、測定位置は同一とされているにもかかわらず二つの断面図があり、「谷田川上流部の断面図」(乙第二五号証)の測点No.05.00米ではOP7.80米と、「谷田川横断面図」(乙第四九号証)の測点No.31ではOP7.55米と、それぞれ表示されている。
この相違の原因は、測点位置がb点ボックスの真中あたりに設定されていてその箇所での測量が事実上不可能であるため、b点ボックスから上流部を測量したときにはその上流端の位置で、また、b点ボックスから下流部を測量したときにはその下流端の位置でそれぞれ河床高を設定したことによるものと判断されるのである。
被控訴人らは、右b点コンクリートボックスがショートカット工事の際に設置されたものであると主張するが、右コンクリートボックスは、ショートカット工事以前から存在していたことは明白である。すなわち、昭和四〇年に撮影された航空写真(検乙第一三号証)から明らかなように、b点の左岸側にはマチスエ芸の建物があり、谷田川を横断する進入路の上には自動車が見受けられるが、この下に本件コンクリートボックスが設置されていたのである。
旧川部の下流端に当たる谷田川と南津之辺水路の合流点付近の河床高は、本件水害時のように土砂が堆積している場合であるため、南津之辺水路の縦断図(乙第四七号証四七頁)(地点No.1)からOP3.87米と設定した。
また、土砂堆積の少ない場合については、右地点の左岸堤防高がOP4.68米とされており、官民境界査定図(乙第六三号証)の一―一断面からこの付近の河道の深さを左岸側で1.30米と読み取り、OP3.38米と設定した。
なお、土砂堆積の少ない場合には、この直上流に直高約六〇糎程度の段落ちを想定することが可能である。
この結果、土砂堆積がある場合でb点ボックスの河床高をOP7.80米と設定したときの旧河道の縦断図は、「本報告書」一二頁に、同様の場合でb点ボックスの河床高をOP7.55米と設定したときの旧河道の縦断図は、「追加報告書」二頁に、土砂堆積が少ない場合でb点ボックスの河床高をOP7.55米と設定したときの旧河道の縦断図は、「追加報告書」一五頁にそれぞれ示すとおりである。
旧河道のうち旧川部の河床勾配については、b点ボックスの河床高と谷田川の南津之辺水路との合流点付近の河床高とを直線で結んで設定したが、これらの妥当性は、昭和六〇年に作成した谷田川旧川部縦断図(乙第六四号証)によつて検証した。
(三) 水理水文条件
本件水理解析を行うに当たり、検討区間の上流端(b点)及び下流端(c点)並びに南津之辺水路と谷田川の合流点に次の条件を設定した。
(1) 上流端の流入量
上流端における流入量は、「谷田川流域の流出解析及び水理実験報告書」(乙第四七号証、以下「前回報告書」という)五四頁に示す本件水害当時の流出状況に最も近いと推定される流出量に対応するb点到達流出量の時間的変化として与えた。
なお、上流端より上流のa―b点間について見るに、その間の流下能力は、シボレー前付近の地点(測点No.9)で毎秒1.6立方米と算出されている(前回報告書三七、三八頁)。
さらに、「前回報告書」四一頁に示されている河床高の数値を用いて、シボレー前付近の河床勾配を計算すると、測点No.8から測点No.10までの間で約一三八分の一となり、a―b点間の平均河床勾配約八四分の一よりかなり緩く、むしろ旧川部の平均河床勾配とほぼ同程度となつている。
(2) 南津之辺水路からの流入量
谷田川の合流点付近における流入量は、「前回報告書」五四頁に示す流出量に対応する南津之辺水路からの流出量の時間的変化として与えた。
なお、南津之辺水路は、ショートカット工事の前後において流出形態に変化はなかつたのである。
(3) 下流端の水位
本件水害に及ぼした寝屋川本川水位の影響を比較検討するために、それぞれ次の二つのケースについて水理解析を行つた。
ケース一:「前回報告書」七三頁に示す本件水害当時の寝屋川本川の水位から推定したc点付近の水位を下流端における水位とした。
ケース二:「前回報告書」七七頁に示すケースⅤに対応する寝屋川本川の異常な高水位の影響がなかつた場合の水位条件を下流端における水位とした。
(4) 旧河道及び当時河道の粗度係数は、それぞれa―b点間と同じく0.03とした。
(5) 丙水路については、谷田川への流入箇所に土砂堆積があり、また、谷田川の水位が上昇すると、丙水路沿いの地盤が低いため谷田川と丙水路とでは水面の高低差がなくなり、ほとんど流出し得なかつた。
(6) 乙水路については、「昭和三六、七年頃」からその流末が閉塞しており、用排水路としては機能していなかつたのであるから谷田川への流出の問題を考慮する余地はない。
(7) 最高裁判決は「a点・b点間の区間の勾配、b点とc点との間の区間に流入する水路の状況等についての審理の結果いかんによつては」と判示し、これらの点についての解明を求めている。
右の「a点・b点間の区間の勾配」については、今回の水理解析において、a―b点間の流下能力、したがつてb点到達流量を定めるについての重要な要素であるので、「前回報告書」において得られたハイドログラフを上流端の流入量とするに当たつて再度検討したが、「前回報告書」において求められた結果については前記のとおりであつて、そこに何ら問題はなかつたのである。
また、「b点とc点との間の区間に流入する水路の状況」については、前記のとおりである。
(四) 水理解析の結果
(1) 本件水害時の状況に最も近いと思われる、土砂堆積があり、b点ボックスの河床高をOP7.80米に設定した場合の計算結果は次のとおりである(本報告書二五ないし三一頁)。<編注・次頁上表>
ケース一 寝屋川本川の水位の影響がある場合
ケース二 寝屋川本川の水位の影響がない場合
(2) 土砂堆積はあるが、b点ボックスの河床高をOP7.55米に変えた場合の計算結果は次のとおりである(追加報告書四ないし七頁)。<編注・次頁表A>
(3) 土地堆積が少なく、旧川部での溢水の可能性がより高くなると思われるb点ボックスの河床高をOP7.55米に設定した場合の計算結果は次のとおりである(追加報告書一七ないし二一頁)。
なお、段落ち部の計算上の取り扱いについては、「追加報告書」二七、二八頁に示している。<編注・表B>
ケース 一
旧河道
当時河道
C点の洪水ピークの発生時刻
17:01
17:01
C点の最大流量
2.20m3/S
2.20m3/S
C点の最大流速
1.09m/S
1.09m/S
C点の最高水位
o.p4.27m
o.p4.27m
ケース 二
旧河道
当時河道
C点の洪水ピークの発生時刻
17:01
17:01
C点の最大流量
2.19m3/S
2.20m3/S
C点の最大流速
1.31m/S
1.31m/S
C点の最高水位
o.p4.10m
o.p4.10m
(注)久作橋付近の堤防高はo.p.4.2m
表A
上流端河床高
Zb=o.p+7.80m
Zb=o.p+7.55m
最高水位
最大流量
最高水位
最大流量
ケース1
o.p4.27m
2.20m3/S
o.p4.27m
2.20m3/S
ケース2
o.p4.10m
2.19m3/S
o.p4.10m
2.19m3/S
表B
旧河道(Zb=7.55m)
当時河道
最高水位
最大流量
最高水位
最大流量
ケース1
o.p4.26m
2.19m3/S
o.p4.26m
2.19m3/S
ケース2
o.p4.09m
2.17m3/S
o.p4.09m
2.17m3/S
(4) 解析結果の総合判断
土砂堆積があり、しかもb点ボックスの河床高を高くした場合には、寝屋川本川水位の影響の有無にかかわらず、いずれの場合もc点における洪水ピークの発生時刻、最大流量、最大流速及び最高水位に差は認められなかつた。
また、各地点での最高水位の縦断分布を見ると、旧川部では溢水は認められないが、本川水位の影響のある場合に限つてはc点では若干溢水することを示している(本報告書二五、二七頁)。
b点ボックスの河床高を低く変えた場合には、旧河道の途中において微々たる水理量の差を生じるが、旧川部で最高水位が堤防高を超えることはなく、c点における最高水位及び最大流量にも差は認められなかつた(追加報告書二九頁)。
土砂堆積が少ない場合には、谷田川の南津之辺水路との合流点の直上流に段落ちが現れるが、旧河道と当時河道のいずれを流下してもc点での最高水位及び最大流量にその差は認められなかつた(追加報告書二九、三〇頁)。
以上のように、河床の土砂堆積が多くても、また、縦横断形状に多少の違いがあつたとしても、ショートカット工事の前後で洪水流の水理特性に有意な差は認められず、旧河道を流下してもc点における最高水位及び最大流量等には差は認められなかつたのである(追加報告書三〇頁)。
3 c点付近での溢水
差戻前控訴審の植村美次証人は、片町線の東側では、昭和二五年のジェーン台風と昭和三二年の豪雨時の二回、田地冠水があつた程度であると証言したが、これらの時にも特に人家への被害はなかつた。
なお、昭和三二年の豪雨の際には、甲水路の真上にあたる谷田川の久作橋直下流の左岸堤防が幅四、五米決壊したが、その原因は、谷田川から水をポンプアップするために堤防を二〇糎ほど掘削したためと言われており、その破堤箇所は上流部よりも堤防高が高く、また、河川幅も広かつたため、堤防からのオーバーフローは考えられなかつた。
脇田フジエ証人は、c点付近からの溢水について、「まれには入りましたけど大抵土のう積んで止めました」とか、大東市によつてc点直上流にコンクリート護岸が設置された後も「二回ほど」「水番が遅れ」たため、川の上の家の北側左岸から溢れた、などと証言している。
しかしながら、同証人の証言はあいまいな点が多く、容易に措信し難いのであるが、仮にそれによるとしても、その溢水は河川上の家屋の北端直上流部左岸から発生したものであり、かつ、その溢水幅はせいぜい四〇糎というのであるから、その程度の溢水量ではおよそ水害を招くものとは認められないのである。
また、同証人の証言によつても、ショートカット工事前に比較して、ショートカット工事後の方がc点付近での溢水の頻度や程度が著しくなつたことがうかがえるような事実は一切認められない。
本件水害時と同程度(時間最大雨量二〇粍)以上の大雨は、ショートカット工事による新川への通水後本件水害時までの間に二六回も記録されている(乙第六五、六九号証)。これらの降雨については、そのパターンや総雨量が一様ではなく、安易に論議することは慎しむべきであるとしても、これだけの大雨の回数がありながらc点における溢水による水害記録は残されていないのである。
したがつて、谷田川を全体的に見れば、c点付近は、上流のa―b点間及び旧川部の河道や南津之辺水路と十分均衡が図られており、ショートカット工事の前後を問わずそこに格別の危険性は認められなかつたのである。
4 昭和四二年七月豪雨
昭和四二年七月豪雨は、府下の北摂地域に激甚の災害をもたらし、そのために北摂豪雨とも呼ばれているが、この時の降雨は、大阪府の枚方観測所で時間最大雨量41.5粍、総雨量121.0粍、また、大阪管区気象台でも時間最大雨量26.2粍、総雨量106.2粍と記録されており(乙第六九号証)、寝屋川流域にも多大の浸水被害をもたらした。
谷田川のショートカット工事のほとんどは昭和四一年度末に概成し、昭和四二年の四月から新川に通水していたのであり(乙第五号証参照)、また、時間最大雨量では本件水害時の降雨(二〇粍)を十分上回つていることからすると、昭和四二年七月豪雨はショートカット工事によるc点への影響を検証するための恰好の機会ということができる。
大東市に存した「昭和四二年七月八日〜九日の大雨による家屋浸水状況調書」(丙第三六号証)という記録によると、野崎駅前で二四戸の床下浸水が記録されているが、その添付図面では、本件未改修部分の下流左岸堤防に溢流箇所が表示されているが、c点付近からの溢水は記載されていないのである。
また、被控訴人ら提出の「昭和四二年七月九日〜一〇日の梅雨前線に伴う集中豪雨による災害状況の推移」というメモ(甲第九二号証)にもc点付近からの溢水はどこにも記録されていないのである。
なお、地形的に見ると、右本件未改修部分の下流左岸堤防からの溢流はA6流域に流れるので、A4流域に所在する一九戸の家屋の浸水原因は右溢流によるとは考えられず、内水に起因するものと思われる。
このように、ショートカット直後の本件水害時を上回る降雨にもかかわらずc点付近で溢水がなかつたという事実からして、ショートカット工事はc点に何らの悪影響を与えていないこと、また、被控訴人らが主張するように旧川部は安全弁的な役割を果たしていないことが明らかに知れるのである。
5 本件未改修部分の早期改修の必要性の無いこと
以上に述べたところから明らかなように、水理解析による検討や各種の証言・証拠等による検証の結果からみて、上流ショートカット工事は、c点の危険性を何ら高めるものではなく、また、これに対応する措置としてc点急縮部及び本件未改修部分をショートカット工事と同時に、又はこれに引き続いて早期改修すべき緊急性や必要性はどこにも存しなかつたということができるのであり、それゆえ、昭和四五年の寝屋川本川の谷田川合流点付近の工事が完了するのをまつて、昭和四六年から谷田川の本格的改修に着手し、本川支川バランス、上下流バランス等に留意しながら、その後c点急縮部及び本件未改修部分の改修を行つたことは全く妥当な措置であつたということができるのである。
H 河川管理における瑕疵の不存在について
1 過去の水害発生状況その他の諸般の事情
過去の水害発生状況その他の諸般の事情については、既に明らかにしたように、すなわち、① 地形その他の自然的条件については、寝屋川流域の他の地域とほぼ同様で、谷田川流域だけに格別の犠牲は見られない、② 土地利用状況については、谷田川流域での市街地の増加率は寝屋川流域(八市)と同程度であるが、市街地の割合はかなり低い、③ 地盤沈下についても寝屋川本川の住道地区が最も激しく、谷田川流域では比較的少ない、④ 過去の水害発生状況から見ると、激甚な災害をしばしば被つている寝屋川流域の他の地域に対して、谷田川流域では水害と称する程の災害は生じていないのであり、谷田川だけが他の支川に比べて特殊な状況にあつた訳ではなく、しかもそれらの支川よりもまず寝屋川本川の改修が緊急かつ重要な課題とされてきたのである。
2 改修計画等の合理性の有無
寝屋川水系河川及び谷田川の改修計画とその実施状況については、前述のとおり① 寝屋川水系河川に対する治水対策は全国の中小河川の内で最も積極的に取り組まれており、流域の急激な都市化に伴い昭和四三年に寝屋川改修計画が改訂され全体的に改修時期が大幅に変更されたものの、谷田川の改修時期は同種同規模と言える他の寝屋川水系河川に比較するとむしろ早い方であり、その治水上の安全度も十分均衡が保持されていた。③ 谷田川の改修計画は昭和四一年に策定され、国鉄片町線複線化工事や大阪環状線道路に関連する先行工事や板柵工事等の防災工事を実施してきたが、c点付近は上流と十分均衡が図られていたため本件未改修部分を早期改修する格別の緊急性や必要性は存しなかつたので、寝屋川本川の改修進捗状況に留意しながら用地買収や立ち退き補償等を進めていたのであり、河川管理の一般水準及び社会通念に照らして、格別不合理なものはどこにも存していないのである。
なお、被控訴人らは、単にc点付近の急縮する河道形状の外観から直観的本能的に危険性が認識されたとして本件未改修部分を早期改修すべき緊急性があつたと主張を繰り返すのみで、これまで被控訴人らから寝屋川水系河川の改修計画等についても、また谷田川の改修計画等についても、同種同規模河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして格別不合理なものがあるとの主張・立証は一切行われていないのである。
3 特段の事由の存否
ショートカット工事のc点付近に与えた影響については、前述のとおり① ショートカット工事の施行にあたつては、その当時断面比較等の方法で安全性が確認されていた、② 最新の手法で水理解析を実施したところ、土砂堆積が多くても少くても、また縦横断形状に多少の相違があつたとしても、ショートカット工事の前後の河道で洪水流の水理特性に有意な差は認められず、したがつてc点での最高水位や最大流量等に影響は全く認められなかつた、③ 証言や過去の降雨実績等に照らしてみても、旧川部は上流のa―b点間と均衡が図られており、ショートカット工事によつて新たにc点に溢水の危険性を付加した様子は見られず、またc点付近にショートカット工事後、水害と称するほどの溢水は認められなかつたのであり、ショートカット工事はc点付近で水害発生の危険性を高めたものではなく、本件未改修部分の早期改修を必要とする特段の事由には該当しないのである。
なお、ショートカット工事のc点付近に対する影響の有無の解明については、高度な水理学上の知識に基づく解析を要するところから、控訴人国・府は専門家による水理解析に基づき水害発生の危険性を高めるものではないことを明らかにしたのであるが、この点に関し本来立証責任を負担すべき被控訴人らは何ら的確な証拠を提出せず、右特段の事由を立証していない。
4 結論
以上のように、過去の水害発生状況その他の諸般の事情からして、谷田川等の支川よりも寝屋川本川の改修が緊急かつ重要な課題とされていたのであり、寝屋川水系河川及び谷田川の改修計画とその実施状況については、同種同規模河川の管理の一般水準及び社会通念から見て格別不合理なものはどこにも存せず、ショートカット工事は、c点付近で水害発生の危険性を高めるものではなく、本件未改修部分の早期改修を必要とする特段の事由に該当しないのであるから、最高裁判決の判示する河川管理の瑕疵判断基準に照らしても、谷田川の河川管理にはどこにも瑕疵の存する余地はないのである。
したがつて、谷田川の本件水害に関しては、何らその管理責任を問われるべきではないことは明らかである。
I 仮執行の原状回復の申立について
(控訴人大阪府)
1 被控訴人らは、控訴人らに対する大阪地方裁判所昭和四八年(ワ)第三二三号損害賠償請求事件の仮執行宣言付判決の執行力ある正本に基づき、昭和五一年二月一九日に、同判決主文第一項(一)及び同第一項(二)のうち金六〇万円および内金五五万円に対する昭和四七年七月一四日から支払済までの年五分の割合による金員の仮執行並びに執行費用金八六万四七八〇円として合計金五〇四九万九一〇五円の強制執行をなし、その金員を取得した。このうち、控訴人大阪府は、その三分の二にあたる金三三六六万六〇七〇円を負担した。したがつて、控訴人大阪府が各被控訴人らに仮執行として給付した金額は金四七万四一七〇円である。
2 被控訴人宮城忠儀は、控訴人らに対する大阪地方裁判所昭和四八年(ワ)第三二三号損害賠償請求事件の仮執行宣言付判決の執行力ある正本に基づき、昭和五一年三月一日に、同判決主文第一項(二)のうち金四〇五万三八〇〇円および内金四〇〇万三八〇〇円に対する昭和四七年七月一四日から支払済までの年五分の割合による金員の仮執行並びに執行費用金八五三五円として合計金四七八万九五九九円の強制執行をなし、その金員を取得した。このうち、控訴人大阪府は、その三分の二にあたる金三一九万三〇六六円を負担した。しかし、控訴審の大阪高等裁判所昭和五一年(ネ)第三六八、三六九、三七〇号、昭和五二年(ネ)第六八八号損害賠償請求控訴事件において、被控訴人宮城忠儀の原審勝訴部分のうち金三一万九〇九六円を減額する判決が言渡され、それに基づき被控訴人宮城忠儀より利息相当の損害金を含め金三五万二七九七円の支払がなされ、うち控訴人大阪府が仮執行による給付金の返還として受けたのは右減額金額の三分の二にあたる金二一万二七三一円である。したがつて、右仮執行により控訴人大阪府が被控訴人宮城忠儀に給付した金額は金二九八万〇三三五円となつた。
3 よつて、当裁判所において、原判決を変更して被控訴人らの請求を棄却するときには、民事訴訟法一九八条二項に基づき、控訴人大阪府が仮執行宣言により給付した右金員の返還並びにこれに対するその支払日より返済済みに至るまで年五分の割合による損害賠償金の支払を求める。
(控訴人大東市)
D 甲路の土砂堆積と本件水害との因果関係について
甲路の土砂堆積と本件水害との間に因果関係は存しない。
本件甲路については、丙第二号証において示すとおり、控訴人市は事実上の管理者として本件水害前の昭和四二年から昭和四七年にかけて順次四回の浚渫を実施している。
昭和四五年三月にはサイフォン管部を、昭和四六年七月には甲路全体の浚渫を行つた。昭和四七年五月には甲路全体通観のうえ、土砂の堆積度の高い箇所の浚渫を行つており、当該サイフォン管部は、未だ浚渫を要する程度の土砂の堆積は見受けられなかつた。
本件水害当時、サイフォン管部を含めた甲路には若干の土砂堆積があつたものの、本件水害以前及び水害時を通じて甲路が疎通していなかつたとの証拠は存せず、したがつて、甲路の西側と東側はほぼ同一の水位を保つていたのである。
したがつて、もともと勾配がほとんどない本件甲路について、被控訴人居住地域内の湛水の流下を妨げる状況は、全く存しなかつたのである。
E 甲路の機能及び構造と本件水害との因果関係について
1 排水能力低下の原因は土砂の堆積によるものではなく、甲路の構造自体に起因するものである。
(一) 甲路の西側先端部分は、谷田川の下流と合流しており、農耕用かんがい期には、右合流点より、取水し、甲路に送水して旧大東市大字深野新田全域にかんがいしていたものである。
甲路はもともと、谷田川、その堤防敷及び国鉄片町線敷地内の下を、同一断面の連続する水管で通水していたが、当該サイフォン管部は、控訴人大東市が設置したものではない。
谷田川以東の旧深野新田地区における農耕用水は、谷田川そのものが川沿い一帯の農耕用水を充足させるだけの機能を有しておらず、又他村との水利均衡からして、主として甲路に依存せざるを得ず、これに代わる水利及び水利権を有しなかつたのが、当該地区の水利慣行であつた。
だとすれば、谷田川及びその堤防敷地下のサイフォン管部は、当該地区の農耕用水を求める人々の手により、明治初年までには敷設されていたと考えるのが妥当であり、その後、何人の手によつて水害当時の水管に改修敷設されたかは定かでない。
又、その西側に接続する国鉄片町線敷地下のサイフォン管部は、明治二八年八月浪速鉄道株式会社により四條畷〜片町間に鉄道が敷設された際に、明治四〇年四月同線が鉄道国有法により国有化された後、国鉄により敷設されて暗渠となり、改修、延長されたものと思われる。
その後、サイフォン管部は、昭和四〇年着工、昭和四四年三月に竣工した国鉄片町線四條畷〜放出間の複線化工事に伴い、国鉄片町線敷地下に敷設されていた口径0.60ないし0.65米、延長49.7米(但し、谷田川およびその堤防部分を含む)のコンクリート製の既設管に接続し、口径0.6米のコンクリート管を西側に五米延長のうえ敷設された。さらに、昭和四八年六月には、谷田川及びその堤防敷下のサイフォン管部に敷設されていた口径0.6米のコンクリート管は、大阪府の谷田川改修工事(その二)により、口径1.65米のヒューム管をもつて11.8米の区間にわたり取り替え工事が行われ、昭和四九年八月二〇日に竣工したのである。
(二) 甲路全体は、かんがい用水の引水を目的として管理されてきたものである。
甲路全体は、勾配もなく、甲路の滞水は構造上、寝屋川の水位が下がることによつて、はじめてその自然流圧により谷田川の下流部に排水することが可能となる。
又、甲路のサイフォン管部分も同様にかんがい期における引水を目的とする範囲内において敷設されたものであるため、その口径も狭隘であり甲路全体の本来的機能と相俟つて、その自然的排水能力はもともと高いものではなかつた。
被控訴人らが居住する一帯は、昭和三三年頃より宅地化が進み、市街化された後も、その排水は依然として甲路のみに依存してきた。
本件甲路は、もとより控訴人大東市が法律上の管理権限を有するものではないが、甲路が市民生活に密着した施設であつて、市の行政目的上放置できない現状に鑑み、前記のごとく本件水害前に浚渫を施し、又、谷田川下流部の甲路との合流点にポンプを設置するなど、甲路の自然的状態における排水機能を最大限に発揮すべく努力してきたのであり、通常の降雨量や内水であれば、これを排水し得たものである。
(三) 本件水害は、内水滞水及びc点からの溢水を原因とするところであつて、甲路へのこのような多量の流水は、すでに甲路の構造上の受水可能限度を超えたもので、かかる水路をいかに浚渫していたとしても被控訴人らの居住地域の浸水を回避できる状況ではない。
又、甲路の東側の滞水が西側に比較して一時的に高かつたとしても、甲路へのc点等からの多量の流入水自体がすでに甲路の受水能力を超え、狭隘なサイフォン管の疎通能力を超えていたという甲路全体の機能ないし構造的欠陥に起因するものといえよう。
(四) したがつて、本件水害は甲路と寝屋川、谷田川との流排水関係及びサイフォン管部を含めた甲路自体の本来的機能からして、内水滞水、c点からの溢水による本件水害の主原因のほか、甲路自体が、被控訴人らの居住地域の滞水を下流に流下させうるに足る機能的、構造的能力を本来的に具備していなかつたことに起因する。
2 法定外公共物である甲路の所有権が国に存し又サイフォン管部の所有権が国鉄ないしは附合により甲路の所有者たる国のいずれかに存する以上、被控訴人大東市としては法律上の管理権は有せず事実上管理しているのみであつて、甲路の改修工事、サイフォン管部の取り替えのごとき、抜本的な改修や構造を変更するための法律上の処分権は有していない。
従つて、水害が甲路の本来的機能及び構造に起因することからして、その処分権を有していない控訴人大東市に法的責任がないことは明らかである。
又、仮りに何らかの処分権能があつたとしても、被控訴人らの居住地域の浸水を防ぐための抜本的な方策は排水河川たる谷田川の改修工事を完成させることであつて、甲路のみの改修は意味をなさない。
かかる観点から、控訴人大東市としても、相控訴人たる大阪府に対し、谷田川改修工事の早期完成を要請していた。
そして、控訴人大東市としては、谷田川の改修の進行しない原因が、用地買収問題にあることを知り、その目的達成のため、全面的に大阪府に協力する観点から昭和四六年度に府から用地買収の委託を受けることになつたのである。
その後、控訴人大東市は、用地買収関係の担当者はもちろん担当部課以外の幹部職員を総動員し、文字どおり、昼夜を問わない買収交渉の結果、昭和四八年に改修工事施行に必要な用地買収が完了したのである。
F 仮執行の原状回復の申立について
1 被控訴人らは、控訴人らに対する大阪地方裁判所昭和四八年(ワ)第三二三号損害賠償請求事件の仮執行宣言付判決の執行力ある正本に基づき、昭和五一年二月一九日に、同判決主文第一項(一)及び同第一項(二)のうち金六〇万円及び内金五五万円に対する昭和四七年七月一四日から支払済みまでの年五分の割合による金員の仮執行並びに執行費用金八六万四七八〇円として合計金五〇四万九一〇五円の強制執行をなし、その金員を取得した。このうち、控訴人大東市は、その三分の一にあたる金一六八三万三〇三五円を負担した。したがつて、控訴人大東市が各控訴人らに仮執行として給付した金額は金二三万七〇八五円である。
2 被控訴人宮城忠儀は、控訴人らに対する大阪地方裁判所昭和四八年(ワ)第三二三号損害賠償請求事件の仮執行宣言付判決の執行力ある正本に基づき、昭和五一年三月一日に、同判決主文第一項(二)のうち金四〇五万三八〇〇円及び内金四〇〇万三八〇〇円に対する昭和四七年七月一四日から支払済みまでの年五分の割合による金員の仮執行並びに執行費用金八五三五円として合計金四七八万九五九九円の強制執行をなし、その金員を取得した。このうち、控訴人大東市は、その三分の一にあたる金一五九万六五三三円を負担した。しかし、控訴審の大阪高等裁判所昭和五一年(ネ)第三六八、三六九、三七〇号、昭和五二年(ネ)第六八八号損害賠償請求控訴事件において、被控訴人宮城忠儀の原審勝訴部分のうち金三一万九〇九六円を減額する判決が言渡され、それに基づき被控訴人宮城忠儀より利息相当の損害金を含め金三五万二七九七円の支払いがなされ、うち控訴人大東市が仮執行による給付金の返還として受けたのは右減額金額の三分の一にあたる金一〇万六三六五円である。したがつて、右仮執行により控訴人大東市が被控訴人宮城忠儀に給付した金額は金一四九万〇一六八円となつた。
3 よつて、当裁判所において、原判決を変更して被控訴人らの請求を棄却するときには、民事訴訟法一九八条二項に基づき、控訴人大東市が仮執行宣言により給付した右金員の返還並びにこれに対するその支払日より返済済みに至るまで年五分の割合による損害賠償金の支払いを求める。
(被控訴人ら)
G 本件最高裁判決について
1 被控訴人らは、これまでにも本件訴訟の一ないし三審を通じて、司法裁判所が具体的な紛争を通してであつても、行政庁の行為を厳しく審査し、その落度を落度として指弾したことにより防災行政が著しく前進した例として、道路への落石事故訴訟における判決をあげてきた。これらの訴訟においては道路管理者は常に不可抗力を抗弁とし、予算のないことを責任回避の理由にあげてきた。それでも、司法が厳しい道路管理責任を揺るぎない規範として措定したとき、道路関係の防災行政は飛躍的な進展をみせたのである。
水害においても同様であつて、ここ数年、本件の一、二審をはじめ下級裁判所が個々の具体的争訟を通じて損害賠償責任要件としての法的な河川管理責任の内容を解明し河川管理に一定の厳しさを求めはじめ、これに応じてわが国の河川管理行政もようやく進展の兆を見せはじめてきたのである。
その矢先に本件の最高裁判決があつて、公共事業ゼロシーリングがいわれるなかで、昭和五九年度の河川改修予算のみが大幅なダウンを示したのである。これが果たして国民の負託に応える道であつたのか、司法の一翼に携わる者に疑問が投げかけられているのではなかろうか。
国は国民の多くのニーズのなかで、河川行政にばかり予算を投入しておられないと繰り返し強調した。被控訴人らからいわすれば、国の主張は誇張以外の何物でもないが、われわれも、かつて、一度として河川行政にばかり予算を投入せよと言つたことはなかつた。被控訴人らが強調しているのは、国会や政府が決めた予算の範囲内で河川改修工事をしておれば瑕疵はないといわんばかりの主張は容認できないということであり、とりわけ河川管理の権限が後述するとおり中央集権化され、極端にいえば国民が河川に対して指一本触れられないという制約下にあつて、しかも洪水が氾濫したとき、国民の生命、健康や基本的な財産が瞬時にして奪い去られ、しかもなお、毎年全国で多くの水害が多発している状況下で、国民の防災行政にかける期待は大きく、行政がその期待に応えることが重要な政策課題であるとともに、その根幹をなす河川管理責任も法的に厳しいものが要求されると説いたものである。国のいうように、多くの国民のニーズがあつても、災害行政は国民の生命、健康の保持や基本的な財産の擁護に直結し、数あるニーズのなかでも第一位に位置づけられることは何人も疑を容れないところである。
もとより、これらの選択は直接的には行政や国会にあり、ひいては最終的には国民の判断に委ねられていることはいうまでもないが、これまでの営造物にかかる国家賠償判例の系譜に全く見られなかつた予算制約をことさら強調した今回の最高裁判決は、立法や行政に盲目的に追従するものであつて、司法権の独自的存立の片鱗さえ感じさせない誠に遺憾極まりない判決である。「行政庁の具体的行政判断をそのまま司法判断に置き換えることを意味し、実質的には旧来の便宜裁量論と勝るとも劣らない程度に行政権『聖域』化の途を開いているといえよう」という池田教授の批判(「水害と国家責任」法律時報五六号四二頁)は誠に的を得た批評であろう。
今回の判決が、「司法消極主義に基づく行政追従の政治的な判決」という批判は、新聞論調に代表されるように、国民的な批判であることを片時として忘却されてはならない。
2 被控訴人らはこれまで繰り返し、豪雨や洪水と水害現象は異なることを強調し、豪雨や洪水は自然現象であつて、現在の科学や技術の力では防止できないが、水害は社会現象であつて、防止できることが多いことを説いて、豪雨・洪水と水害とは峻別すべきことを主張してきた。もとより、われわれもすべての水害につき国が法的責任を負うと説いているものではない。現在の日本の科学技術力や降雨状況、自然的状況等々を総合勘案して、健全な社会通念に照らし、真にその水害を事前に防止できたときは、その水害は人災であつて、管理者の法的責任が問われ、それが真に抑止できないときは、それは法律上不可抗力として管理者の責任は免責されると説いてきた。これに反し抽象的一般的な理論の中に訴訟の争点を埋没せしめ、いたずらに河川管理の諸制約を強調し、河川は自然発生的な公共物であり、災害の危険性を内包し、簡易な危険回避手段がないことを過度に強調して、過渡的安全という概念をもち出すと、ほとんどの水害は法的責任の埒外に置かれてしまう。しかしながら、河川が洪水氾濫の危険性を内包し、一旦洪水が発生してしまえば、通行止に相当するような簡易な危険回避手段が存在しないという理屈は事物の一面のみを見るものであつて正当でないが、百歩譲つて、それを認めるとしても、それ故にこそ、河川管理者は日頃から通常予測される洪水に対して備えを怠らず、十分な管理義務を尽くさなければならないのであつて、ごくありふれた降雨で水害が発生しても管理者の責任を免責するというのでは、国民的な納得はえられないだろう。右理屈が妥当する範囲を、通常予測された降雨規模を超え、真にそれが豪雨であり、洪水であつて、河川の内包する危険性が現実のものとなつたと認められる場合にのみ限定適用するならまだしも、あらゆる未改修河川につき、あらゆる規模の水害についてまで、右の理屈を妥当させようとするのは国民の健全な常識、すなわち、天災と人災の区別、豪雨・洪水と水害現象の峻別をわきまえない非科学的な認識論に立脚するとの批判を免れえない。
3 次に、被控訴人らが承服できない点は、乱開発による流出機構の変化、地盤沈下などのいわゆる社会的制約を河川管理の免責要素として作用させることである。この社会的制約なるものは、その具体的な内容のどれ一つをとつてみても、直接・間接に国の施策に起因している。流域の開発による雨水の流出機構の変化、低湿地域の宅地化、地価の高騰などは、国土利用計画に基づく都市政策、農業政策などに起因するもので、特にわが国の場合、高度成長時代のこれらの諸施策が乱開発を生み出したことはおよそ否定しようもない事実なのである。地盤沈下をみても、主として工業用水の過度の汲み上げによつて生じたもので、これも産業政策と深くかかわりをもつことである。しかし立法や行政府が推し進めたこのような諸施策の結果として水害発生が作出され増幅されたものであれば、それによつて生じた被害を救済することもまた国の責任として考えられなければならないのではないか。現代の複雑な社会構造とそれへの行政のかかわり方の深さを考えるとき、国家賠償の分野において、原因行為の適法、違法を区分することは極めて困難である。そのこともあつて、それらを総合して損害填補の観点から国家の行為による被害者の救済を志向するのがわが国のみならず諸外国の趨勢なのであるから、既に述べたように河川管理上の社会的制約なるものを免責の方向へと位置づける論旨はとうてい支持できるものではない。
4 国家賠償法二条の立法趣旨はいまさら説くまでもないことであり、とくに、河川管理の権限は中央集権化され、極端なことをいえば管理者の許可なくして、河川堤防から一本一草たりとも抜き去ることはできないのであり、仮に、国民が当該河川に危険性を感じて、私財を投げ打つてでも河川を改修し、安全のうちに生存したいと考えても、それは許されないのである。それほどまでに河川管理の権限を中央集権化しておいて、一方では人災水害が発生しても、河川管理者はその責任や義務を負わないといわれたのでは国民はたまつたものでない。
また、国民が等しく同じ税金を払いながら、一方は河川の改修された流域に住まいを定めていたため水害に遭遇することを免れ、他方は未改修河川のため水害に遭つたのに、それが通常の降雨によるものであつても、後者は被害救済さえ受けられないといつたことでは、国民の共感は得られない。こういうときこそ、損害賠償の理念である公平の見地から、後者の被害者を救済しなければならないのであり、これが国賠法二条の精神というものである。
河川管理の権限を中央集権化したのなら、それに応じて管理者の義務や責任も、それ相当に負担させられ、加重されると考えるのが国民の法常識であろう。河川管理者無答責の理論は今の時代では通用しないことを認識すべきである。
ここで問題となる国賠法上の違法性は損害賠償の公平の理念から考えられるべきであつて、一元的に強力な河川管理の権限を有し、重い防災上の責任を負う国は、人災水害については責任を問われなければならないのは当然の理である。
河川管理権限が、中央集権化されている状況の下では、それに比例して国に重い防災責任を負わしてこそ、この両者の平衡がとれるのであり、国家賠償法二条の立法精神に合致すると思われる。
本件のように、行政に幾度となく河川改修の陳情を繰り返し、行政も早期に改修をすることを約しながら、他方ではその趣旨に反する河川占用許可を漫然と繰り返して発しながら、それがもとで水害が発生したときでも河川管理者は責任を負わないといつたことでは、国賠法二条の河川管理責任は死文と化してしまうであろう。
5 河川管理論について
(一) 水害訴訟においてはじめての最高裁の判断を示した本件大東水害訴訟上告審判決(以下「最判」という)は、上告人国側の主張する河川管理責任論を全面的に採用して、河川管理責任の成立を極めて制限的に解し、本件被災者住民の権利救済をほとんど困難な状況に追いやつた。被控訴人らは最高裁が道路を中心とした営造物の管理責任に関し、すでに定着していたともいえる国賠法二条の解釈・適用を河川管理において実質的に変更し、同法条の趣旨を没却する結果をもたらすことになることを深く憂慮するものである。
(二) 被控訴人らは本件最高裁判決の河川管理責任論に対して、次のとおり問題とすべき点を指摘したい。
第一に、右河川管理責任論の底流となつているのは水害天災観であるということである。裁判は「河川は本来自然発生的な公共用物であつて、……もともと洪水等の自然的原因による災害をもたらす危険を内包している」として道路との峻別を説き、河川管理の限界を導いているが、本件大東水害が都市水害の典型的ケースであつて、都市河川はほとんど人工公物であり、かつ現代の都市型水害が行政の諸施策の放置・怠慢や、さらには行政自身の手による危険の作出による人災の要素が極めて強いという現実を見落としている。
第二に、河川管理には道路管理とは異なる特質およびこれに基づく諸制約が存するとして、道路に対比して管理上の質的な差異を正面から肯定し、これを瑕疵の存否の判断にあたつて全面的に考慮すべきであるとして、河川につき制限的な判断基準を定立している。
しかしながら、後述するように道路と河川の差異は相対的なものであり、かつ河川について道路その他の営造物との間に質的差異を認めて、河川の特殊的・制限的判断基準を設定するのは国賠法の解釈上問題であり、その妥当性に疑問があるといわざるを得ない。
第三に、河川管理の瑕疵の有無の判断にあたつては前述の河川の特質および諸制約を前提とした上で、同種、同規模の河川の管理の一般水準を安全性具備の判断基準とすべきことを挙げ、改修中の河川については特段の事由の存在を河川管理の瑕疵の認定の必須条件として要求している。
この河川管理責任論の下では、水害被災者が救済を求めることは著しく困難になるのではなかろうか。すなわち、河川管理の一般的水準を瑕疵の判断基準とするということは、河川行政の現状をまず正当として追認することであり、水害被災者において改修中の河川(わが国においてほとんどの河川が改修中である)についての改修計画の不合理、又は特別に改修工事を施行すべき特段の事情があることを主張・立証しなければならず、瑕疵の主張・立証が極めて困難になり、河川当局者の責任成立が大幅に限定されることになる。
従来の道路を中心とした営造物に関する判例の流れをみると、営造物の「通常有すべき安全性」というのは国賠法二条の解釈にあたつて規範的概念として用いられ、しかもその安全性の有無は問題とされた当該個所を中心に諸般の具体的事情を考慮して判断されてきたのであり、決して同種、同規模の他の営造物の管理の一般水準というような抽象的な尺度を用いることがなかつたのである。このことからすると、本件最高裁判決の採用した河川管理責任論における瑕疵の判断基準は従前の判例のそれと比べて基本的な相違が認められるのであり、実質的な判例変更がおこなわれたといつても過言ではない。
6 河川管理と道路管理の瑕疵判断基準の差異について
(一) 現在のわが国における平地部の河川の実態をみるとき、厳密な意味での原始河川などは存在しえないだけでなく、多くは河川改修工事を通じて、洪水を早く、かつ安全に海まで流下さすことを目的とした治水対策に従い、河川の架け替えをはじめ高水護岸等の設置により全く人工的に作りかえられ、半ば人工化されるに至つている。他方、道路にしても高速自動車道と一般道路の対比によつて明らかなように、同じ人工公物といつても、その加工度において種々の段階がある。
このような河川と道路の実態をみるならば、営造物そのものとして、自然公物と人工公物の差異をとらえる意味はなくなつているのではないだろうか。
また危険性の内包に関しても、最近は山岳地帯において縦横に道路網が敷かれているが、このような山岳道路には、崖崩れ、落石等の事故発生の危険がいたるところに常時存在しているのが実情である。したがつて、危険性の内包は河川特有の問題ではないというべきである。さらに高度経済成長以後、従来なら通常の降雨を安全に流下されえたのに、行政が軸となつて極度の流域開発をおこなつて、危険性を人工的に作出した結果、河川の危険性を一層高めたのである。つまり、危険性の内包といつても、予測できない豪雨・洪水ならともかく、通常の降雨については、従前河川はそれなりに安全性を備えていたのである。この危険性の人工的作出を抜きに危険性内包のみに眼を奪われるのは偏頗な考えである。
(二) わが国のすべての河川が常に洪水等の危険を内包しているわけではなく、後背地の流域面積との関係で水害の常襲地として予測可能な河川は限定されている。このような水害常襲地にある河川については事前に堤防を強化する施設対策をはじめ、避難対策、開発規制によつて治水緑地帯や多目的遊水池の設置等の総合治水対策をとることが十分考えられ、これらが河川における危険回避手段としての効果を発揮し得るのであり、最判がいうように河川について危険回避手段がないということはできないのである。さらには、中国で広く施行されているように、治水ダム(梅雨季や台風時期にはダムを空にして豪雨に備え、豪雨があればピークカットをして雨水を貯留する)を建設し、少々の洪水はダムで「通行止」することは十分可能である(なお、それに対し予算が必要であるとの反論があるやもしれないが、利水ダム建設費は潤沢であることを考えると、治水ダム建設費がないとはいえない)。また道路について考えると、国民の生活上の諸要求との関連において最判がいうように簡易、臨機的な道路閉鎖が常に可能であるとはいえないのである。
(三) 河川について河川管理の特質に由来する財政的、技術的および社会的諸制約が内在することから、治水施設を完備するには相応の期間が必要であるとし、未改修河川においては過渡的安全性をもつて足りるとの考え方については、右諸制約は、前述したように河川と道路との管理上の差異が相対的なものである以上、これらを瑕疵の判断基準の重要な要素として正面から考慮して道路その他の営造物の瑕疵判断と質的な差異を設けることは国賠法二条の解釈上問題があるといわねばならない。まず、社会的制約を管理者の免責理由にすること自体、前記のとおりそれが人為的なものであることを考えると不当であるし、技術的制約たる下流原則も、あくまでも原則であつて緊急に改修を要する個所を放置してよい理由にはなりえない。予算制約にしても、その当否をそもそも司法裁判所で論じること自体権限を踰越しているし、また、よくなしうるところではない。
仮に財政制約、技術制約を斟酌するにしても、少なくともこれらの諸制約に関する事情は不可抗力としての免責の抗弁になるかどうか判断すれば足りるものである。
また、未改修河川等の安全性は過渡的安全性でもつて足れりとし、その過渡的安全性の内容は前記諸制約の下における当該河川と同種、同規模の河川の管理の一般水準から判断するという判断方法は現在のわが国のほとんどの河川が未改修または改修不十分な改修過程にあることを考えるとき、裁判所が河川行政の現状をそのまま受入れ、河川行政当局の考える安全性を司法判断に置きかえることを意味する結果となる。そのうえ、「特別の事情」の主張・立証の困難性を考え合わすならば、わが国における河川管理の瑕疵が認定される余地はほとんどなくなるであろう。
7 瑕疵判断基準について
河川の改修は無限に続くものであり、全国の河川で改修途上でない河川は存しないし、また改修が完成したという河川も存在しないであろう。およそ河川の改修は、一応の改修が完了しても、その時点では流域の開発度にみあつたものになつておらず、すでに社会的に陳腐化しており、次のより高度な目標に向かつての改修が始まつているのである。そうすると現実的には常に河川は改修途上にある以上常に過渡的な安全性を備えておりさえすれば足りることになる。もつとも「過渡的な安全性」ということも、未改修河川につき現に具体的な改修工事の途上という段階において当該河川管理の瑕疵の有無を判断する際に規範的概念として用いるという限度でなら首肯できなくはない。しかし、改修途上の河川一般について、改修工事の計画に従つて改修中でありさえすれば、原則として過渡的安全性を具備しており、当該河川管理に瑕疵がないのだとすると、そこで用いられる過渡的安全性とは何等の規範的内容を持たないことになる。河川を含めて営造物の瑕疵は、計画の有無にかかわらず、当該河川の当該個所はどのような安全性を備えているべきかという観点から規範的に判断すべきものである。
8 河川管理の瑕疵の有無は
(イ) 過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無およびその程度等、諸般の事情を総合的に考慮し
(ロ) 諸制約のもとでの同種・同規模の河川の管理の一般水準および社会通念に照らし
(ハ) 是認しうる安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべき
ものであり、さらに「既に改修計画が定められ、これに基づいて現に改修中である河川」については、
(a) 右計画が全体として右の見地からみて格別不合理なものと認められないときは
(b) その後の事情の変動により、当該河川の未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ、または工事の順序を変更するなどして早期の改修工事を施行しなければならないと認めるべき特段の事由が生じない限り
(c) 右部分につき改修がいまだおこなわれていないとの一事をもつて河川管理に瑕疵があるとすることはできない
ということになれば、次のような問題がある。
右一般論として述べる部分には、いわゆる他川見合論が導入されているけれども、そもそも類似河川とは何を指すのか曖昧であるばかりか、衡量の対象が、あまりに広範囲・無限定であり、判断基準としてほとんど用をなさないであろう。右基準を抽象的に適用して判断を下すとすれば結局は、右基準は何ら判断要素としての役割を果たすものではなく、いわば「裁判官の腹ひとつ」で瑕疵の有無が決められることになる。今日、行政の裁量行使に対する司法審査の合理性を担保するものとして、裁量の法的限界や司法審査の方式を明らかにすることが行政裁量論の一つの重要な課題とされていることは、周知のとおりである。右一般論は、瑕疵判断の基準と言いながら、実は無条件な裁量判断を認めるものであり、およそ合理的で有効な基準とは言えないのである。他方、右基準をもつと具体的に細かく、右挙上の要素をひとつひとつ検討して結論に至らねばならないとすると、厖大な資料、要素の検討が必要であり、実際上、これを適用しての判断はそもそも司法裁判所の判断になじまないばかりか、極めて困難か不可能なことである。さらに、「現に改修中である河川」についての瑕疵判断の基準は、一応の改修計画をたてて改修を進めてさえいれば瑕疵はないということになり、行政の現状をそのまま追認する結果となる。これは極めて不当であり、他の営造物の場合との均衡を失し、国賠法二条にわざわざ「河川」を挙げた趣旨を没却するものである。しかもこれまで営造物の管理の瑕疵の基準とされてきた「通常有すべき安全性」の有無という基準は、一般不法行為(民法七〇九条)で過失・違法性があれば賠償義務が生ずるのと同じく、瑕疵=安全性に欠けるところがあることと賠償義務が連動しているのであるが、右の改修中の河川について説くところは、右視点が欠落しており、「やれる範囲でやれば瑕疵なし」という全く異質な判断基準を持ち込んだことになる。そして改修計画の合理性の有無を問題にする点で、前記一般論の、個々の要素をひとつひとつ検討しなければならない場合と同じく、否一層強い意味において、裁判所に判断の不可能を強いるものである。
また、改修計画を基準とすると、その存否が瑕疵判断に極めて重大な意味を持つことになるが、現実の改修計画は、基準となる程の逸脱を許さない厳格な規範でも、十分な合理性を持つものでもなく、かなり柔軟な、ある意味で場当り的な性格も有しているのである。これが工事実施基本計画を指しているのであれば、工事実施基本計画は河川改修の基本的な技術目標であつて、一言でいえば改修が完成したときの河川断面の状況を示すにすぎないものである。もちろんこの工事実施基本計画だけでは、現実の河川の安全性(危険性)の度合い、改修時期如何はわからない。したがつて、この工事実施基本計画に従つて改修をしているというだけで原則的に(計画の不合理性や特段の事情のない限り)瑕疵がないと考えることは、あまりに不合理であり、到底容認できることではない(たとえば右の考え方をとるとすると、極端に言えば、改修計画さえ作成していれば、後は、改修時期は何時でもよいことになつてしまう)。「改修計画」が、工事実施基本計画だけでなく、毎年あるいは数年の単位で決定された改修時期まで含まれると考えるとすると、当該計画が不合理なものかそうでないかは、実施時期ひいては予算配分等を含めた点が合理的なものかどうかという細かい検討が必要となる筈であり、前記裁判所に不可能を強いると述べた点と同様の問題が生じるのである。
結局、以上の検討から明らかなように、本件瑕疵判断基準は、有効な判断基準として機能するものではないと言わざるを得ない。そして、裁判所に過重な負担を負わせることになるが、あえて本件基準によるとすれば、「既に改修計画が定められ、これに基づいて現に改修中である河川については、右計画が全体として右の見地からみて格別不合理なものと認められないとき」の判断にあたつては、改修計画の数値はもちろん、改修時期の決定についての河川の危険性(改修の緊急性)、予算配分の合理性等の検討をしなければ合理性の有無は決められないから、これらの点につき十分な管理、検討がなされるべきであり、単に改修計画があり、現に改修中であるという一事をもつて瑕疵なしと推定することは許されないと言わなければならない。
9 主張・立証責任について
本件最高裁判決の瑕疵概念は、右に述べたような問題点を含むものであるが、本件判決の論理に立つて改修中の河川の瑕疵の有無を判断するにあたつても、前記のように改修中との一事でもつて免責されるものではない。河川の改修計画は、工事実施基本計画として大綱が決められるが、現実の改修時期、工期等はその都度必要に応じて決められるのであるから、行政の行為を絶対化しない限りこの現実の改修計画の合理性(格別不合理でないこと)は河川の管理者(国、府)が主張、立証すべきものと解すべきである。このことは、右計画に関する資料は、すべて管理者が保有しており、管理者でないとわからないという実際上の理由からも言えることである。
なお、改修計画に合理性があつたとすれば、次に改修を早める特段の事情が問題となるが、ある個所に現在かつ明白な危険があれば、特段の事情の存在は推定されるというべきである。けだし明白かつ現在の危険は、直ちに除去されねばならないものであり、他に優先して改修すべきものだからである。
被控訴人らは、本件最高裁判決によつて、本件寝屋川水系河川および谷田川の改修計画とその実施の状況が果して「河川管理の一般水準」に合致していたのか否か検討すべき課題を与えられた。
しかしながら、この問題提起は、実は全国にある同種同規模の河川の実情をすべて検討してはじめてよくなしうるところであると言わざるをえない。したがつて、全国の一級河川のすべてを管理している国は、本件の改修計画とその実施状況が「河川管理の一般水準」に達していることを主張、立証すべきであると考える。けだし、被害住民が全国の河川管理の状況を把握できる筈もなく、住民側にその立証責任があるとするのは不可能を強いることになるからである。
被控訴人としては、谷田川における次の事実の存在は、一級河川の河川管理にあるまじき特異なる事実と考える次第である。かかる特異な事実の存在に鑑みるとき、本件未改修部分の改修計画とその実施状況に十分な合理性が存するとは考えられない。すなわち、本件谷田川の未改修部分には九戸の家屋が河川上にまたがつて存在し、久作橋より下流が昭和四〇年四月一日に、その上流のa点までが昭和四一年四月一日に、それぞれ一級河川に指定された後も、その占用許可はうち四戸が昭和四六年三月まで、うち四戸が昭和四七年三月まで継続された。本件改修のためには、この家屋の立退がまず必要となり、また河川改修のための用地買収にある程度の日時を要するとすれば、われわれは、次の諸点が疑問となる。
(1) 本件のような一級河川上に改修計画の進捗の妨げとなる民家がその水面全面を占用する例は全国の一級河川でどの程度あるであろうか。被控訴人らは、本件のような例を寡聞にして知らぬところであり、かかる特異な箇所の存在こそ問題であつて、その立退、用地買収の困難さを考えれば、一級河川指定と同時に、遅くとも昭和四一年の改修計画の技術基準策定時には立退に備え、まず占用許可を打ち切るべきであつたと考える次第である。
(2) 昭和四一年の改修計画によれば、谷田川の計画高水量は一秒当り二〇立方米(以下二〇m3/秒と表示する)であつた。しかるところ国、府の主張によれば、c点の疎通能力は2.3m3/秒であつたといい、被控訴人らはこれを0.92m3/秒と主張したところである。ところで国、府の主張によつても、c点の疎通能力はその計画最大流量の約九分の一(被控訴人らの計算―この計算の方が正しいことは既に論じ尽くされている―では、実に約二二分の一となる)の疎通能力しかなかつたことになる。そこで知りたいのは、一級河川の改修計画と現実の疎通能力の乖離はどれくらいか。本件のように現実の疎通能力の二二倍もの改修計画を策定した例、逆にいえば改修計画における高水流量の二二分の一程度しか流下せしめえない河道を一級河川指定後数年間放置していた例が、他の一級河川でもあるのか、被控訴人らはかかる極端かつ特異なる例を知らぬところである。
(3) 本件の谷田川未改修部分の改修計画は、最高裁のいうところによれば、昭和四一年に計画高水流量とこれによる改修技術水準が定められながら、これに基づく改修計画は昭和四六年から五一年を目標としたというのであり、そこに既に五年間という日時の経過があるのである。これによると改修の技術水準を定めながらそれに基づく改修実施計画を五年間も定めず放置したこととなるわけであるし、完了は実に一〇年後となるわけであるが、かかる計画の実施は一級河川の一般的管理水準に合するとはいえない。
(4) 谷田川の下流からの改修は、寝屋川の谷田川合流点付近の改修が昭和四五年に完了したので、昭和四六年より同五一年を目標におこなつたと主張する(国、府の昭和五一年七月二〇日準備書面五二頁から五三頁参照)が、国、府提出の乙第二四号証によると寝屋川水系二〇河川の治水、改修計画は昭和三九年から昭和四六年にかけて三カ年計画でなすと説明したところであるが(甲二三号証、二四、二五号証、被控訴人らの一審最終準備書面三-三二頁以下、五-六頁以下参照)、この大阪地方計画における改修計画と国、府が昭和四六年から五一年を河川改修目標になしたという計画との関係、また後者は、いつ頃、いかなる機関において策定したものであるか、更に本件未改修部分約三二五米の改修を寝屋川と谷田川合流点付近の工事と並行して進行させられなかつた特別なる事情が存在するのか、いずれも不明であり、いわゆる下流原則が存するとしても本件特異性に鑑みれば、右のように並行して進行せしめるべき特別の理由があるというべきであろう。
10 控訴人大東市の責任について
(一) 本件水路についてこれを明確に国の所有とすべき根拠法令が存しないこと、したがつて、国有財産法の適用がないことについては、被控訴人らの差戻前控訴審第一回準備書面第五及び第一審最終準備書面第五章第二に詳述するところであるが、要約すると次のとおりである。
すなわち、本件水路が国有財産法三条二項二号所定の「公共用財産」(国において直接公共の用に供し、又は供するものと決定したもの)となるためには、同法二条一項により「法令の規定」等により国有となつたことが要件とされる。控訴人大東市は「法令の規定」として明治七年太政官布告一二〇号「地所名称区別改定」をあげるが、同布告の意図するところは明治初年の地租改正にあたり、全国の土地につき地所の名称を区別し、租税賦課の対象となるべき土地を明確化することにあり、これによつて所有権の得喪変更を定めたものではない。したがつて本件水路のような法定外公共物に民有地券が発行されず、旧来から除税地であつたとしても、そのことから直ちに本件水路が同布告の規定により国有に帰属したものということはできない。
(二) 仮に若し、右布告が国有財産法二条一項にいう法令に該当し、本件水路が国有に帰するとしても、その機能管理の権限と義務は控訴人大東市が有するものである。
すなわち、国有財産法は公共物を構成する物について、国の私法上の所有権を認める場合の公共物の財産管理面の規定たる意義を有するにとどまるものである。したがつて、仮に控訴人大東市が主張するように、本件水路のような法定外公共物が国有財産法上の「公共用財産」とされ、建設省が所管し、その部局長たる都道府県知事が、国の機関委任事務としてこれを管理しているとしても、その管理の内容は、当該公共物の所有権の範囲や境界の確定、使用収益の許否といつた財産管理の問題に限られるのである(由良卓郎「法定外公共物の管理と訴訟」判例自治五九―一・一二八頁)。
ところで、公共物にとつて何よりも重要なことは、これを単に財産的価値の客体として管理するのではなく、公共物本来の目的を達成させるために、行政的な面からその維持、修繕等の管理を行うことにある。この管理を財産管理と区別して、機能管理としてとらえることができるのである。
法定外公共物の機能管理は、その物の実情を踏まえ、それが存する地域の地形、地理的特殊性等の諸事情を充分把握し、それに見合つた個別的管理をなし、その有する本来の機能を発揮させることを必要とするもので、国による広域的、面一的処理にとうていなじむものではない。このような管理は住民の福祉を増進させるための地方事務として、公共物が存する地域住民にもつとも密接した行政主体に、その管理の権限と義務を帰属せしめ、処理させるのが最適である。
したがつて、法定外公共物の機能管理は、地方自治法二条二項、三項二号所定の地方公共団体の固有事務というべきである。
現に、実務上も法定外公共物の機能管理は、地方公共団体がこれを処理することとされ、例えば、建設省河川局長から広島県知事あて昭和三〇年七月五日付広乙第一六号「普通河川の取締権限及び管理権の所属について」とか、建設大臣官房会計課長から各都道府県土木部長あて昭和五二年九月三〇日付建設省会発第九七〇号「法定外公共用財産(里道、水路等)の管理について」等の通達では、法定外公共物の管理は市町村又は県においてなすべきものとされている。
仮に若し本件水路が国有財産であるとしても、控訴人大東市は地方自治法二条二項、三項二号に基づき、本件水路の機能管理の権限と義務を有するものであり、本件水路が国有財産であるとの認定から直ちに控訴人大東市の法的管理義務を否定することは、国有財産の財産管理と機能管理とを混同するもので著しく不当というべきである。
(三) 被控訴人らの居住地域が、低湿、住宅密集地域で、湛水しやすく、過去においてもしばしば浸水被害を被つた災害多発地域であることなどの自然的特性、並びに昭和四六年度における下水道の普及率が、わずか二、一%に過ぎない控訴人大東市の劣悪な排水処理能力の状態とを考え合せると、周辺住民の唯一の都市下水路施設である本件水路の機能管理は極めて重要なものである。
そして、控訴人大東市が果すべき本件水路の機能管理とは、本件水路につき家庭汚水や雨水を完全に排除することによつて環境衛生を維持するとともに、これらを滞水、溢水せしめることなく谷田川または他の排水施設に安全に流下させる機能及び構造を備えさせることである。
特に被控訴人ら居住地域の住民は、本件水路やサイフォン管部に土砂等が堆積し、排水不良による溢水の危険があつたため昭和四二年六月頃より「深野東排水路改修促進協議会」を結成し、控訴人大東市に対し、くり返しくり返し本件水路の改修、浚渫及び排水ポンプ設置を要請して陳情し、控訴人大東市においても本件水路の構造上の疎通能力の不良については、充分認識していたのである。このような実状において、控訴人大東市が本件水路の機能管理を果したというためには、単に水路部やサイフォン管部に堆積した土砂を浚渫するだけでは足りず、内径六〇糎しかないサイフォン管部を、実情にみあつた相当の口径を有する管に取替えるなどの改修をし、疎通能力を向上させ、非常時に備えて排水ポンプを設置することが必要というべきである。これが控訴人大東市に要求される本件水路に対する機能管理である。
したがつて、これらの管理がなんら尽くされなかつた本件水路は、公の営造物として備えるべき安全性を欠いた状態にあつたこと明白である。
仮に若し、控訴人大東市の本件水路に対する機能管理がサイフォン管部の狭隘部分の改修をすることまで及ばないとしても、排水ポンプの設置は機能管理の範囲内に含むというべきである。なぜなら排水ポンプの設置自体は、水路の所有権の範囲や使用収益といつた所有権に直接かかわる事項ではなく、排水機能を高めるといつた機能面に関することである。
狭隘部分を改修することは、古い管を壊すという所有権の得喪を伴うが、排水ポンプの設置自体は、水路の所有関係になんらの影響を及ぼすものでもない。
他方、本件水路の構造上の欠陥によつて、排水能力が不充分であるならば、機能管理者たる大東市としては、構造に手を触れなくても排水ポンプを設置すれば(根本的な対策とはいえないまでも)排水能力の向上という面から応急的な処置としては大きな効果があり、大東市はそのことを充分認識していたからこそポンプ設置を約束していたのである。にもかかわらず、それを怠つたということは、その責任は免れえない。そして、因果関係の面からとらえても、排水ポンプを設置し土砂を完全に浚渫(サイフォン管部内の浚渫を含む)しておれば、浸水時間がこのように長時間化していなかつたことは各証拠により明白である。
(四) 控訴人大東市に本件水路の法的管理義務がなく、事実上、管理しているだけであるとしても、水防法第三条において、市町村は、その区域における水防を十分に果たすべき責任を負つているものであり、控訴人大東市は、前記のとおり、被控訴人ら住民の再三再四の陳情によつて本件水路の溢水の危険性を指摘されているのであるから、右水害防除責任の履行として、本件水路の構造上の欠陥(サイフォン管部の狭隘さによる排水能力の不良)を補修し、さらには、水害予防施設として、排水ポンプを設置すべきである。したがつて、控訴人大東市が本件水路を事実上管理しているだけであるとしても、本件水路のサイフォン管部を狭隘なまま放置し、排水ポンプを設置しなかつたことは、本件水路の通常備えるべき安全性を欠いていたというべきである。
(五) 仮に、百歩譲つて、控訴人大東市には、狭隘なサイフォン管部を改修し、排水ポンプを設置する義務がなく堆積土砂の浚渫を含めて本件水路全体を完全に浚渫しておれば、浸水時間が長時間化せず、一四日の早朝以降は床下浸水にとどまつていたことは各証拠上も明らかなところである。右土砂の堆積は決して最高裁判所の指摘する如く、排水能力の低下の原因として無視しうる程度のものではなく、本件被害(長時間床上浸水)との関係では、因果関係が充分認められるものである。
(六) また、万が一、前記いずれの主張も受け容れられないとしても、本件水路の堆積土砂については、控訴人大東市に浚渫義務があり、サイフォン管部の狭隘さを含む本件水路の構造そのものについては国およびその機関委任を受けている府(その長である知事)が、公の営造物の管理者として国賠法二条所定の責任を有する。
そして、土砂の堆積とサイフォン管部の狭隘さがあいまつて本件被害を生ぜしめ、これら控訴人大東市と同国、府は、本件水路の設置および管理に関しては、行政的な関連性があり、本件被害発生については、控訴人らの密接な行為の客観的関連共同性が存するものである。
したがつて、控訴人国・府とともに同大東市も、右瑕疵による本件被害の発生につき共同不法行為責任が成立するというべきである。
H ショートカット工事の不合理性と「特段の事情」の存在について
1 最高裁がいわゆる「特段の事情」の存在について判示した結果、当審において、新しくショートカット工事により「本件未改修部分における水害発生の危険性がそのために特に著しく増大し、これを放置することが河川管理の一般水準及び社会通念に照らして、是認することができないと認められるような特段の事情」を生ぜしめたといいうるか否かが大きな論点となつた。そこで、本件ショートカット工事は、明らかにそれまでにも既に存在した未改修部分における水害発生の危険性を著しく増大させたことを明確にするとともに、ショートカット工事前から本件未改修部分が、他に先がけて改修すべきほど危険な個所であつたことも敷衍して、「特段の事情」の発生を明確にする。
2 c点未改修部分の危険性とその認識について
c点未改修部分の水害の危険性については一審以来つとに主張しているところであり、控訴人国・府もその危険性については、十分認識していたことは既に証拠上明白であるにもかかわらず、未だにc点未改修部分にとくに危険性は存しなかつたと主張している。
しかし、右主張はa―b間の流下能力がc点の流下能力より小さいというドグマを絶対的な前提条件としており、本件訴訟において顕出された各証拠に照らしてとうてい容認できないものである。
実は控訴人大東市、同国・府はともどもc点未改修部分の危険性を認識し、その早期改修の必要性を十分に感じていた。その事実は、控訴人側の証人の各証言から明白であるのみならず、地域住民の陳情の経過および行政当局の対応からしても、控訴人らは右c点未改修部分の特異な危険性を熟知していたことが窺える。
昭和四一〜四二年、c点上流部が大断面、高堤防を以て改修されるや、その改修部分と対比して、あまりにも狭小な情況を曝け出すこととなつた。c点未改修部分の一層の危険性を肌で感じとつた地域住民は、従前にも増してその危険性を訴え、谷田川該部分の改修を急ぐことを大阪府と大東市に要望することになつた。その矢先、昭和四二年七月豪雨(甲九二号証参照)により、いよいよ住民の懸念が現実のものとなるといういきさつもあつて、右要望の住民運動は一層切実な願望として積極的な展開をみせることとなつた。
このようにして、控訴人国・府はショートカット工事前から、本件未改修部分の危険性を認識し、改修の必要性を痛感していたからこそ、昭和四二年の時点において、昭和四三年度から三カ年にて谷田川の改修を完了することを決定していたものである。しかるに控訴人国・府は、大阪地方計画や昭和四一年度に策定した谷田川改修計画に論及しながら、最も具体的と思える被控訴人が繰り返し主張する昭和四三年度から三年間で実施するという三カ年計画には一転して口をつぐんでいるのである。それは、谷田川改修計画を樹てながら、それが大幅に遅れ、本件水害を発生せしめたため、一転して、昭和四六年から同五一年の改修計画にもとづき実施したものと主張せざるを得なくなつたからである。
このように控訴人国・府がc点未改修部分の改修の必要性(緊急性)を痛感しながら、改修に着手できなかつたのは、「河川上家屋の立退き問題」にあり、これが当地域の治水に係わるすべての問題の先決要件であつたことは、行政当局側も応答のパターンとして繰り返し主張、弁明していたところである。
そもそも、一級河川指定後、占用許可を与えること自体、河川占用許可準則に反するものであるが、この点に関し、控訴人国・府は、昭和四〇年一二月二三日付建設事務次官通達によつていると主張するが、右通達によつても既存占用のうち、準則に適合しないものは、具体的改善計画を樹立し、逐次、準則に適合するよう措置すべき旨定められており、まして、「河川上家屋の立退き問題」が改修のネックになつていたのであるから、速やかに準則に適合するように措置しなければならないにもかかわらず、また、立退問題を解決するのに長期間要するというのであるから、遅くとも河川改修を計画した昭和四一年から速やかに立退してもらえるよう措置しなければならないにもかかわらず、具体的な改善計画すら樹立せず、ただ漫然と占用許可の更新を続けていたもので、控訴人国・府は、単に改修を放置したにとどまらず、自ら危険を作出したとも言えるのである。一方で住民には、昭和四三年度から改修に着手すると工事説明しながら、他方では通達で示されている改善計画すら樹立せず、漫然と河川占用許可を更新してきたため、改修しえなかつたもので、これらの諸事情からすれば、後記のショートカット工事の影響とも相まつて、「特段の事情」が存したことはより一層明らかである。
3 ショートカット工事の影響について
(一) 最高裁はショートカット工事の結果「特段の事情」が生ずる場合はこれについて、河川管理上の責任を問いうる余地があるとしながら、c点およびこれに続く狭窄部分よりも「更に上流のa点とb点の間の区間は当時未改修であつて川幅が狭く流量が制限されていたのであるから、右a点・b点間の勾配、b点との間の区間に流入する水路の状況等について審理の結果いかんによつては」特段の事情の存否を左右するとしたのである。
そこで、一審以来論議したところであるが、あらためてa〜b間の流量が問題となり、このa〜b間の流量に加えてb〜cの間で流入する水路からの流量とc点の流下能力を対比してことを論ずる必要が強くなつてきたのである。この流量を規定するのは、基本的には川幅と深さと勾配の三要素であるから、あらためてa〜b間およびショートカットされた旧川部の河道状況とc点のそれを論ずる必要を生じたわけであるが、このうちc点についてはすでに一審以来双方が論じ尽くしたともいうべきところである。そして、c点の断面状況については、一審判決がc点では川幅が1.8米、堤防高が1.15ないし1.26米でかつ「かなりの土砂が堆積していた」と認定し、さらに二審判決は、「久作橋上流約二〇米のところ(c点)で上底幅1.8米、堤防高で1.15ないし1.26米、そして水害当時の土砂堆積を河道断面の半分位(0.5米前後の土砂堆積)」と認定しているが、最高裁自身これらの事実認定についてとくに異議をはさんでいない。
したがつて、主に論議すべきはa〜b間の河道状況と、はじめてクローズアップされてきたともいうべきショートカットされた旧河道の状況なのである。
(二) a〜b〜旧川部の河道状況
まず川幅と深さについていえば、被控訴人らはa〜b間につき川幅1.5ないし2米、深さは1.5ないし2米でありその下流はf点(b以下の各点につき図6、7参照)を経てg点に近づくあたりまでほぼ同様であつたが、それから下流はi点(南津の辺水路合流点)まで川幅1ないし1.5米、深さ一米前後と主張する。
また勾配に関しては、a〜b間の平均勾配が八三分の一の急勾配であつたことは、既に乙第二五号証の記載から容易に導きうるところであり、ついで旧川部の勾配部分については、乙第六四号証によればb点直下よりi点付近までの勾配は上流から順次八七分の一、一二九分の一、一三三分の一、一八七分の一となることを示しており、ショートカットされた旧川部の勾配が上流から下流へと順次緩やかになつていたことは明白である。これらの点については双方当事者にそう大きな争いがないといつてもよいであろう。
しかし深さの点については、双方の主張に大きな違いがある。
(三) a〜b〜旧川部の深さについて
国・府はa〜b間の流量を一審以来毎秒1.6屯と算出した(乙第四七号証)。その計算の前提となつたa〜b間の河道状況は、専ら乙第二五号証によつている。乙第二五号証は昭和四八年五月の測量結果に基づくものであるから川幅と平均勾配については、傾向的にいつて水害当時とほぼ同様とみてよいが、深さについては、土砂堆積の程度・浚渫の有無によつて大いに事情を異にするのであるから、乙第二五号証の記載をもつて水害時におけるa〜b間の深さの根拠にはなしえない。
乙第二五号証によれば、a点の下流約七〇米のNo.8ないしNo.9地点(ほぼシボレー前図5参照)で幅1.5米、深さ0.7米とされ、これがa〜b間で一番浅いところとされているのであるが、これはあくまで乙第二五号証の測量時(昭和四八年五月時点の)の状況(いわば土砂堆積状況)を示すものに他ならない。
谷田川は大雨時に多量の土砂流出を伴なう河川であるから、水害時におけるa〜b間の流量を算出するにあたつて、その深さを0.7米と設定しえないことは明白である。
被控訴人らは、a〜b間の本来の深さを1.5ないし2米と主張しているが、これは従前の証拠調べに加えて当審の事実調べにより十二分に立証しえたところである。
(四) a〜b間の流量
以上からみるなら、a〜b間の流量は、水害時において川幅を1.5ないし2米とみ、深さを1.5ないし2米、勾配を八三分の一として計算した結果から導かれる数値が相当な数値ということになる。
すなわち一秒あたりの流量は、断面積×平均流速で算出されるのであるから被控訴人らの主張の控え目な数値である川幅1.5×深さ1.5=2.25平方米(断面積)、2.25平方米(断面積)×2.3(平均流速)=5.175立方米(毎秒)の計算により、毎秒約五屯の流量とみるのが相当である(なお、乙第二五号証でa〜b間の川幅の最少は、1.3米とする部分もあるので、これを前提として同様の計算をしてみると、川幅1.3×深さ1.5×平均流速2.16=4.21立方米(毎秒)となり、毎秒約四屯の流量である)。
(五) 旧河道の流下能力
ところでこれらの水がショートカットされた旧川部を流下しうるかを次に検討する。ここで使用する数値は国・府が当審で主張する数値を便宜使用するとして、その場合勾配は一三〇分の一、深さ0.9米、幅1.2米(旧川部の河床幅は国・府の資料によれば前述のように0.8ないし1.2米であるが、法勾配もあるので、計算の便宜上もあり幅1.2米の長方形断面とみて試算する)として計算すると、この場合の平均流速は前述の手法と同様にして1.484米(毎秒)と求められるので、流量は0.9×1.2×1.484=1.602立方米(毎秒)、すなわちショートカットされた旧川部の流下能力は、毎秒約1.6屯程度である。
してみると、前述のa〜b間を満水状態で流下した毎秒四ないし五屯の水は、ショートカットされた旧川部を流下する間に、その相当量(毎秒2.4〜3.4屯)が谷田川旧川部から溢水したことを示している。
(六) 旧河道の状態および降雨時における溢水状況
f点からg点、h点、i点を経てj点に至るいわゆる旧河道の状態や大雨時における流水の状況について、まず、f点では大雨時にはいつも片町線の鉄橋部分で線路が洗われるようになつて、その付近から川の水が田んぼへあふれていたのであり、g点付近から河道は大きく南へ方向を変え、これ以降は、a〜b間と比べて川幅も狭くなり、深さも浅くなつており、勾配もゆるくなつていたが、大雨時には、この付近からも溢水していた事実が各証言により裏付けられている。
そして、旧河川はg点付近から約二〇〇米程南下し、南津の辺水路の北側添いの道路に突き当たり(h点とする)、そこでほぼ直角に向きを変え、南津の辺水路と道路をはさんで平行に東進したが、その川幅は極端に狭くなつており、溝という感じで、大雨の時には、水は四方八方にあふれているという状態で、h点のすぐ西側角の瀧岡宅はしよつちゆう水につかつていた。
更に旧河川の谷田川が南津の辺水路と合流する地点(i点という)では、かなりの段差があつたが、その程度や勾配については、その時期によつてかなりの差があり、また証人の関心の度合いや目撃の時点(年代)によつてその表現が異なつている。
(七) c点の流下能力
c点の流下能力について川幅1.8米で堤防高が1.15ないし1.2米であるとして平均流速を算出すると、勾配五五〇分の一で0.9(米/秒)となるから、流量は、勾配五五〇分の一のときは、1.8×1.15×0.9=1.86(屯/秒)。
すなわち毎秒約1.9屯を流下させ、勾配二七〇分の一のときでは、1.8×1.15×1.28=2.65(屯/秒)ということになる。
(八) ショートカット工事前後のc点到達流量
すなわち、毎秒あたりの流量がa〜b間は四〜五屯、旧川部は約1.6屯で、c点は約1.9屯なのである。したがつて、旧川当時は、谷田川の水はc点には、1.6屯しか到達しえない物理的構造であり、谷田川の水のみではc点からの溢水は起こりえないのであつた。
しかるにショートカット工事の結果、このa〜b間の全部の水がそのままc点に到達することになつた。それは理論数値でc点流下能力の二倍以上、毎秒あたり2.1屯ないし3.1屯の量があふれる計算である。
これが、水害発生の危険性を著しく増大せしめた事態にあたることは、誰の目にも明らかである。
(九) 以上が谷田川本川の流量にのみ着目した場合の論述であるが、さらに忘れてはならないのは、最高裁判決もいうところの「b点とc点との間の区間に流入する水路からの流量」の検討である。この水路とは、南津の辺水路と丙水路以外にはない訳であるが、原審以来論じられてきたところは、水害時における丙水路の流入の有無と南津の辺水路の流量であつた。前者については控訴人国・府は土砂堆積ないしは谷田川水位の関係で流入は全くないといい、被控訴人らは流入が困難としても全く無視する訳にはいかぬと主張してきた。南津の辺水路の流入量について、国・府は毎秒0.6立方米といい、被控訴人らは毎秒一ないし二立方米と主張してきた。丙路の詳細な構造・勾配等については一審以来ほとんど着目されていないのでその流量を算出するのに一定の困難があるが、控訴人国・府提出の資料で谷田川周辺の流域面積を算定したものがあるので、これにより大体の目やすを得ると、丙水路流域は毎秒0.6立方米程度の流量があつたとみて差しつかえなく、又南津の辺水路も少くとも0.6立方米の流量があるから、c点到達流量はショートカット前は、谷田川本川では結局1.6立方米+南津の辺0.6立方米+丙水路0.6立方米の合計2.8立方米となり、これだけでもc点からの溢水が不可避であることが判明するのである。
さらに前述の計算の結果のように、ショートカット工事の結果、a〜b間の流量がそのままc点に到達すると、その到達流量は毎秒5.2ないし6.2立方米に達することとなる。
(一〇) ショートカット工事によるc点危険性の著しい増加
このように、a〜c間の水路からの流入を考慮に入れるとより一層ショートカット工事がいかにc点に対する危険性を飛躍的に高めたかが明らかである。
すなわちショートカット工事前は、c点の危険性は、流下能力の1.4倍程度の水が到達しうる危険性であつたのが、ショートカット後は2.7ないし3.3倍の水が到達する状況となつた。この危険性はc点未改修部分を残したままでその上流部を改修することにより人為的に新たに発生した危険性である。かかる危険性の新たな発生こそが、最高裁のいうところの「谷田川の改修計画で予定された時期よりも特に早い時期に他に優先して改修すべき」こと、すなわち特段の事情にあたるものと言わねばならない。
I 控訴人国・大阪府の行つた水理解析に対する批判
本件「水理解析」は乙第六一号証「谷田川水理解析報告書」(以下単に「報告書」という)五頁の一次元不定流の横流出入を含む基礎方程式(1)(2)にもとづいてこれを差分法による逐次計算によつて、所期の結果を得ようというものである。だから、そこに与えられるデータが正確なものでなければ、その誤差は増幅され
るし、データ操作によつてその結果を作為することもできる、という性質のものである。
そこで、まず、正確な資料を得ることが問題となる。たとえば、洪水中の河床は移動床であるから、これを時々刻々測量した図面などありえない。条件として与えられる水理量にしても、正確に把握できる保証はない。
水理公式や河川公式はこれらのデー夕が正確であることを前提として許容されるべき結果が得られるというものであるから、まずその適用にあたつては資料による限界はまぬがれない。
次に報告書では、当時河道、旧河道ともに単断面(台形断面)の直線河道(粗度係数も同じ)というモデル河道を設定しているが、旧河道のように湾曲、屈折(直角)、屈曲の甚しい河川を、そのような直線河道でモデル化することが妥当か否か、すなわち、段落をも含めて漸変流一次元解析法が使えるのかという公式の適用限界の問題がある。
これらの点については、乙第七〇号証「谷田川水理解析追加検討報告書」(以下単に「追加報告書」という)も本質的には変らない。
要するに、報告書、追加報告書でおこなわれたとされる「水理解析」は不合理で、非現実的、恣意的であり、資料面でも水理学面でも限界があるので、その適用領域もおのずから限られるものであるのに、それらを無視して、はじめに意図された結論に対して合目的的に恣意的に適用されている。したがつて、解析結果が現実から全くかけ離れたものとなつているのも至極当然のことなのである。つまりは、これらは本件に関して何等の意味を有するものではないと言わなければならない。
J 仮執行の原状回復の申立について
控訴人大阪府、同大東市主張の事実関係は認める。
第三証拠関係<省略>
理由
一本件水害の発生
被控訴人伊藤隆を除く被控訴人らが各主張の場所に昭和四七年七月頃居住していたこと、被控訴人伊藤隆、同宇野勝彦を除く被控訴人らが、本件七月豪雨によりいずれも床上浸水の被害を蒙つたことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば被控訴人伊藤は当時大東市野崎一丁目六番四号に居住しており、同人及び被控訴人宇野も同様床上浸水の被害を蒙つたこと並びに被控訴人らの浸水被害の模様が別表Ⅰ該当欄記載のとおりであることが認められ、右認定に反する丙第三五号証の記載は、前掲証拠と比較して措信し難く、他にはこれを覆えすに足る証拠は存しない。
二谷田川の管理者、費用負担者及び水路の管理者
被控訴人らが加害の源泉と主張する谷田川は、生駒山系の桜池を源とし、被控訴人ら主張の地域を流れて寝屋川に注ぐ淀川水系の一支川で、その長さ、流域面積等は、後記のとおりの小河川であり、河床が周囲の地面よりも一段と高くなつている天井川であるところ、河川法施行の日である昭和四〇年四月一日に大東市北条一丁目一番地先の久作橋から寝屋川合流点までが、翌四一年四月一日に久作橋の上流端からa点までが、それぞれ一級河川に指定されたこと及び控訴人国の機関である建設大臣が河川法九条一項、昭和四〇年政令四三号により一級河川である谷田川を管理し、大阪府知事が河川法九条二項、昭和四〇年建設省告示九〇一号(昭和四六年建設省告示三九六号にひきつぐ)により谷田川の指定区間の管理を行ない、控訴人大阪府が同法六〇条二項によりその管理費用を負担していること、同大東市が少くとも甲、乙、丙の本件水路の事実上の管理者であることは、当事者間に争いがない。
ところで本訴は、要するに、谷田川が流下する大東市野崎一丁目及び同市北条一丁目の住民であり又は住民であつた被控訴人らが、昭和四七年七月一〇日午後六時頃から同月一三日午後まで降り続いた本件七月豪雨により床上浸水等の被害をうけたが、その原因は、谷田川の堤防の管理(改修工事)の瑕疵及びこれと相まつて本件水路の管理の瑕疵に起因するものであるから、谷田川の管理者の属する控訴人国同大阪府及び本件水路の管理者である同大東市に対しては、国家賠償法二条一項により、更に谷田川の管理費用負担者として同大阪府に対しては同法三条一項同大東市に対しては排水処理の遅延につき同法一条により損害賠償を求めるというのである。
そこで本件においては、まず同法二条一項の適用上前提となる河川の特質及び管理責任の内容から考察することとする。
三河川の特質
1 河川は、国又は公共団体が直接公の目的のために供する有体物である公物の中のいわゆる自然公物に属し、道路、公園など行政主体において人工を加え、公共の用に供しうる実体を備えた後、公物の資格を与え、公共の用に供する意思表示である公用開始によりはじめて公物として成立するいわゆる人工公物と異り、自然の状態において、すでに公共の用に供される実態を備えているのであつて、公用開始を必要とせず、しかもその本質において人工公物のようにもつぱら利益目的(使用目的)のみに供されるものではなく、利害両面の性質を有し、その流水は、上水道、灌漑、発電、鉱工業等のために利用され、国民生活に寄与する反面、洪水等による河川の氾濫は、国民の生命、財産、公共施設等に多くの被害を及ぼすものであつて、かかる危険性を不可分離的に内包する点において大きな特色を有するものということができる。
2 河川法によれば、河川は公共用物であつて、洪水、高潮等による災害の発生防止、適正な利用及び流水の正常な機能の維持を目的として総合的に管理されなければならない(同法一条)とされている。
しかしながら河川は自然公物である性質上、河川管理の重要部分を占める河川工事による災害の発生の防止には自ずから限界が存するのであつて、各種異常気象による災害のほか、通常の状態において生ずる河床の上昇、地下水のくみ上げに起因する地盤沈下など自然的原因又は人為的原因のいずれによるとを問わず、河川の流水によつて生ずる災害の発生の防止は、巨額の費用と日時を要し、財政的にも、技術的にもかつ社会的にも、多くの困難を伴うものである。河川法の定める趣旨によれば、河川管理者は、かかる財政的、技術的、時間的並びに社会的制約の下において、当該河川の特性を把握し、計画高水流量その他当該河川の河川工事の実施について基本となるべき事項を工事実施基本計画において策定し、これに基づいて実施しなければならないところ、同計画は、河川別、河川管理者別に定められるものではなく、水系別にその水系にかかる河川の総合的な管理を確保できるように定めなければならず、とりわけ一級河川にかかる工事実施基本計画は、国土保全上又は国民経済上特に重要な意義をもつので、河川法施行令一〇条二項の所定事項にしたがい、あらかじめ河川審議会の意見をきいて建設大臣がこれを定めることとされているのである(河川法一六条四項)。
3 ところで、国家賠償法二条一項は、営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために、他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる旨を定めるところ、右の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいうのであり、このような瑕疵の存否については、当該営造物の完成又は未完成、構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合的に考慮して具体的、個別的に判断すべきものである。
四谷田川流域の自然的、社会的状況
1 次の事実は、当事者間に争いがない。
(一) 谷田川は、前記のように桜池(標高257.2米)を源とし、生駒山系飯盛山附近の水を集めて急峻な山地を西に向つて流下し、別紙図(二)のとおり国道一七〇号線下を暗渠でくぐり抜け(出口a点という)、その後は、流れを緩め、西方へ約三〇〇米流れて南へ転じ、国鉄片町線の線路に沿つて約八五〇米南進した後西へ折れ、同所から約一二五〇米の地点(大東市深野一丁目)で寝屋川に注ぐ、淀川水系の中のいわゆる寝屋川水系の支川であり、a点から寝屋川合流点までは全長約二粁余で、その流域面積は、a点上流で0.846平方粁、全体でも3.94平方粁程度の小河川(天井川)である。
(二) 谷田川は、前記のように、昭和四〇年四月一日に久作橋から寝屋川合流点まで、同四一年四月一日にa点から久作橋上流端までが、それぞれ一級河川に指定されたが、右指定の際の改修計画に基づく改修工事が久作橋の上流約一一〇米の地点から上流へ四一八米の区間(いわゆるショートカット工事を含む)については昭和四二年三月末までに、同橋下流二一五米の地点から下流へ一四六米の区間については同四四年までに完了し、いずれも上幅7.99ないし8.44米、底幅六米、高さ3.32ないし4.07米、勾配五五〇分の一ないし七五〇分の一となつていたが、右二区間に挾まれた国鉄野崎駅前約三二五米の区間は、本件水害当時なお未改修のままであつた(以下「本件未改修部分」という)。
2 <証拠>を総合すると次の事実が認められる。
本件未改修部分は、その最上流端から下流へかけて徐々に川幅が狭くなつてゆき、久作橋上流約二〇米のところ(c点という)では、上幅約1.8米、堤防高1.15ないし1.26米と急縮し、ほとんどそのままの状態で下流の改修完了部分まで続いており、堤防天端高においては、上流側改修完了部分と接続する部分に段差があり、未改修部分の方が約1.31米低くなつていた。そして本件水害当時右河川上に跨つてc点から久作橋までの間に二戸、久作橋の下流に七戸の家屋が存在し、それらの家屋の桁が堤防高より低く、河道断面に食い込んでいたり、家屋下を水道管が通過したりしていたほか、c点附近の川底には0.5米前後の土砂の堆積があつた。
3 <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 本件水害当時の谷田川のa点上流部分は、ほとんど溝と呼ぶにふさわしい程幅の狭い川であり、a点からb点までの約三〇〇米の区間は、幅1.5米程度の小川であり、b点からc点上流約五〇米余までの区間はショートカット工事による前記幅員の川が四一八米位続き、更に以前からある約五米幅の約五〇米余の区間が続いてc点に至るという状況であつた。
(二) 谷田川流域は、別紙図(二)のとおりA1ないしA6の六つの流域に分割されていて、被控訴人ら居住地域(同図斜線部分)の含まれるA4流域は、北は谷田川上流部の堤防に、東は生駒山系の山の傾斜地に西は谷田川中部の堤防に囲まれ、その南は、A6流域との境である甲路の南約一〇〇米の道路附近(南水路が暗渠となつている箇所)がやや高くなつている窪地であつて、その中を甲、乙、丙の三水路(旧農業用水路で、同地域の市街化に伴い、生活排水や雨水の排水路となつた。以下「本件水路」という)が貫流しており、甲路沿い野崎観音参道の中程の泉州銀行あたりが一番地盤が低く、被控訴人らの居住地域を中心に、すり鉢状になつていた。
甲路は、勾配がなく、ほとんど水平で、右参道沿いの部分には、土砂やゴミの堆積があり、サイフォン管部(口径0.6米、谷田川の下をくぐる暗渠部)が狭隘で水の通りも余りよくはなかつた。
被控訴人らの居住地域は、以前は水田であつたが、昭和三二年頃からぼつぼつ宅地化が始まり、昭和三六年頃には甲路沿いの一部と野崎駅前の一部に住宅が建ち並び、昭和四二年頃にはほぼ現状に近く、附近一帯の市街化が形成され、住宅密集地域となつていた。
4 <証拠>によると次のように認められる。本件地域は、江戸時代宝永元年(一七〇四年)に行われた大和川付替工事以前は、旧大和川の水の一部と寝屋川の水とが流れ込み滞留して形成された広大な深野池の中の東側部分に当たつていたが、大和川付替後は、池の水量が減り、干拓が進んで新田開墾が行われ、深野新田となり、東本願寺難波別院の永世祠堂田となつた。しかし干拓後も、低湿地であることには変わりはなく、水田は冠水状態にあることが多く、随所に蓮池などの小池沼がみられた。被控訴人ら居住地域は、前記のようにすり鉢状のくぼ地であり、従前は少し雨が降れば、四、五〇糎の水が湛水するといわれた水田であるが、昭和三〇年代から同地に宅地造成がなされ、被控訴人らの家屋が建築され、ことに同四二年に片町線が複線化した後は、市街化が急速に進み、昭和三六年から同四六年までの一〇年間に、田畑は全体の四分の三から三分の一に激減する一方、人口は急増し、都市用水の不足による地下水汲み上げに起因する地盤沈下が平野部全域に及び、大東市内では昭和三九年から同四七年までに一米以上の地盤沈下が生じていた。
五降雨及び浸水の状況
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
1 大阪府下においては昭和四七年七月一〇日頃から一三日にかけて多量の降雨があり、被控訴人らの居住地域に近い大東市大東町二番一号地の永野ポンプ場では、一〇日午後六時から一一日正午までの間に69.5粍の降雨があり、その後一旦降り止んだ後一二日午前六時から一三日午後にかけて195.4粍の降雨が記録され、前後の総雨量は、二六五粍に達した(別表Ⅱ参照)。
なお大阪府下における一二日午前六時から一三日午前六時までの二四時間雨量188.5粍は最近一五年間の最高位であり、明治三三年から昭和五一年までの七七年間における第三位の雨量であり、大阪府における昭和一六年から同四七年までの年平均降雨量一三九〇粍の約二〇%に当たる雨が、右四日間に降つたことになる。
そして、右豪雨により大阪府では九二三ヘクタールの田畑が冠水し、床上浸水六一八六戸(うち大東市二二八七戸)床下浸水四万〇三四六戸(うち大東市三〇三七戸)の被害を蒙むり、門真市、大東市、東大阪市、八尾市に災害救助法が発動された。
2(一) 昭和四七年七月一〇日頃からの降雨により谷田川の水位は漸次上昇していたが、翌一一日午前七時頃久作橋附近においては、未だ満水状態ではなく、橋と水面との間は約一〇糎程の間隔があつた。しかし同日午前八時頃c点から若干の溢水が始まりその水は幅一米弱の水流となつて甲路へ流れ込んだが、被控訴人ら居住地域に浸水するまでには至らなかつた。その後は雨が止んだため谷田川の水は減水し、c点からの溢水はなかつた。
(二) しかし七月一二日午前六時頃からの降雨により谷田川は再び増水し、午前九時頃にはc点から溢水が始まつた。
同日午前一〇時頃甲路は満水状態となり、午前一一時頃被控訴人尾崎方で側溝の水と美容院店内の排水口から逆流した水とが店内に入り始め、地盤の低い被控訴人小辻、同中村、同六山、同横枕、同西脇方及び同宮城方工場辺りでは下水管や側溝から逆流した水が床下に浸入し始めた。
午後一時頃には野崎参道の中で最も地盤の低い泉州銀行前道路において、甲路水面が路面とほぼ同一となつた。
午後二時頃には被控訴人益田方、同安田方前道路の低い所で冠水がみられ、同宮城方で床下浸水が始まつた。
午後三時頃には被控訴人高橋方裏の下水が一杯となり同益田方で床下浸水が始まつた。
午後四時頃には野崎参道上の深い所で膝位まで冠水し、午後五時頃には被控訴人小辻、同中村、同六山、同横枕方で床上浸水に達し、野崎参道上東和建設前辺りでは歩行に長靴を要する状態であつた。
午後七時頃には比較的地盤の高い被控訴人野村方で玄関が少し浸水し、東和建設前では長さ三〇糎の長靴でも歩行困難となつた。
午後七時半頃被控訴人尾崎方で床上浸水となり、午後八時頃同野村方でも床上浸水が始まつた。
午後一〇時頃被控訴人高橋方が床上浸水となつた。
(三) その後浸水位は次第に上昇し、一三日午前三時頃ピークに達した(この点は当事者間に争いがない)。同日午後からは雨が止んだため幾分減水し、更に一四日朝から控訴人大東市が行つたポンプ排水によつて減水し始め、被控訴人野村方では午後四時頃に床下から水が引いたが、被控訴人ら居住地域全体では、同月一五日から一六日にかけて完全に浸水状態から脱した。
六本件水害の発生原因
前叙のような地形、環境及び気象条件の下において発生した本件水害の発生原因としては、被控訴人らの主張及び前記認定事実に照らすと、次のように、外水(c点からの溢水)と内水(上記溢水以外の水)とが考えられるので、以下順次検討する。
1 外水
(一) <証拠>を総合すると、一一日午前七時頃久作橋下において、橋と水面との間は、一〇糎位の間隙があつたが、午前八時頃c点附近から若干の溢水が始まり、これが幅一米位の流れとなつて甲路に流入していたが、未だ被控訴人ら居住区域へ浸水するまでには至らず、その後雨が止み溢水も止まつたこと、一二日は、午前六時頃からの降雨により谷田川の水は増水し、午前九時頃から溢水が始まりその強弱は別として終日続き、又c点下流の未改修個所の河川上家屋のすき間からも溢水していた事実が認められる。
ところで、右溢水の原因については、谷田川のいわゆるショートカット工事完了後の豪雨であつた昭和四二年七月八、九日両日にわたる降雨は、総雨量一一六粍にのぼる大雨であり、大東市内では後記のとおり多数の家屋の床上、床下浸水の被害を生じたが、c点から溢水した事実はなかつたのに対し、本件七月豪雨では、前記のとおり床上、床下浸水のみならずc点から溢水したものであるところ、右両降雨の主たる相違点をみるに、まず前者では総雨量一一六粍であつたのに対し後者では総雨量二六五粍(時間最大雨量では両者とも約二〇粍程度で大差がなかつた)にも達したこと、並びに前者では寝屋川本川の水位上昇が窺えないのに対し後者では、前掲丙第四号証記載のとおり異常な高水位を呈し、谷田川c点の溢水及び被控訴人ら居住地域の浸水位の上昇と寝屋川本川水位の上昇とが、前者が後者にやゝ遅れて追随する形態でほゞ対応している事実を挙げることができ、以上の点を勘案すると、c点溢水の原因としては、本件七月豪雨の総雨量が異常に大きかつたこと及び寝屋川本川水位の上昇とであつたと認めるのが相当である。
控訴人国、同大阪府は、c点における溢水の事実を強く否定し、被控訴人ら提出の水害時の写真の中にc点からの溢水状況を撮影したものが全く存しないこと、控訴人らの依頼した水理解析実験結果によつてその事実が認められないことを挙げる。
しかし前者については、前掲各証拠と比較して溢水事実を否定する資料とはなりえず、後者については、後記のように溢水量が少ないことの証明資料とはなりえても、溢水の事実そのものを否定する資料とはなし難く、その他に、前掲証拠を排除して、右控訴人ら主張事実を肯認するに足る証拠は存しない。
(二) <証拠>を総合すると、控訴人大阪府は、株式会社新日本技術コンサルタントに依頼して本件水害時における本件地域の湛水中内水量と外水量を推計する目的で、河川の流出状況を把握するための基礎となる水文観測を行ない、その資料を基に流域をモデル化して(河道が改修途上のため複雑な河道断面を有しているので、現象把握のためc点附近の河道及び地形を模型によつて再現し、河床や水位の時間的な変動状況を水理模型実験によつて求めるべく)、解析的手法を用いて流水量を計算し、c点への到達流量及び内水域の降雨滞水量を求める実験を行なつたが、その結果をまとめた「谷田川流域の流出解析及び水理実験報告書」には、本件地域の滞水量のうちc点からの溢水の割合は約一〇%で大半は地域全体に生じた降雨のためその付近の低地に滞留し、各小水路も流下能力を失ない本件地域に滞水したものと思われる、とし、更に被控訴人らの批判に答えて再検討した末の結論である「谷田川追加実験に関する報告書」には、本件地域の滞水量のうちc点附近からの溢水量の割合は、約七%であり、前回より若干小さい割合となつたこと、滞水量における外水の比率は実験条件を変えてもほとんど差異はなく、溢水量に支配的な影響をもつのは、寝屋川本川の水位であつて、その他の要因は、その影響の度合は余り大きくなく、右実験の結果では、支配的な要因とはならないことが明らかとなつた旨の記載があることが認められる。
(三) 以上のとおりであるから、右控訴人らの主張は採り得ず、c点からの溢水は、本件水害の原因となつた湛水の一因であることを認めることができる。
2 内水
(一) <証拠>を総合すると次の事実が認められる。
被控訴人ら居住の本件地域には、別紙図(二)記載のように甲、乙、丙の三水路が明治時代から存在し、昭和三二年頃までは農業用水路として利用されてきたが、現在は附近の宅地化に伴ない事実上家庭汚水や雨水の排除の用に供される排水渠としての機能を果している(以上の事実は、控訴人大東市との間では争いがない)。
甲路は、野崎観音への参道の南側に沿つて野崎一丁目と北条一丁目の境辺りを西進し、谷田川と片町線の下を暗渠管(サイフォン管)を通つてくぐり抜け、西側へ出て七〇〇米で南へ折れ、四〇〇米で谷田川に通じているが、元来は、旧深田新田である本件地域へのかんがい用取水路として用いられたもので、勾配はほとんどなく、通常の雨水や生活排水は、水圧によつて流出していた。
乙路は、甲路の北側に位置し、北条一丁目二五番地先付近に端を発して同二四番地から一八番地先を西進して途切れ、谷田川へは接続せず、一種の堀割りとなつていた。
丙路は、乙路の更に北側に位置し、四支線水路から成つており、北条一丁目のうち北は谷田川以南、以東、乙路以北、東は国道一七〇号線を越えて北条七丁目に至る広い地域の家庭排水や雨水を受水し、北条一丁目一〇番地先で高さ七八糎、巾二米の水門を通つて谷田川に合流する上巾一米、高さ約一米のコンクリート製水路であつた。
(二) 国道越流水
<証拠>を総合すると、一二日から一三日にかけてa・e点からそれぞれ溢水し、a点の溢水は、一二日午前一〇時頃から正午頃までと、一三日午前零時頃から七時頃までの二回であり、そのため、他の内水と合して、前者の場合、最も深い時は、半長靴の半分がつかる程度に、後者のそれは長靴の甲がつかる位の水が、国道上を越流していた事実が認められる。
(三) ところで、本件地域に降つた雨水や各所から同地域に流入してくる雨水は、本来甲路からサイフォン管部を通つて西方へ流れ出るか、又は丙路から谷田川に流れ込む構造であるところ、前者については、サイフォン管部の疎通能力が高くなく、又当時片町線西側も本件地域同様に浸水状態にあつたことからその流出量は僅かであり、後者については、谷田川の水位の上昇に伴ない丙路から同川への流出量は零に等しかつたゝめ、本件地域に滞溜した水は他へ流れ出ることは困難であり、これが増加するとともに本件浸水の原因となつたことが認められる。
3 外水、内水の相互関係及び浸水に対する寄与度について
前記認定事実によれば、本件水害の発生原因は、前叙のような形態において発生した外水と内水であることが認められるが、本件において当事者の提出した全証拠を精査しても、外水、内水の各量及び相互の割合ないし浸水に対する各寄与の程度については、これを確認することができない。
もつとも、前記1の(二)掲記の証拠によれば、本件水害時における内水滞水の量とc点溢水量とを科学的に推計し、相互の割合を算出することが可能であるかのようにみえる。しかし、控訴人大阪府の依頼により水理学の専門家によつて行われた右解析・実験の結果については、前提となる資料並びに諸条件が確定された数値ではなく、仮定的に設定された数値による部分もあるから、少くとも内水、外水の割合に関する推計結果については、自ずから正確性につき限界があることを否定できず、そのまま採ることは相当でない。又河川災害について調査・研究歴を有し環境地学を専攻するという原審証人木村春彦の証言によつても、これを確認するに足りない。
しかしながら、外水、内水の数量又はその割合のいかんに拘らず、これらが本件被害発生との間に因果関係を有することは明らかであるから、以下において右水害発生原因につき控訴人らの河川管理の瑕疵の存否を検討することとする。
七本件における河川管理
1 工事実施基本計画について
前叙のように、河川管理者は、河川法に基づき、その管理する河川について、計画高水流量その他当該河川の河川工事の実施について基本となるべき事項(工事実施基本計画、以下「基本計画」という)を定めねばならない行政上の義務を負担するものである(同法一六条一項)が、右基本計画は、従来の水害発生の状況を考慮し、その防止はもちろんのこと、既存の水資源の利用を確保しながら、ダム、河口堰等によつてその開発を図ることも考えねばならないうえに、政令で定める準則に従い、かつ国土総合開発計画、近畿圏整備計画等の地域計画とも調整して、水系一貫管理の建前から水系毎にその水系の河川の総合的な管理が確保できるよう定めなければならないものである(同条二項)。
しかし弁論の全趣旨に照らすと、本件谷田川を含む淀川水系に関する工事実施基本計画(昭和四六年一二月)においては、谷田川につき、その名を挙げて触れたことがなく、本件水害時までに他の基本計画が策定された形跡もなく、このことは、河川管理者の側における行政上の義務不履行とも受取られるものであるが、他方、一級河川は、国土保全上、国民経済上特に重要な位置を占めている関係上、基本計画を定めようとするときは、関係行政機関、学歴経験者等の意見を反映させるべく、河川審議会の意見をきかなければならず(同条四項)、更に建設大臣は、自己又は地方建設局などの出先機関が直接管理する直轄管理区間に限らず、都道府県知事に管理を機関委任した指定管理区間についても、これを定めることとされているうえに、河川法一三条二項により、ダム、堤防等の河川管理施設の構造について河川管理上必要とされる技術的基準を定める政令(河川管理施設構造令)が、ようやく昭和五一年七月二〇日政令一九九号として公布施行されたという公知の事実並びに後記のように本件の谷田川については管理受託者である大阪府知事において管理行為を行ない、技術基準を定め、後記のとおり河川工事を実施していたという事実を照らして考えると、前記淀川水系工事実施基本計画が谷田川の名を挙げてふれるところがなかつたことをもつて行政上の義務の懈怠があり、その懈怠が行政計画の策定に当たつて遵守されるべき計画裁量の範囲を逸脱していたとはいえない。
そこで次に大阪府知事の行つた本件河川管理の実状について考察する。
2 本件河川管理の実状
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 寝屋川関係における改修
(1) 谷田川を一支川とするいわゆる寝屋川水系の流域は、大阪市の一部を含む東西約一四粁、南北約一九粁、面積267.53平方粁、東側を生駒山脈、西側を大阪城から南に伸びる上町台地で区切られ、北側と南側は、淀川及び大和川の堤防で分水された地域で、昔は、淀川、大和川の氾濫区域であつた。その八六%は沖積平野から成り、山地は僅か一四%に過ぎない。流域の主な河川は、寝屋川、第二寝屋川、恩智川、平野川、楠根川などで、これら諸河川の水は、旧淀川に流出し、大阪市の中心部を経て大阪湾に注いでいる。
(2) いわゆる寝屋川水系の諸河川は、生駒山の麓まで感潮区間を有し、河床勾配は、三〇〇〇分の一ないし一万分の一と低く、典型的緩流河川である。大阪市の都心部に隣接するという好條件にも拘らず、寝屋川流域は、低湿地のため開発が遅れていたが、近年の産業経済の発展とともに、市街化が急速に進み、昭和三〇年から同四五年にかけて人口は急増し、農地が激増したゝめ、同流域の全体において内水氾濫が浸水被害として顕在化することとなつた。
(3) 大阪府では、戦後間もなくの頃から、東部大阪地区の治水事業の必要性を認め、昭和二五年に寝屋川水系改修計画基礎調査の方針を樹立し、同二七年三月寝屋川水系調査要綱を策定し、同年五月寝屋川調査事務所を設置し、洪水観測量、河川測量、地形測量、流量観測を実施したうえ、同二八年一二月寝屋川水系調査報告書を公表、同二九年一月寝屋川改修全体計画を建設大臣に認可申請、同年三月その認可をうけるとともに寝屋川改修工事事務所を設置、これから第二寝屋川開削工事、鴻池水門の改築、平野川水路の開削、最下流部浚渫などの工事をなし、同計画における最大の目標であつた第二寝屋川の開削は、一四年の歳月を経て昭和四三年一一月全川の通水が完了した。
(4) 寝屋川改修計画における計画高水流量は、五三六立法米とされていたが、その後における同流域の予想外の急激な都市化により治水対策規模の変更が必要となり、昭和四三年に基本高水流量を従来の約三倍の一六五〇立方米に変更し、本川から支川へと順次改修が進められ、谷田川合流点附近の改修工事が昭和四五年に完成したので、同四六年以降支川の改修に着手した。それとともに、内水対策として、流域下水道事業を進めることとなり、昭和四〇年に全国に先んじて着手した。
(5) 寝屋川改修計画で要した事業費は、昭和二八年度から同五〇年度までで七一六億円であるが、これは同期間の大阪府全体の事業費の五〇%にも達するものである。昭和四二年度から同四七年度までの大阪府施工総合排水事業実績によつてみると、河川改修全体額六五〇億九八〇〇万円に対し寝屋川水系二五五億五九〇〇万円(三九%)、下水道事業全体額四六八億五五〇〇万円に対し寝屋川流域三五七億六〇〇〇万円(七六%)、総額では六一%となり、同程度の規模の水系に対する投資額としては全国一であるのに、その全域の改修は未完成であつた。
(二) 谷田川の改修
(1) 谷田川は、前記のように、昭和四〇年四月一日に久作橋より下流が、同四一年四月一日にその上流のa点までの部分が、一般河川に指定されたが、その改修計画は、時間雨量61.8粍、流出系数0.7、高水流量20m3/秒として、昭和四一年に一般河川指定区間の改修規模及び断面についての一応の技術基準が定められるとともに、同年度に国鉄片町線複線化に伴う関連部分工事(いわゆるショートカット工事)が計画実施化されたほか、同四二年度に、右工事の残工事と野崎駅前下流防災工事(板柵工)、同四三年度に大阪外環状線道路の新設に伴う交差部分工事、同四四年度に下流部用地買収の着手及び片町線交差部下流の羽口工、同四五年度に野崎中川下流端取付工事、片町線交差部下流羽口工及び野崎駅前左岸羽口工、同四六年に下流端左岸の改修、下流端右岸の羽口工及び野崎駅前用地取得事務の大東市への委託、同四七年度に下流部用地取得の完了(水害前)及び野崎駅前附近の用地取得の促進がそれぞれ行われた。
(2) 昭和四一年度のいわゆるショートカット工事は、当時の谷田川が国道一七〇号線より西へ1.5米程の川幅で流下し、片町線をくぐり、集落の中を南下して南津之辺水路を合わせ、片町線を再度くぐつてc点上流に至つていたところ、その状態のまゝ片町線の鉄橋を新設すれば、後日の河川改修のとき鉄道の下で河川を拡げるという大工事が二か所で必要となり、大きな手戻りとなること、集落の中での河川の拡幅は非常に困難であること、当時の河川の位置では計画流量の流水を流下させるのに線型が悪いことから、現状のとおりに片町線に沿つてその東側を直に南下させて、c点上流に直線で継ぐ工事として計画、実施されたものであり、谷田川改修工事につき二重投資を避けるため、その一部を繰り上げて先行投資事業として行われた。
(3) 昭和四三年度の大阪外環状線道路の新設に伴う交差部分改修工事は、万国博覧会関連工事として行つたものであるが、これも二重投資を避けるため先行投資事業として行われた。
(4) 前記のとおり、昭和四一年度(一部は同四二年度)には、片町線複線化工事に伴う関連部分工事としていわゆるショートカット工事が、また昭和四三年度には久作橋下流部分の改修工事が完了していたが、右両区間に挟まれた国鉄野崎駅前の約三二五米に及ぶ本件未改修部分は、後記理由からそのまゝ残されていた。
(5) 谷田川野崎駅前の前記未改修部分の改修については、九戸の店舗を含む二九戸の家屋の立退と用地取得を行わねばならなかつたが、同堤防上の家屋所有者は、戦後間もなくの頃から同所に住みつき、同所に生活基盤を形成していたゝめ、後記のとおり立退は容易に進展せず、残留居住者ば同川の一級河川指定後も昭和四五年度まで占用許可をうけてきていた。(昭和四五年度をもつて打切られ、同四六年四月以降の占用許可は与えられなかつた。右認定に反する甲第一〇三号証及び当審における被控訴人浅野友美の供述部分につき、前者は情報の出所不明の文書であり、後者は伝聞の供述にすぎないから、いずれも採用しない。)本件水害当時には、前記のとおりc点から久作橋下流の間に九戸が残つていた。
(6) 本件未改修部分の立退対象者の前記のような生活上の問題から、大阪府知事は、短時日の解決は困難であると判断し、昭和四三年一一月に地元で工事説明会を開いたのを初めとし、予定区域の物件調査、物件所有者との交渉、控訴人大東市及び枚方土木事務所との協議を経て、昭和四六年六月五日控訴人大東市に対し用地取得の事務委託をなし、同控訴人が用地取得の交渉に入り、昭和四六年末には、駅前附近で一五件の物件補償と約六〇〇平方米の用地取得を終え、同四七年以降も改修手続を進め、本件水害後の同四八年に改修に必要な全用地を取得し、同年五月河川上家屋全部の立退を完了した。
(7) 谷田川下流からの改修は、前記のとおり寝屋川の谷田川合流点附近の改修が昭和四五年に完了したので、同四六年に未改修部分につき本格的に開始され、同五一年度概成を目標に予算二六億円の規模で始められた。(被控訴人らは、昭和四二年の時点で、同四三年度から三か年計画で谷田川の改修を完了することを決定していたと主張し、甲第二三号証、第二八号証の九、一一、一二、被控訴人浅野友美の当審における供述中には同旨の記載、供述部分があるけれども、前者は府の関係者からその旨を聞いたとの報告書やメモに類するものであり、後者は伝聞供述であつて、これらをもつてはいまだ右主張事実を認めるに足りない。)
そして、昭和四六年度には、下流端より約三分の一の用地取得を完了し、引続き改修手続及び工事を進めていた途上本件水害に遭遇したものである。この間大阪府知事は、安全確保措置として、昭和四二年度に野崎駅前下流右岸一八五米、左岸一三四米につき板柵工による防災工事を行つたのを始め、同四四年度には、片町線交差部下流右岸八二七米につき羽口工による防災工事を、同四五年度には、同右岸五二五米、左岸四一四米につき土のう嵩上げ工事を、同四六年度には久作橋下流左岸一八四米につきブロック工事、右岸八三米につき羽口工による防災工事を行つたほか、昭和四二年一一月二八日から翌四三年二月一五日にかけてc点附近を含む久作橋上流約三〇米の地点から寝屋川合流点まで谷田川全川の約八〇%に相当する一八〇〇米の区間を浚渫したのを始め、同四四年六月一〇日から同月三〇日まで国道一七〇号線下流附近約三〇米の区間を、同四五年七月二六日から同年一〇月一三日にかけ同附近約一六三米の区間を、同四六年五月二六日から同年六月九日にかけ野崎橋下流附近二〇米の区間をそれぞれ浚渫した。
(8) 谷田川改修事業は、予定どおり昭和五一年夏達成され、その後において水害の発生はない。
3 河川の未改修状況
前掲七の2掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると、わが国の近代的治水事業は、明治二九年に法律七一号として旧河川法が制定、施行されるとともに、河川行政の基礎が固まり、淀川など特に重要な一〇河川については直轄改修工事が行われ、以後大河川を中心に、治水事業が進展した。しかし、戦時体制に入るとともに事業の進行は停滞し、本格的な事業が再開されたのは、戦後昭和二八年に治水治山基本対策要綱が作成されてからであり、昭和三五年度から五か年計画が順次策定実施され、同四七年度から始まつた第四次五か年計画は、昭和五一年度で終了する予定であつたが、昭和五〇年度末における整備率は流域面積二〇〇平方粁以上の主要大河川において戦後三〇年間に発生した洪水に十分耐えられるのは、延長にして五〇%程度であり、中小河川に至つては、時間雨量五〇粍程度の豪雨でも洪水被害の恐れのないのは延長にして一三%程度に過ぎないといわれている。
控訴人大阪府における近代的治水事業は、明治一八年の淀川大洪水を契機とする淀川の治水対策に始まり、新淀川の開削、一津屋樋門の竣功、毛馬閘門の竣功、毛馬洗堰の竣功等の一連の治水工事が行われた。
戦後においては、淀川、大和川の二大河川対策のほか中小河川の災害が頻発したゝめ、災害河川の復旧及び河川改修が併行して行われた。控訴人大阪府の河川事業費は、昭和四五年度から同五〇年度までの間をとつてみても、例年全国都道府県の最上位を占めている。
昭和四六年度末までの大阪府の河川改修状況は、要改修延長五三八粁に対し、時間雨量五〇粍に対応する改修済延長は、二五六粁であり、改修率としては四九%であつた。
いわゆる寝屋川水系の改修において高水流量一六五〇立方米の基準を達成するには、昭和五一年度以降において約二三〇〇億円の事業費が必要とされた。
4 谷田川流域の過去の水害
<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 被控訴人らの居住地域は、かつては水田が冠水し太鼓のようになるところから、太鼓田と呼ばれていた程の低湿地であるが、その頃人家は、比較的高所に建てられていたゝめ浸水被害は少なかつた。
(二) 昭和二五年のジェーン台風と昭和三二年の豪雨時に片町線東側の本件地域に田畑の冠水があつたが、当時は人家も少なく、人家への被害もなかつた。
(三) 大東市地方において水害被害が記録された最初は、昭和四二年七月八、九日両日にわたる大雨(総雨量一一六粍)による浸水被害(大東市全域で床上浸水二六戸床下浸水五七四戸)であるが、その時も、被控訴人らの居住する野崎、北条及び野崎駅前等では、床下浸水はあつたが床上浸水の被害は生じていない。
本件地域において、床上浸水被害が記録されたのは、本件水害が最初のものであり、古老の言によれば、明治時代の淀川決壊以来の大きな災害であるといわれている。
なお、谷田川旧川部については後記八2(二)(1)のとおりである。
八控訴人国、同大阪府に対する請求について
1 行政計画の策定・実施と河川管理
(一) 行政計画は、国民の行政需要に対応して、将来の目標を明確にし、この行政目標を実現するために各種の行、財政施策、又は事業を総合的に推進することを目的とするものであるから、何よりもまず合理性を備えることが必要であることはいうまでもないが、同時に行政上、財政上の手段を総合して実現可能であること、各計画において相互に整合性が保たれていることが必要であり、国民の権利・利益に直接、間接、影響を与える行政作用として合理的裁量(計画裁量)の範囲内になければならず、その実施においても、社会の現状や行政需要の動向に合致し適切な裁量権の行使(実施裁量)が要求されるものである。
(二) ところで、河川は、自然発生的な公共用物であつて、道路その他の人工公物とは性質を異にし、公用開始によつてはじめて供用されるものではなく、しかも、もともと洪水等の自然的原因による災害をもたらす危険性を本来的に内包しながら存在しかつ利用されるものであるうえに、国又は地方の河川行政の到達し又は到達しうる安全性の水準には自ら限度があるから、河川管理における瑕疵の存否の判断に当たつては、右の点を考慮しなければならない。
(三) すなわち、河川の通常備えるべき安全性は、当初から確保されているのではなく、管理開始後において、予想される洪水等の災害に対処すべく、堤防を築造し、河道を拡幅、掘削し、流路を整え、又は放水路、ダム、遊水池を設置するなどの治水事業を行うことによつて順次達成されてゆくものであつて、このような治水事業は相当の長期間を必要とし、しかも全国には未改修河川や改修の十分でない河川が多数存在しており、これらについての改修等治水事業を達成するには莫大な費用を必要とするのであるから、国又は地方公共団体の議会が国民生活上の他の諸要求との調整を図りつゝ、国又は地方公共団体の予算において各河川につき改修等の必要性、緊急性を比較しつゝ、その程度の高いものから逐次これを実施してゆく以外に方法がない。そしてその実施に当たつては、緊急に改修する箇所から段階的に、又は原則として下流から上流に向けて工事を行うことを要するなどの技術的な制約や、流域の開発等による雨水の流出経路の変化、地盤沈下、低温地域の宅地化、地価の高騰等による用地の取得難などの社会的制約があり、又道路のように、危険な区間の一時閉鎖、通行止のような簡易な危険回避手段をとることができず公用廃止もできないという事情があるなど、多くの制約、困難が伴うものである。
(四) 河川の管理には以上のような諸制約が存在するため、すべての河川についてあらゆる水害を未然に防止するに足りる治水設備を完備するには相当の長期間を必要とすることはいうまでもない。そしてその過程にある河川又は改修中の河川は、それ自体完全な安全性を備えていないのであるから、堤防など河川管理施設の現状における安全性の不備をもつて直ちに河川管理の瑕疵ということはできない。けだし、河川の改修には、前記のように時間を要するから、その間のあらゆる災害を防止できなければ、その河川管理に瑕疵があるとすれば、およそ河川の改修は不可能とならざるをえないのである。そこで、ことに改修中の河川については、前記諸制約の下で、当該河川につき施行されてきた治水事業の過程の当時の段階における時機相応の安全性の存在、つまり過渡的、段階的ないしは対応的安全性の存在をもつて足りるものとせざるを得ない。
(五) 要するにわが国における治水事業において当該河川の管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因などの諸般の事情を総合的に考慮し、前記諸制約の下での同種、同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして相当とすべき安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきであると解され、既に改修計画が定められ、これに基づいて現に改修中である河川については、右計画及びその実施が全体として合理性を備えており、特に不合理と認められないときは、その後の事情の変化により当該河川の末改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期の繰り上げ、又は工事の順序の変更を要するなど早期の改修をしなければならない特段の事由が認められない限り、たとえ人口密集地域を流域とするいわゆる都市河川の管理の実施においても、未改修部分につき改修が行われていなかつたという一事をもつて、河川管理に瑕疵があつたとすることのできないことは、上来の説示により明らかである。
2 本件河川管理の合理性、整合性と特段の事由
(一) 前叙寝屋川水系及び谷田川の改修計画並びにその実施状況について、これを全体的に観察し、前示河川管理の一般水準及び社会通念に照らし、かつ前示過去における水害の発生状況その他諸般の事情を考慮するときは、寝屋川水系及び谷田川の改修計画並びに実施状況は、一応合理性、整合性を備えており、特に不合理、不釣合いなものがあるとは認められない。
そして、谷田川の改修事業において、本件未改修部分の改修工事完了後、本件地域に水害の被害の発生がないこと及び本件水害の発生原因の一つであつたc点溢水は、同箇所の改修工事が未了であつたことに原因があつたと考えられることに照らすと、本件において、更に河川管理者の管理に瑕疵があつたというためには、谷田川全体の改修計画中の本件未改修部分の改修工事を他に先がけて実施すべき必要など特段の事由があり、その実施が可能であつたのに、河川管理者が裁量を誤り河川工事の実施を怠つたという場合以外には考えられないところである。
(二) 被控訴人らは、控訴人国、同大阪府に対し河川管理責任を問う事由として、ショートカット工事の不合理性、c点附近の土砂の堆積、河川上家屋の未収去、サイフォン管部の狭隘等の諸点を挙げ、中でも、同控訴人らがショートカット工事を行つたため本件未改修部分に水害発生の危険性が著しく増大したのに、これを放置していたことは前記の「特段の事情」にあたると主張するので、以下順次判断することとする。
(1) ショートカット工事の不合理性と特段の事情の有無
イ 被控訴人らは、本件ショートカット工事は、極めて不合理かつ非科学的であつて、これによりc点における溢水の危険を著しく増大させたと主張する。
しかし、前記認定事実によれば、本件ショートカット工事は、前記事情により二重投資の無駄を避けるための先行投資事業として行われたが、同時に、集落の中での工事の困難性、当時の旧河川の位置では計画流量の流水を流下させるのに線型が悪いことなどの事情をも考慮して繰り上げ施行されたものであつて、それなりの合理性を有するものである(被控訴人らは、右工事は旧川部の溢水対策のためにもなされたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。)。
ロ 被控訴人らは、ショートカット工事はかえつてc点を含む未改修部分に溢水の危険性を増大させたと主張する。すなわち被控訴人らは、「ショートカット工事前のa―b間の流量は、川幅を1.5米、深さを1.5米、平均流速を毎秒2.3米とすると毎秒約五屯となり、控え目に見積つても毎秒約四屯の流量となるところ、その下流の旧川部は川幅が1.2米、深さが0.9米、平均流速1.484米であつたから、旧川部の流下能力は毎秒約1.6屯程度にすぎず、したがつてa―b間を満水状態で流下した毎秒四ないし五屯の水は、旧川部を流下する間に毎秒2.4屯ないし3.4屯が旧川部から溢水していた。一方、下流のc点の疏通能力は約1.9屯であるところ、ショートカット工事施工の結果、右a―b間の流量は途中で溢水することなく、そのままc点に到達することになつたから、これはc点の疏通能力の二倍以上となり、毎秒2.1屯ないし3.1屯の水が溢れる計算となる。さらにb―c間に流入する南津之辺水路、丙水路の流量を加えると、c点の溢水は不可避であり、ショートカット工事はc点における溢水の危険性を人為的に一そう増大させたものである。」というので、次に判断する。
(イ) 改修前の谷田川の河道の状況について、原審証人香川保、同佐川弘一はa―b間の川幅、深さにつき概ね被控訴人ら主張のような証言をし、当審証人橘田正美の証言と当審における被控訴人浅野友美の供述及びこれにより成立の認められる甲第一〇四ないし一〇六号証(被控訴人浅野又は被控訴人ら代理人が旧川部付近の居住者より聴取したメモ又は報告書)の記載によると、旧川部のうち中、下流部分の川幅、深さにつき概ね被控訴人ら主張に沿う供述及び供述記載のあることが認められる。しかしながら、これらの供述ないし記載は、各人の経験的な目視による数値であるうえ、溢水したという年代にも幅があり、また成立に争いのない乙第七七号証(控訴人大阪府の職員が旧川部付近居住者につき聴取した報告書)の記載の異るところもあるので、必ずしも正確とはいいがたい。
(ロ) 谷田川の河道状況に関する測量資料として、成立に争いのない乙第二五号証(谷田川上流部a―b間の断面図、昭和四八年作成)、弁論の全趣旨により、成立を認められる乙第四九号証(谷田川横断面図、昭和四八年作成)、第六二号証(谷田川平面図、昭和四一年作成)、第六三号証(市民有地境界査定図、昭和四三年作成)、第六四号証(谷田川旧川部縦断図、昭和六〇年作成)、第六六号証(谷田川廃川敷実測平面図、昭和六〇年作成)第六八号証の一ないし五(谷田川浚渫工事平面図・横断図、昭和四七年作成)がある。
しかし、本件水害時のa―b間の河道状況、特にその断面は右資料によつても正確には知りえないが、その翌年五月時点の測量結果である乙第二五号証によると、最も流下能力が低いと思われるa点下流約七〇米地点で川幅1.5米、深さ0.7米であつたことが認められる。
次にショートカット工事前の旧川部の河道状況についても当時の測量資料はないが、旧川部が埋立てられた後の昭和四三年に作成された乙第六三号証によると、b―g間は上流のa―b間と川幅において大差はなく、g―i間に至つてやや川幅を狭め、深さは約0.9米であつたことが認められる。
河床勾配は、前記乙第二五号証によるとa―b間は平均して八三分の一の急勾配であり、乙第六四号証によると、これに比し旧川部は上流から下流にかけて順次勾配が緩かになつていたことが認められる。
(ハ) 被控訴人らは、ショートカット工事前の旧川部において、しばしば多量の溢水があつたと主張し、当審証人山本正治(一部)、同橘田正美の各証言及び前掲甲第一〇四ないし一〇六号証の記載によると、旧川部の中、下流において過去に溢水のあつたことは一応認めることができるが、その時期、回数、溢水時間、溢水量等についてはつまびらかではない。右山本証人は昭和三八年頃コンクールの三面張り工事が施されてから後は溢水した記憶はないと証言し、又、<証拠>によると旧川部最下流のh点付近に居住する滝岡宅前の溢水については、土のうを積めば防げる程度であつたというし、前掲橘田正美、山本正治の各証言によると、付近住民から旧川部の河道改修等を陳情したことはないというのであるから、旧川部において被控訴人らの主張するような多量の溢水がしばしばあつたとは、たやすく認めがたい。
(ニ) 谷田川のショートカット工事は既述のように昭和四一年度末に概成し、<証拠>によると昭和四二年四月から新川に通水していたことが認められる。そして、<証拠>によると、通水後間もない同年七月八日、九日の両日にわたつて寝屋川流域に大雨が降り、この時の雨量は大東市役所庁舎屋上の計測で時間最大雨量二二粍、総雨量一一六粍(枚方観測所で前者が41.5粍、後者が一二一粍)を記録し、寝屋川流域に多大の浸水被害を及ぼした事実が認められるところ、右四二年七月豪雨は時間最大雨量では本件水害時の二〇粍と同程度であつたにかかわらず、c点付近から溢水した旨の記録は残されていない(前掲丙第三六号証には野崎駅前で床下浸水二四戸、北条で同六戸と記載されているが、添付図面によるとc点付近からの堤防溢水によるものとは認められない。また当審証人脇田フジエの証言は、全体的にあいまいなところが多く、措信しがたい)。
被控訴人らが主張するように、ショートカット工事前の旧川部における多量の溢水(主張の計算によれば毎分一四四屯ないし二〇四屯)がc点の流下能力の安全弁的な働きをしていたとするならば、ショートカット工事後の右四二年七月豪雨の際にはc点から堤防をこえて多量に溢水し、被控訴人ら居住地域に大きな浸水被害を生じていた筈であるが、右にみたとおりそのような事実は認められない。
以上に認定した事実を総合して考えると、被控訴人らの主張は過大な数値を基礎とした計算結果に基づくものであり、旧川部における溢水の状況とも符合していないというほかないから、谷田川に流入する他の水路(津之辺水路等)の流量について判断するまでもなく、右主張は採ることができない(なお、旧川部の中、下流で若干溢水する場合があつたことは前認定のとおりであるが、溢水量については認定できないし、昭和四二年七月豪雨時の右認定に照らし、これがc点の疏通能力に影響を及ぼすものでなかつたことは明らかである)。
控訴人国、同大阪府が被控訴人らの右主張に対する反証として提出した乙第六一号証(谷田川水理解析報告書)、第七〇号証(同追加検討報告書)及び当審証人陳治雄の証言では、ショートカット工事の前後によつて谷田川の洪水流の水理特性に有意の差は認められず、工事前の旧河道を流下しても工事後の当時河道を流下しても、c点における最高水位、最大流量の差は認められないとの解析結果が得られたというのであるが、被控訴人らの主張が右のとおり認めがたい以上(特段の事情の存在については、これを主張する被控訴人らに立証責任があることはいうまでもない)、反証について検討する必要はない。
そうだとすると、c点を含む本件未改修部分の疏通能力は、その上流と一応の均衡が保たれていたものであり、ショートカット工事はc点の危険性を高めたものではなく、本件未改修部分をショートカット工事と同時に、又はこれに引続いて早期に改修すべき特段の事情は存しなかつたというべきである。
ハ 次に、被控訴人らは、c点の疏通能力は、控訴人国、同大阪府の主張によつても、2.3m3/秒であつたが、昭和四一年の改修計画によれば、谷田川の計画高水量は、二〇m3/秒であるから、改修計画と現実の疏通能力との乖離が大きすぎ、そのような状態を長期間放置したことは不当である旨主張する。
しかし、昭和四一年の改修計画における計画高水量は、その時点において将来の諸条件を見越して計画した流水量であり、本件水害当時それだけの流量があることを予想したものではないから、これと現実の流量との乖離をもつて直ちに水害発生の危険性を推断できないことはいうまでもなく、ショートカット工事の前後において、前記のとおりc点への到達流量について著るしい変化を認めえない以上、計画高水流量と現況疏通能力に差違があつたからといつて、河川管理者の管理に瑕疵があるということはできない。
ニ 被控訴人らは、本件ショートカット工事の行われた昭和四一年頃は、谷田川上流附近で宅地開発が行われ、山地部の保水機能が失われ、谷田川の出水時間、流出量、流出土砂量が変化していた時期であつたから、このような出水状態の変化に応じて本件ショートカット工事と同時に本件未改修部分の工事も施行すべきであつたのに、これをしなかつたためc点の溢水を生じた旨主張する。
なるほど被控訴人ら主張のように、ショートカット工事と合わせて本件未改修部分の工事を施行することが、工事方法としては理想的であつたことは、いうまでもない。
しかしながら、本件ショートカット工事は、前記のように先行投資事業として行われたので、河川上家屋所有者の立退きが完了していなかつた本件未改修部分については、同時又は続行して工事を行うことは予定されていなかつたのであり、このように工事の未完成の間においては、過度的安全性をもつて受忍しなければならないことは、前記説示のとおりである。このことは、河川法一三条二項に基づき制定された河川管理施設構造令三二条が、連続しない工期を定めて段階的に築造される堤防について、それぞれの段階における堤防につき計画堤防の高さと当該段階における堤防の高さの差に相当する値を計画高水位から減じた値の水位を計画高水位とみなして、同令の堤防の安全基準に関する規定を適用する旨定めている趣旨からもこれを窺うことができる。
したがつて、本件未改修部分の改修工事が技術的には左程困難ではなく、それに要する費用もいわゆる寝屋川水系ないし谷田川全体の改修計画に要する費用に比し左程多額ではないと推定されることなどの諸点を考慮しても、本件未改修部分につき当初の予定を繰り上げてショートカット工事と同時に又はこれに引き続いて改修工事を施行すべき必然性を認めるに足りない以上、河川管理者としては、ショートカット工事部分の改修と同時に又はこれに引き続いて本件未改修部分の工事を行わなかつたことが、河川管理の瑕疵を構成し管理責任を問いうる余地があるということはできない。
(2) c点附近の土砂の堆積
前記のとおり大阪府知事は、昭和四二年一一月二八日から同四三年二月一五日にかけてc点附近を含む久作橋上流約三〇米の地点から寝屋川合流点まで谷田川全川の約八〇%一八〇〇米を浚渫し(前掲乙第四〇号証によれば三六七三立方米の土砂を排除した)、これが本件水害発生前にc点附近につき行つた浚渫の最後のものであつたことは、当事者間に争いがなく、本件水害当時c点附近において0.5米前後の土砂の堆積があつたことは、前記認定のとおりである。
しかしながら、<証拠>によれば、谷田川全体としては、昭和四四年六月一日から同月三〇日まで国道一七〇号線下流附近(大東市北条)約六〇米の区間を、同四五年七月二六日から同年一〇月一三日にかけて同下流附近(同市大鼓田)約一六三米の区間を、同四六年五月二六日から同年六月九日にかけて野崎橋下流附近約二〇米の区間をそれぞれ浚渫しているのであり、谷田川同様生駒山系に源を発し、西流して寝屋川に合流する地理的条件を同じくする同種同規模の河川である岡部川、たち川、長門川又は恩智川の場合と比較すると、昭和四二年度から同四七年度までの間において、単位粁当たり浚渫回数において第二位(1.7回、第一位は長門川の2.8回、最低はたち川の0.7回)、単位粁当たり浚渫土量において第三位(一六七五立方米、第一位は岡部川の一七三六立方米、最低は恩智川の八八三立方米)であつたことが窺われるので、大阪府知事が、他の河川と比較して谷田川につき浚渫を怠つていたとまではいうことができず、同川全体の土砂の流送現象につき、他と比較して異常性を認めるに足る証拠がない以上、c点における前記土砂の堆積を考慮しても、同所附近において、特に、頻繁に浚渫がなされて然るべきであつたということはできない。
前記のようにショートカット工事によつて流量が増加した等格別の事情の変化は認められないのであるから、右工事がc点附近の浚渫回数を増加させるべき理由とすることもできない。
むしろ、前記認定事実ことに本件七月豪雨が、最近一五年間の最高雨量であり、明治三三年から昭和五一年までの七七年間にかける第三位の雨量であつて、通常の予見の範囲を超えた豪雨であつたため、前記のように昭和四二年以降大阪府知事の行つた安全確保措置(防災工事)によつても防ぐことのできなかつた災害であつたと認められることに徴すると、c点附近での土砂堆積は、通常予想しうる降雨に対しては、障害となるものではなく、本件水害の発生は、改修中の営造物が有すべき過度的安全性を欠いていたためではないと認められるから、昭和四三年二月一六日以降本件水害の発生に至るまでc点附近の土砂を浚渫しなかつたことが谷田川の河川管理者に対し河川管理の瑕疵を構成する事実であつたと認めることはできない。
(3) 河川上家屋の未収去
前掲七の2掲記の証拠によると、本件未改修部分の改修が完了していなかつた最大の理由は、谷田川上にあつた家屋を立退かせることが困難で改修計画の実施に移れなかつたことにあると認められるところ、右河川上家屋は、終戦後間もなくから昭和二五、六年頃までの間に建設されたものであつて、それから長年月を経過し、家屋居住者は、地域社会の一員として生活の基盤を築いており、その一部は住居としてのみならず店舗としても生活の本拠となつていたため、河川管理者としては谷田川が一級河川に指定された後も占用許可を与え、後日必要な時期に立退を求めることとしていたこと、そして昭和四五年度をもつて占用許可は打切られたが、その間補償問題が進捗せず、改修工事に着手できないまま本件水害に至つたことが認められ、右の結果から推及する限り、昭和四五年度まで右河川上家屋に占用許可を与え続けたことは、河川が公共用物であり、河川区域内の土地の占用は、公共又は公益性の高いものに限り利用されるべきであること(昭和四〇年一二月二三日建設事務次官通達河川敷地占用許可準則第三参照)に照らすと、河川行政のあり方として相当でない面がなかつたといい切ることはできない。
しかしながら、他面これらの家屋が前記のように生活の本拠となつていたため、曲りなりにも一旦占用許可が与えられていた家屋居住者に対して河川法七五条一項行政代執行法に基づく行政代執行のような強硬手段をもつてその立退を強行することは、これをしないことによる水害の危険の接近が明白であるような特別の事情のない限り、個人生活の根底を覆えすものとして社会的非難の的となることは必至であるというべく、そのため河川管理者が、その強行をためらいちゆうちよしたとしても、止めをえない理由があるといわなければならない。右河川上家屋の立退交渉の停滞により改修工事が進捗しなかつたとしても、行政計画の策定及び実施に裁量権の行使を誤つた違法不当な廉があつたとはいえず、これをもつて本件河川の管理に瑕疵があつたということは相当でないといわなければならない。
(4) サイフォン管部の狭隘
被控訴人らは、本件水害の発生原因の一つに内水排除の役割を果すべき甲路のサイフォン管部が狭隘で排水能力が十分でなかつたことを挙げ、サイフォン管部の狭隘さを含む水路の構造につき控訴人国及びその機関委任を受けている大阪府知事の属する控訴人大阪府に公の営造物の管理者として国家賠償法二条の責任があると主張する。
しかし本件の全証拠を精査するも、右のサイフォン管の設置者又は設置の時期は明らかではなく、その所有権の所在も明確ではなく、右控訴人らがこれを管理し又は管理すべき責任があつたということはできない。したがつて本件サイフォン管部が排水との関係でどの程度狭隘であつて、その改修又は取替工事をしなかつたことが、本件の河川管理において裁量権の行使を誤つた違法があるか否かにつき判断するまでもなく右主張は前提を欠き、又水路自体の構造についても、その改修工事をしなかつたことにつき裁量権の行使を誤つた違法があるとするに足る立証がない(本件地域が谷田川より低い位置にあるため、甲、乙、丙の三水路の通水構造を根本的に変革するには、同地域自体のかさ上げを含む極めて困難かつ長期にわたる事業が予想されるし、三水路の現状に即して下水道事業に包摂するにしても、その実施は容易ではない。本件水路のように、水田地帯の宅地化に伴い取り残された旧農業用水路が全国の津々浦々に存在することを考えると、国や自治体がそのような事業をしなかつたからといつて非難することはできない。)。
3 結び
河川管理における瑕疵の有無は、前示のとおり当該河川が諸般の事情よりみて河川管理の一般水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えているか否かの観点から判断さるべきものであるところ、前記認定の事実関係の下においては、谷田川の河川管理は、合理的、整合的であつて、前記過渡的安全性を備えていたということができ、行政計画の策定及び実施において非難に値する違法不当性は認められない。被控訴人らが、改修工事の未了その他裁量権の行使の誤りとして指摘する特段の事情も河川管理の瑕疵を構成する事由と認めるに足りないし、その他の主張も理由がないから、谷田川河川管理者の河川管理の瑕疵の存在等を前提として、国家賠償法に基づき控訴人国同大阪府に対し本件水害の被害の損害賠償を求める被控訴人らの請求は、その余の判断をなすまでもなく全部失当として棄却すべきである。
九控訴人大東市に対する請求について
1 前記認定にかかる各事実のほか、本件の各水路についてこれが民有に属することの主張立証のないこと並びに弁論の全趣旨に照らすと、本件水路は、河川法上の河川ではなく、同法の適用をうけない普通河川であつて、明治六年太政官布告一一四号地所名称区別、同七年太政官布告一二〇号改正地所名称区別により官有地第三種に属するものとされ、明治二九年法律八九号民法二三九条二項、同三一年法律一一号同法施行法三六条により国の所有権が確立し、大正一〇年法律四三号旧国有財産法を経て、昭和二三年法律七三号の現行国有財産法二条一項により国有財産たる法定外公共物(公共用財産)に属するものと認められる。したがつて、本件水路は、同法五条建設省設置法三条三号により建設省の所管にかかり、昭和三〇年同省訓令一号建設省所管国有財産取扱規則三条の事務委任(機関委任事務)により大阪府知事が当該部局長として国有財産に関するいわゆる財産管理を行つていることは明らかである(なお大阪府知事は、昭和二三年大阪府規則三六号公有土地水面使用規則による行政管理も行なつている)が、国有財産法三八条、同法施行令二二条の二第一号により国有財産台帳には登載されない。
2 ところで、控訴人大東市が本件水路に対しいかなる管理を行なうことができるかについては、まず地方公共団体として地方自治法一四条に基づき、法令、都道府県条例に違反しない範囲内で公共物管理条例を定めて国有財産である本件水路の管理又は取締を行なうことができることは明らかであるが、本件水路に関してはそのような条例は制定されていない。しかし控訴人大東市は、地方自治法二条二項の規定による地方公共団体の固有事務として同条四項の規定により、当該行政区域内の法定外公共物に対し、いわゆる機能管理を行なう権限を有すると認められ、前記管理条例が存在しなくても、右権限に基づき本件水路の管理を行なうことができるものであるところ、控訴人大東市は、本件水路に対しては、事実上の管理を行なつていたにすぎないと主張する
しかし、同控訴人が、本件水路に対し前記のような権限を有しこれを管理していたものである以上、右管理は、地方公共団体の固有事務としての管理であつたというべきであり、地方自治法二条六項により都道府県が市町村を包括する広域の行政事務につき権限を有すること並びに前記のように大阪府知事が国有財産部局長として本件水路に対する財産管理を行なうものであることに照らし、控訴人大東市は本件水路に対し規模と能力に応ずる範囲内において第一次的機能管理の権限を有するが、その機能管理は原則として対象物に対する維持、補修等に限られ、処分又は改造を行なう権限は有しないのであり(同条七項参照)、たとえ流水に対する管理権を有するものとしても、そのために本件水路の改修工事等を行なうについては、国有財産部局長である大阪府知事との協議を経ることが必要となると解されるのであり、更に地方自治法二条四項、五項の規定に照らせば、控訴人大東市の行なう本件水路の管理は、前記のとおりその規模及び能力に応じて処理すべく、かつ原則として議会の議決を経て策定された総合的、計画的行政運営の基本構想に基づいて実施されなければならないのである。
3 そして、前記認定事実によれば、本件水害の浸水は、前記のような内水及び外水より成る湛水によるものであつて、本件水路のうちの甲路の排水機能が不十分であつたことが、右湛水による浸水被害の一因であつたことも否定できない。
しかしながら、前記認定事実によれば、甲路の排水機能が十分でないのは、甲路がもともと農業用水路であつて、用水を水田に引き入れるためには、湛水的機能が必要であり、排水はむしろ第二次的機能に過ぎなかつたと考えられ、このような通常の河川とは異る構造、機能を有する農業用水路を、そのまま都市下水路代りに使用していたことに排水不良ないし湛水の原因があつたと推認される。そして、急激な都市化によつて、低湿田を宅地化し、その上に家屋を建築するなどして居住すれば、それまで湿田であることにより見過されてきた水田の冠水に代つて家屋の浸水の被害が生じる可能性のあることは、見易い道理であり、莫大な費用と長年月を要すると思われるその地域の排水構造の抜本的修正をしない限り、水田の宅地化に伴う構造的必然性であるともいえるのであつて、そのようないわば居住不適の地帯に住居を求めた被控訴人ら自身においても、当然予知しなければならなかつた事柄に属する。
4 もとより、控訴人大東市が住民の福祉を守り、浸水の被害をくい止めるために行政上の機能を十分に発揮しなければならないことはいうまでもないが、本件水路が国有財産であり、元の農業用水路であつて、下水道法による都市下水路の指定をもうけていなかつたことは、前記のような管理条例の不存在と合わせ、控訴人大東市の本件普通河川に対する行政上の管理の実施に一定の限界があつたことを窺わせるものである。
5 前記認定事実によれば、甲路の排水機能の不良は、同水路に勾配がほとんどないうえサイフォン管部(口径0.6米)が狭隘であつたことなどによるものと考えられるが、さりとて甲路の上流部からサイフォン管部に至るまでの甲路全般の具体的な土砂の堆積量はもとより、サイフォン管部の排水との関係における狭隘さの程度を明らかにするような資料は存しないし、本件水害当時における甲路の排水能力の低さの原因が甲路の構造と土砂の堆積とのいずれがどの程度の関係を有するかを明確にする資料もない。しかし、前記のように一四日朝から控訴人大東市の行つたポンプ排水によつて湛水が減水し始めた事実に徴すると、排水能力の低さは、主として甲路の構造にあり、土砂の堆積は大なる原因ではなかつたと認められるから、右堆積と被控訴人らの前叙被害との間に相当因果関係は存しないといわなければならない。
そして、<証拠>を総合すると、控訴人大東市は、浸水対策費の支出により、昭和四二年九月二七日から同年一〇月一六日までの間野崎駅前水路176.5米を、同四五年三月二五日から同月三一日までの間野崎排水管等90.5米を、同年五月二九日から同年六月一二日までの間野崎西水路一〇〇米を、同四六年七月六日から同月一九日までの間野崎北水路一九〇米を、同四七年五月一二日から同月一九日までの間野崎停車場縁水路67.5米をそれぞれ浚渫したことが認められ、以上の浚渫の回数、時期等に徴するときは、控訴人大東市は、甲路の土砂堆積の排除につき必要とすべき裁量権の行使を怠つていたということはできない。
6 被控訴人らは、サイフォン管部が狭隘であつたことが排水能力の低下を来した原因であり、これを取替えていなかつたことに管理の瑕疵があつたと主張する。
甲路の排水機能が本件水害時の被控訴人ら居住地域における湛水を排水する能力がなかつたことは明らかであるが、前叙のようにサイフォン管の所有権の所在は明らかではなく、少なくとも控訴人大東市がその所有権を有していたとの証明はないうえに、湛水排除につきサイフォン管の狭隘さがどの程度の因果関係を有したかを立証するような資料はなく、むしろ成立に争いのない丙第四、第五号証によつて認められる寝屋川本川の水位の上昇傾向と被控訴人浅野友美の当審における供述により認められる一二日午後四時頃以降甲路の谷田川との接合点において樋門の漏水がみられ、又その後には谷田川の西側でも甲路があふれていた事実を総合すると、その頃には寝屋川本川の水位の上昇によつて甲路の疎通能力は失われ、たとえ甲路に土砂堆積がなくかつサイフォン管の口径がより大であつたとしても、甲路が自力で本件地域の湛水を排水することは不可能であつたと認められるから、サイフォン管の狭隘は、湛水原因ではなくなつており、又その後排水速度を鈍からしめその分だけ湛水時間を長期化せしめたのではないかと推測される点については、その程度を明らかにし、控訴人大東市の管理の瑕疵を証明するような資料がない。
7 被控訴人らは、甲路は、本件地域の家庭汚水、雨水の排除に重要な役割を担つていることは地形上明白である
別表Ⅰ
(被控訴人ら各別の被災態様と推定床高OP)
番号
被控訴人
床高OP
床上浸水位
cm
浸水時間(H)
番号
被控訴人
床高OP
床上浸水位
cm
浸水時間(H)
番号
被控訴人
床高OP
床上浸水位
cm
浸水時間(H)
床上
床下
床上
床下
床上
床下
1
浅野
4.1
30
37
62
26
大藤
4.0
40
41
64
51
大山
4.0
40
48
168
2
川野
3.7
70
56
72
27
仲井
3.8
60
41
64
52
堀田
4.0
40
48
168
3
西脇
3.7
70
60
72
28
沢入
4.0
40
41
64
53
長田
4.0
40
48
168
4
尾崎
3.9
50
50
72
29
安達
3.8
60
41
64
54
甚野
4.0
40
48
168
5
伊藤
4.1
30
30
今園
4.1
30
41
64
55
藤後
4.0
40
48
168
6
角木
4.0
40
42
86
31
村岡
4.1
30
43
56
56
小林
4.2
20
39
64
7
嘉地
3.9
50
42
86
32
大原
4.1
30
42
62
57
中村
4.3
10
24
48
8
生島
4.44
3
20
58
33
野口
4.0
40
42
62
58
宮本
4.2
20
20
50
9
山本
3.9
50
40
50
34
福井
4.1
30
43
63
59
後藤
4.3
10
22
72
10
中井
4.0
40
41
75
35
服部
3.92
55
43
63
60
里
4.35
12.3
30
70
11
小辻
3.6
80
56
98
36
武川
4.0
40
43
63
61
橋爪
4.34
13
20
72
12
中村
3.62
85
58
98
37
綾野
4.0
40
40
200
62
東田
土間より70
80
13
六山
3.6
80
78
100
38
中谷
4.0
40
40
200
63
安田
4.1
30
40
72
14
横枕
3.6
80
78
100
39
足立
3.8
60
45
240
64
溝口
4.32
15
36
75
15
松本
4.1
30
36
54
40
奥田
4.0
40
45
240
65
山田
4.32
15
36
76
16
大塚
4.02
45
42
72
41
海原
4.12
35
40
150
66
坂元
土間より65
75
17
花房
4.12
35
38
52
42
宮崎
4.1
30
40
90
67
益田
4.2
20
36
68
18
山脇
4.4
30
44
56
43
宮城
4.1
30
42
45
68
正岡
4.1
30
40
68
19
大橋
4.4
30
39
72
44
宮沢
4.1
37
40
65
69
佐藤
4.1
30
35
70
20
斧
4.0
40
48
75
45
中村
4.12
35
35
60
70
宇野
4.2
20
38
60
21
勝原
3.8
60
48
72
46
藤本
4.1
30
45
120
71
兒島
4.1
30
40
73
22
山本
4.2
20
38
72
47
野村
4.1
30
40
60
23
高橋
4.1
30
48
71
48
ト部
4.0
30
45
60
24
藤井
4.1
30
38
72
49
山崎
4.0
40
48
168
25
佐々木
4.0
40
42
84
50
川畑
4.0
40
48
168
(註)番号は原告番号であるが,(5)伊藤を除いては,原判決添付図面(一)の番号に一致し,各被災場所を示す。
別表Ⅱ
(東大阪地区の7月12日~13日の雨量観測結果)
単位 粍
日
12
13
時間帯
所
氷野
枚方
淀川
八尾(土)
八尾(空)
氷野
枚方
淀川
八尾(土)
八尾(空)
0時~1時
8.0
8.0
7.0
9.0
8.0
1~2
7.0
15.0
17.0
6.0
7.0
2~3
9.0
12.5
13.0
5.5
4.5
3~4
4.0
1.0
1.0
3.5
3.5
4~5
7.0
5.5
5.0
10.5
9.0
5~6
2.4
1.0
0.5
2.0
7.5
7.0
3.5
2.5
6~7
5.0
4.5
4.0
11.0
6.0
1.0
0.5
1.0
0.5
7~8
19.0
11.5
9.0
20.0
31.5
1.5
1.0
0.5
8~9
5.0
9.0
14.0
5.5
3.5
1.0
0.5
0.5
9~10
9.0
11.0
10.0
6.5
4.0
10~11
12.0
10.0
11.0
18.0
15.0
0.7
0.5
2.5
3.0
11~12
13.0
7.0
6.0
17.0
19.5
9.3
6.0
8.0
13.0
11.5
12~13
3.0
5.0
5.0
3.5
4.0
6.0
8.0
6.0
10.0
9.5
13~14
1.8
1.5
2.0
5.5
5.0
1.5
1.0
1.0
1.5
2.0
14~15
3.0
1.0
1.0
2.0
2.0
0.7
1.5
1.0
15~16
9.0
11.5
12.0
9.0
8.5
16~17
7.0
12.0
14.0
8.0
7.0
17~18
6.0
5.0
7.0
7.0
6.0
18~19
9.0
10.0
9.0
12.0
12.5
19~20
11.0
9.5
10.0
12.0
8.5
20~21
4.0
4.0
4.0
4.0
3.5
21~22
7.0
4.0
4.0
9.0
7.5
22~23
6.0
3.5
6.0
7.0
6.0
23~24
7.0
7.0
9.0
8.5
7.0
(註)「氷野」は大東市大東町二番一号寝屋川北部広域下水道組合氷野ポンプ場
「枚方」は枚方市大垣内町2―16―8 大阪府枚方土木事務所
「淀川」は枚方市桜町3―12地建淀川工事事務所
「八尾(土)」は八尾市本町3―9―7大阪府八尾土木事務所
「八尾(空)」は八尾市木ノ本111気象台大阪航空測候所八屋空航出張所
が、本件水害当時甲路に排水ポンプが設置されておれば、内水は甲路で受水し谷田川に排除し得た旨主張する。
しかし、本件の場合、甲路のサイフォン管部にポンプを設置して谷田川へ排水しても、前記のように既にc点で溢水する程水位が高かつたのであるから、そのまま下流へ流下させることができたとは考えがたく、サイフォン管部での谷田川へのポンプ排水は、本件湛水の発生を阻止する効果を有しなかつたといわざるをえない。
被控訴人らは、本件水害後の昭和四八年五月の、いわゆるメイストーム時におけるポンプ排水の効果を説くけれども、メイストーム時には谷田川に受容能力があつたと認められるから、本件と比較することは相当ではない。
更に、控訴人大東市が本件水害以前にポンプを設置せず、本件水害時においてもポンプ設置遅れが、浸水の引水時間を遅らせ、湛水時間の長期化に寄与したのではないかとの点については、本件水路に関する条例がなく、普通地方公共団体として機能上の管理をしているに過ぎない控訴人大東市に、前記のような土砂浚渫の外に別の排水施設を設置すべき義務があつたとまでは認め難いうえに、<証拠>を総合すると、本件七月豪雨の水害は、控訴人大東市としても近年稀な災害であり、浸水地区は、被控訴人らの居住地区に止まらず広範囲に及んでおり、控訴人大東市では災害時に備えて職員の配備計画を定めていたが、本件ではそのうちの最高位の総職員を動員する指令が発せられていたこと、本件地域へのポンプの搬入は、市備付の可搬用ポンプ一四台のほか、建設業者の団体から一〇台借上げ、更に一二日午前中には大阪府から三一台の大型水中ポンプを借用して寝屋川堤防に配置することにしたが、府幹線道路の水没により重車両の通行が不能となり、大型ポンプの搬入は一四日午後となつたこと、可搬用ポンプは高水位のため作動することができず、一四日午前三時頃以降順次五台を搬入して排水に努めた事実が認められ、これに反する証拠はなく、右認定事実によれば、排水ポンプの始動時期が遅れたのも止むを得ないものと認められ、被控訴人らの主張するようにポンプ設置の点につき控訴人大東市に裁量権の行使を誤つた管理上の瑕疵があつたとは認められない。
8 被控訴人らは、本件水害当時乙路は埋立によつて谷田川への流入が妨げられ、丙路は土砂の堆積のために十分な疎通能力がなく、控訴人大東市としては、乙路を改修して谷田川と接続させ、丙路の土砂を浚渫するなどの措置を講ずるべきであつたのに、これらの措置を講じなかつたのは、管理の瑕疵にあたると主張する。
<証拠>によれば、前記のとおり乙路は出口のない一種の堀割りであつたから、本件水害当時乙路が受水した雨水は、谷田川へ流入することなく、附近の田に流出し、そこから南方の甲路へ合流したこと、丙路は、土砂が堆積したので附近の住民の陳情により昭和四一年から四二年にかけて控訴人大東市がこれを浚渫したが、その後も土砂の堆積はみられたこと(ただし、その数量は不明である)、本件水害当時丙路は増水し、前記のとおり谷田川の水位の上昇に伴ない同川への流入が妨げられた結果溢水し、その水は丙路と乙路に挟まれた地域に流入したことが認められなくはない。
しかしながら、前記のとおり控訴人大東市は乙路、丙路について機能管理の権限を有するとしても乙路を谷田川に流下させるような改修工事をなすには、前記のように国有財産管理者たる大阪府知事との協議を経るほか議会の議決を要するのであり、たやすく工事を行なうことはできなかつたし、工事の効果を明らかにする資料もないからその成果は不詳である。又、丙路については、本件水害当時の土砂堆積の程度が証拠上明らかでないから、同控訴人においてその浚渫をすべきであるのに、これを怠つたともいいがたい。丙路が谷田川の水位上昇に伴い、排水能力を失つていつたことは先に認定したとおりである。
そして、乙路、丙路が、被控訴人らがいうように、各集水地域で受水した雨水を谷田川に排水したとしても、本件水害当時既に下流のc点で前記のとおり溢水が起つていたのであるから、その水は再びそこから本件居住地域に還流した筈であり、結果的には、c点溢水を増大せしめたに過ぎなかつたと考えられる。
してみれば、乙路、丙路の疎通能力の不足は、湛水に対し決定的な影響はなかつたことになるから、被控訴人らの前記主張は採用できない。以上の他に乙、丙の水路について特に控訴人大東市の行政上の管理に瑕疵があつたと認めるに足る資料はない。
9 そうすると、控訴人大東市に本件水路の管理に瑕疵があつたなどを理由として、本件水害の被害の賠償を求める被控訴人らの請求は、その余の判断をなすまでもなく、失当として棄却すべきである。
一〇仮執行の原状回復の申立について
控訴人大阪府、同大東市が右申立の理由として主張する事実関係については、当事者間に争いがなく、それによれば、同控訴人らの本件各申立は、全部理由がある。
一一よつて、原判決中控訴人ら敗訴の部分を取消し、被控訴人らの請求を棄却するとともに控訴人大阪府、同大東市の仮執行の原状回復の申立を認容することとし、訴訟の総費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、右原状回復につき同法一九八条二項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官藤野岩雄 裁判官仲江利政 裁判官大石貢二)